出前

1/1

3人が本棚に入れています
本棚に追加
/3ページ

出前

 私が小学校5年生から、母は新居の二階で「薩摩(さつま)」という小料理屋をしていた。  父の母。私の祖母が鹿児島。つまり薩摩の出身だったからつけた名前だった。  「薩摩」は小料理屋とは言っているものの、普通の食堂の食べ物もやっていた。  普通のおじさんがちょっと焼き鳥を食べながらの実にも来る。  家族で来て食事をして帰る人もいる。  食堂?居酒屋?焼き鳥屋?  まぁ、田舎の事なので何でも屋だった。  食べ物のメニューはラーメン・うどん・かつ丼・親子丼。    後は呑む人用にお通し日替わり。冷ややっこ・焼き鳥。  仕入れが良い日にはお刺身。日によって、もつ煮・ぶり大根・野菜の煮物。  等々、料理を作るのが好きな母が適当に作った家庭的な料理を出すお店だった。  本当は昼間は営業していないけれど、「薩摩」のラーメンは人気があった。  麺は卵ちぢれ麺。ラーメンのスープは塊の元があり、そこから適量をとってラーメンを茹でる前のお湯で溶かしておく。麺を茹で、コンクリートの台所の床に向かって湯切りして、海苔、チャーシュー、メンマ、なると、ほうれん草を乗せる。  普通の醤油ラーメンなのだが、スープの加減が良いのか、そのあたりにおいしいラーメン屋がなかったせいかわからないが、昼間に出前を頼まれることも多かった。私も自分の家のラーメンが大好きだった。  ただ、元々出前をするつもりはなかったので出前箱などもなく、ごくごくご近所だけに限り昼間の注文を、普通のお盆に乗せて出前をしていたのだ。  勿論、ラーメンの上には蓋をする。シャワーキャップのような周囲にゴムの入ったビニールをかけるのだ。  ラップをするよりも早いし、外すときにも楽なのだ。    「薩摩」は急な階段の二階にあって、鉄でできた階段をカンカンと音を立て、母はお盆をバランスよく持ち、いつもはす向かいの同級生の家に出前を届ける。同級生の家であるその家では、よく我が家から出前を取った。  その家は我が家の本業の洋品店とは逆の呉服屋さんなのだ。  お盆はトレイなどというしゃれた物ではなく、結構大きめでラーメン丼が4つギリギリに乗る大きさの四角いお盆だ。  はす向かいと、一番遠くても家が建つ角の向かいの辺り、50m位までが出前の範囲だ。  それ以上は危ないし、ラーメンがのびてしまうから電話で注文が来ても受けないことにしていた。  ところが、ある日、角の向かいの辺りより少しだけ向こうにある県信(県信用組合)我が家は長野県だったので、長野県信用組合からどうしてもお昼の出前をしてほしい。と電話が来た。  そこの職員は夜にはよく食べに来てくれていたので、昼間の出前はしてもらえない事も良く知っているのに。  なにやら県信内で問題が起きたらしく、誰も建物から出られないというのだ。  そういう事情だったら仕方がない。  私は多分、夏休みか何かで家にいたのだと思う。  出前するものはかつ丼ではどうかと母は提案していた。  母が作りきりになれば私しか出前できないのでこぼしたり、ラーメンが伸びるのを心配したのだろう。  ただ、会社の問題で外に出られないのでお金を払うのは会社なのだ。  ラーメンはその当時300円。かつ丼は500円だったので、できればラーメンで。とどうしても折れてくれない。  そこで、「少し麺がのびるかもしれないけど文句は言わない。」という約束の元、母はラーメンを作り始めた。  大きなボウルでお湯を沸かしてそこで麺をゆでるのだが、一度に4人前ぐらいが限度だ。  ボウルでの調理は危ないとわかっていたのだろうが、麺を湯切りする時に4つ茹でられる鍋だと背が届かなくなってしまうのだ。  深さもあって、取り出しやすいのが常に使っているボウルだったらしい。  母は、私にラーメンを運べるか聞いてきた。  階段を降りなければいけないし、お盆しかないので安定感がない。  その後、普通の道路を100mほど歩かなくてはいけないのだ。  母が次のラーメンを作っている間に持って行って急いで帰り、次のラーメンを持って行かなければいけない。  小さな町にある県信と言っても20人は常に人がいる。最低でも5往復する計算だ。  何度か手伝いはしていたので、私は運ぶのを引き受けた。  ラーメンがのびないうちに届けたい。でも急ぎ過ぎると汁がこぼれてしまう。  つまづかないように。お盆から落とさないように。  そして、次のラーメンも出来上がってのびないうちに家に帰り、持ってこなくてはいけない。多分暑い盛りだったはず。汗だくになったのを覚えている。  最後の一回は母も一緒に運んでくれて、なんとかすべて運び終わった。  きっと少し位ラーメンがのびていても会社の中がそんな状態だったら気にしないだろう。ラーメンを届けてからだって、すぐに食べて貰えたかはわからない。  でも、私にできることはラーメンがのびないうちに届ける事だった。  もう、今、ラーメンの注文が入っても作れない。  丼が出払ってしまったから。という状態で、まずは帰宅して冷たい牛乳を一気飲みした。  ラーメンなど、食べるのは早いだろうからと、1時間後には丼を回収に行った。  帰りは伸びる心配もこぼす心配もないが、さすがに丼20個をお盆で運ぶのは無理だったので、10個ずつ2回に分けて回収してきた。  ラーメン丼を下げる時に 「美味しかったよ。」  と、何人からか声をかけられて、私は嬉しかった。 「夜はかつ丼を食べに行くから母ちゃんに行っといて。」  と、声をかけてくる常連さんもいた。      
/3ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加