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あの虹に向かって
「良かったー! 門番さんがとっても良い人で」
すったもんだの末、門番の紹介により、格安で特別に一泊させて貰えたイリス。
そして今、試験会場に程近い宿の屋根裏部屋の寝台に転がり、ようやくひと息つけた。
そのまま王都に入る際、身分証代わりとなる大事な受験票を見ながら、独り言を続ける。
「いくら辺境で手続きしたからって、説明を省き過ぎだよ。キチンと受験料の大銀貨1枚も支払ってるのにー!」
そう、王立学校は合格さえすれば、後はほぼタダだが、それまでの受験料は毎回かかるのだ。
平民は最低大銀貨1枚からで、他は富裕層や貴族階級ごとに細かく設定され、金額は恐ろしい程に上がっていく。
大体各々の1年にかかる生活費の4分の1程度にされているとか。
だから、イリスもこの5年間、必死で受験料を貯めたのだ。
「今年は望み薄とはいえ、得られるものは得ないと! よし、明日の試験会場の下見に行こう」
宿の人に教えて貰い、イリスは張り切って外に出た。
「あぁ~、降ってきちゃったか」
イリスはローブで身体を包み、宿の前の川沿いを右側に歩き出した。
しばらく行くと、目印の蔦に覆われた塔が見えた。そこを右に曲がり、突き当りの大きな建物が会場らしい。
イリスはしっかり建物の前まで歩き、宿からかかる時間を算出する。
「よし! あとは、明日に備えて寝るだけだね」
踵を返し宿へ向かう途中、雨足が弱まる。
そして、川沿いに戻って来た瞬間日が差し込み、右側に大きな虹が見えた。
それは、5歳の時と同じ二重の虹――イリスは誘われるように、虹へ向かって川沿いを歩き出した。
しばらく歩くと、キィーアァーとあの時のようにキアが旋回している。あれは、ピュイだ!
それと同時に虹が消えていく。
イリスはハッと気がついた。
「宿から逆向きだ!」
そして、ピュイに向かって手を振る。
「ピュイ〜! 宿、決まったよー!気をつけて帰ってねー!」
それから、トボトボと川沿いを宿へ向かって引き返す。
「とっても良いものを見られたけど、まさか逆向きに歩いちゃうとは……何かイケるって根拠のない全能感に包まれてた~。でも、逆向き、反対……んん?」
イリスの脳裏に父の資料にあった未解決問題が浮かぶ。そして、その解決方法も。
逆、逆向きだ! 全てを一度分解し、反対に逆手順で構成していけば――イリスは脳内で夢中になって理論を構築していく。
「はい、止め!」
鋭い制止の声に、イリスは正気に戻った。
夢現に理論を書き連ねている内に、王立学校の試験は終わってしまったらしい。
イリスの答案は、昨日から没頭していた未解決問題の理論でいっぱいだ。
「やだやだ! もうお終い?!」
思わず出た言葉に、出来ない子扱いされたのか、周りの憐れみの視線が突き刺さる……。
救いがあるとすれば、今回は数年に一度と言われる自由課題であったことだろう。
これだけ情熱的に書き連ねれば、0点ということはない、と信じたい思いでいっぱいだ。
「あ〜あ、明日からまた、来年の受験料を貯めないと……」
その後、ガックリと肩を落とし、嘆き続けるイリスを見て、生温かく見守る視線は、徐々に増えていった。
彗星のように現れ、創設史上初となる最年少合格者かつ特別奨学生イリスの名を、今はまだ誰も知らない。
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