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「うぃーっす、うちの秋川いますかーって、いるな」  コココンッてノックが聞こえて、笹岡会長が「どうぞ」と言った直後に戸がスライドしてバスケ部の部長の坂井先輩が入ってきた。入口に頭をぶつけそうなくらい背が高い。 「どうしたんですか? 部長」  秋川先輩が坂井先輩を見上げて訊いた。 「秋川、今週いっぱい生徒会なしで部活来い」 「え?」  坂井先輩が秋川先輩の持っていた書類を取り上げて、僕に手渡してきた。 「土日、大事な試合なんだよ、笹岡。手伝いの子入ったんだろ? だから秋川返してもらうぞ」  え、え、え、 「それじゃ私が無理やり秋川くんを奪ってきてるみたいじゃない」  笹岡会長が口元だけで笑いながら応えた。 「似たようなもんだろ? 秋川はうちの大事なメンバーなんだよ。ほら荷物持て、行くぞ秋川」  坂井先輩が、秋川先輩のシャツを軽くまくった腕を掴んでぐいぐい引っ張って、そのまま連れて行ってしまった。秋川先輩は僕の方を心配気な顔で振り返っていた。 「運動部はなぁ、上下関係絶対だからなぁ」  藤堂先輩が苦笑いで言った。藤堂先輩は、確かバレー部だ。 「保科くん、バスケ部見に行く?」  大沢先輩が少し首を傾げた感じで僕を見て訊いた。 「……いえ、いつも通り手伝ってから行きます。秋川先輩の代わりほどは役に立てないと思いますけど……」 「そっか……。うん、じゃあね、その渡された秋川くんが持ってたやつからやろっか」  ね、って言われて、はい、と頷いた。    普段通り20分くらい手伝ってから、1人で体育館に向かった。  そぉっと中に入ったら、走ってる秋川先輩の後ろ姿が見えた。    かっこいい……なぁ……  つい見惚れていたら、体育館に入ってくる人にぶつかられてよろけた。  慌ててキャットウォークのはしごを登って、いつも岡林先輩のいるゴールボード裏辺りに向かうと、岡林先輩が手を振ってくれた。 「来たー、保科くん。今日秋川くん来るの早かったけど、なんで?」  岡林先輩が僕のためにスペースを空けてくれながら言う。 「あの、坂井先輩が生徒会室まで迎えに来てて……」 「それ迎えじゃなくて連れ去りなんじゃ……」 「あは…、見た感じは確かに…そんなでした」  連れてかれちゃった、って思った。 「強引なんだよね、坂井先輩。プレイスタイルとおんなじで」  坂井先輩の彼女さんの小野(おの)先輩が苦笑いで言う。 「秋川くんに期待してるからなんだと思うけど。ほら、坂井先輩、今度の大会で負けたとこで引退だから」 「あー……、そっか。そうだよねぇ、ってそういえば保科くん、見に来る? 大会」 「あ、はい。来ます」 「そっかそっか。じゃ一緒に応援しよーね」 「保科くん、次秋川くん来るよ」  岡林先輩が僕の肩をぽんぽんとたたいた。柵に手をかけて身を乗り出す。  わ……っっ  キュッていうバッシュが床と擦れる音と共に空中に駆け出した秋川先輩と目が合った。  うわわわわっっ  スッと細められた目と、にっと笑った口元。  と同時にボールがスパッとゴールを通過した音がした。 「キャー!!」って周りが盛り上がって、でもその女の子たちの声が聞こえにくいぐらい心音が強くて胸が苦しい。 「わーお、すご。でもこんなもんじゃないよ、大会は。覚悟しといた方がいいよ、保科くん」 「え……」 「自分のカレシの凄さ、思い知るよ」  岡林先輩がニヤッと笑いながら言った。 「でもあれだけモテても全然だった秋川くんが夢中になるんだから、ある意味保科くんが一番すごいのかもね」 「確かにー」  先輩たちの言葉が嬉しくて、でも恥ずかしくて、柵にしがみつくようにしてキャットウォークからコートを眺めた。  秋川先輩は、全身からキラキラを振りまきながら走って、跳んで、シュートを打ってた。  帰りたくない  もっとずっと見てたい  いつもの、部活に行くまでの約20分の生徒会での作業。そこから体育館までのほんの数分。それがないのが辛い。  いつもの、なんて言ってもまだ何日も経ってないけど。  でももう、それがないのが淋しくてたまらない。  時計は容赦なく進んで、17時半を示している。  秋川先輩との約束だから帰らなきゃ…… 「保科くん? え、だいじょぶ?」 「…だいじょぶ、です。帰ります」  周りが滲んで見えるから、慌てて岡林先輩たちに頭を下げて踵を返した。  帰りたくない 帰りたくない  はしごを降りてコートを見たら、秋川先輩は向こうの方に並んでいた。  もっと秋川先輩のそばにいたい。  でも約束だから。  唇を噛み締めながら体育館を後にした。まだ外は昼のように明るい。  拳で目元を乱暴に拭いながら昇降口に向かった。  うわっと盛り上がる歓声が、体育館の方から聞こえていた。
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