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「え?! え、うわーー! マジかっ、おめでとー! やったな、佐藤(さとう)!」  夕食を終えたキッチン、かかってきた電話に出た父の突然の大声に驚いて、危うく洗っていた皿を落としそうになった。 「なになに? どうしたの?」  母が台拭きを持ったまま父の方へ向かう。 「佐藤と三好(みよし)が結婚するって」 「え?! いつ告白したのよ。去年の同窓会でも言えなかったじゃない、佐藤くん」  驚いた声でそう言った母が、なぜか俺の方にススッと寄ってきた。 「ほら、貴之、この前言ったでしょ? 絶好のタイミングが来たって言えない人は言えないって。それが佐藤くんなの。お母さんたちの高校の同級生。もう何回お膳立てしたことか……」  母がボソッとそう言ってため息をついた。 「三好ちゃんもすごい奥手な子でね、結局30年も拗らせちゃったわね。でも告白してからは早かったみたいだけど」 『どっちかが、もしくは両方が能動的に動かないと、恋人同士にはなれない』  父が母に手招きをした。 「お母さん、次の日曜って予定なかったよな?」 「え? うん特には」  返事をしながら母がミルクを抱き上げた。 「オッケー。もしもし、うちも大丈夫。うん、いいよ、おれらがそっち行くって」  ん? 「ほら、新居も見たいしさ。いつ入籍するんだよ。え? あー、三好の誕生日。はいはい」 「三好ちゃん8月生まれだっけ? 乙女座だった気がするー」  ちょっと待て、日曜? 「うん、うん、じゃあ昼前ぐらいにそっち着くようにするから。ん? 電車電車。呑むだろ、昼でも。うん、じゃ」  全身耳ぐらいにして父の言葉を聞きながら、音を立てないように食器を洗う。 「もう一緒に住んでるの? 佐藤くんたち」 「だってさ。ちょい郊外だから早めに出ないとなー。いやぁでも、なぁ?」  ねぇ、と母が応えて2人は笑っている。  ……この流れ、朝から2人で出かけるってこと、だよな? 「貴之ー…、は生まれた時と、あと3歳ぐらいの時に会ってるのよねー。あの時も佐藤くんと三好ちゃんが会えるように予定組んだのよ、確か。でもどっちも進展しなかったのよねー」 「ふーん」とか、一応相槌を打つものの、内心それどころじゃない。  トク トク トク トク トク  心臓が徐々に強く、速く打ち始める。 「結局いつから付き合ってたの? あの2人」 「まだ訊いてないよ。日曜に呑みながらじっくり、と思って」  両親が楽しそうに喋っている間に入って、日曜は何時から何時まで出かけるのかと訊きたい気持ちをグッと堪えて茶碗を拭いている。  同級生の結婚祝いの酒席に、高校生の息子はさすがに連れて行かないだろうし、もし「行くか?」と問われても「留守番するよ」で了解されるはずだと思う。  家に、2人っきりのタイミング  ドキドキ、ドキドキと胸が苦しくて、やたらと喉も渇いてくる。  早く部屋に戻りたいけど、日曜の予定を聞かないと戻れないし、かと言って親を急かして訊くわけにもいかない。そんな危ない橋は渡れない。母親というのは、超能力者かと思うほどこっちの考えを言い当てる。  不自然にならない範囲でゆっくりめに片付けをして、両親が日曜の予定を立てるのを聞いていた。 「貴之は次の日曜は部活ないんだっけ?」 「あ、うん、ないよ」  と平静を装って応えてるけど、もう頭の中まで心音が響いてる。 「じゃ、朝ご飯何か用意しとくから留守番お願いね。お昼はどうする? 買いに行く? それとも何か買っとく? 冷食とか」  一番欲しかった『留守番』が出て、勝手に口角が上がりそうになった。 「どっちでも……、ていうか今いきなりは決められないよ」  怪しまれない程度に、片付けのスピードを上げていく。 「そうよねぇ。うん。金曜くらいまでに決めればいいわ」  母がそう言いながらカレンダーの次の日曜の所に『佐藤くん、三好ちゃん』と書いた。  保科くんに伝えないと  ていうか、何て言うんだ?  最後の皿を食器棚に仕舞って、足元に来たココアの頭を撫でた。  また猫見に来ない? とか?  ゴロゴロと喉を鳴らし始めたココアを抱き上げる。  ……いや、意味ないな、それ。  親が出かけることはもちろん言う。言わないで騙し打ちみたいに連れて来たりはしない。  それに、あの時は頷いてくれたけど、今思えばやっぱり、とか、まだそこまでは、とか、そういう気持ちの変化もあるかもしれない。  保科くんに怖い思いや嫌な思いは絶対にさせたくない。  ココアを抱いたまま自室に入った。ベッドに腰掛けてココアを膝に乗せる。保科くんの髪と同じ真っ黒な身体を撫でると、まん丸のガラス玉みたいな金色の目が見上げてきた。 「……もっかい、言う…か……」  ココアがふにっと首を傾げた。 「恥ず……」  でも抱きたい  あの細い身体全てに触れたい  だたし、保科くんが許してくれるなら、だ。  無理強いは駄目だし、丸め込むのも駄目だと思う。  保科くんが怖いって言うなら、この前と同じ触れ合いで構わない。    とりあえずしっかり顔を見て話さないと。  保科くんの気持ちを、見逃してしまわないように。
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