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 ベッドに横になっても、ずっとドキドキしていてなかなか眠れなかった。  保科くんに会いたくてたまらなかった1年の秋から春まで、悪い夢を見ることは多かったけど、寝付きは悪くなかった。  どんなに激しい試合の後でも、次の日が高校受験でもすんなり眠れていたのに。  そういえば、初めて保科くんを家に呼んだ日の前日も、なかなか眠れなかったな。  何度も寝返りを打って、やっと眠った夢の中の保科くんが可愛くて可愛くて、でもちょっと抱きしめにくいなと思ったら、保科くんの背中に真っ白な翼が生えていて、そっか、天使だもんな、しょうがないなって思ったところで目が覚めた。  思った通り一週間がものすごく長くて、そしてあっという間に日曜がきた。  部屋の外の廊下を歩く母の足音が聞こえる。予定通り出かける準備をしてるみたいだ。暑いから早めに家を出て、待ち合わせの駅ビルの中で涼みながら時間を潰すんだと昨夜言っていた。 「おはよ」  キッチンに立っている母に声をかけた。 「あら、おはよう貴之。もっと寝るかと思ってたのに」 「父さんなんか貴之ぐらいの頃は休みは昼過ぎまで寝てたぞ」  ダイニングテーブルの定位置で父がコーヒーを飲みながら笑って言う。 「カーテンが少し開いててさ、明るくて目が覚めたんだよ」  内心冷や汗をかきながらそう応えて、普段通りにトースターに食パンを入れた。  本当は、今朝になって予定が変更になったりしてないか確認したくて起きてきたんだけど。 「……今日は帰りは夕方だっけ?」  トクトクと心臓が胸の中で主張を始める。 「そうそう。あんまり遅くても明日がしんどいけど、早いと暑いしね。あ、晩ご飯帰りに買って来るから電話するわね」 「了解」  冷蔵庫からアイスコーヒーのペットボトルを出しながら返事をした。コーヒーの横には、昨日買ってきた保科くんの好きなオレンジジュースのペットボトルが並んでる。  あと数時間で保科くんがうちに来る。 「貴之、これ、お昼用にサンドイッチ作ったから2人で食べてね。紙パックのコーンスープも飲んでいいから。足りなそうだったら何か買って来て。駅まで迎えに行くんでしょ?」 「え、あ、うん。ありがと……っ」  やば、早口んなった……っ 「ああ、そういえば貴之の後輩が遊びに来るんだっけ? 猫好きの」 「そうそう。すっごい可愛いのよー」  そう言いながらちらりと俺を見た母が、ニヤリと笑う。  父にはまだ、保科くんのことは話していない。父は母みたいに近所にネットワークがあるわけじゃないから、たぶん噂も耳には入っていないと思う。 「そうか、母さんは会ってるのか。うん、下から慕われるのはいいことだな。なかなか休みの日に先輩に会おうなんて思わないもんだしな」  うんうんと頷いている父を見て唇を噛んだ。母が俺の肩を優しく撫でて、口の動きだけで「大丈夫よ」と言った。  母の『駅まで迎えに行くんでしょ?』は、たぶんうちの最寄駅のことだけど、実際は保科くん家の最寄駅まで迎えに来てる。暑いとか、階段の昇り降りとか、そんなの全然苦にならない。  電車から下りて、保科くんとの待ち合わせ場所に向けて階段を昇る。  あ!  階段を昇った先、窓ガラスを背に保科くんが立っていた。  青空に、白い半袖のパーカーを着た保科くんが映える。  思わず階段を2段飛ばしで駆け昇った。保科くんが俺に気付いて「あ!」って口を開けた。  俺の天使……っっ 「お待たせ、保科くん」 「せんぱ…走んなくても」  って言った保科くんは、微笑みながら跳ねる足取りで俺の方にやって来る。  めっちゃ可愛い 「いや、無理。勝手に足動くし」 「勝手に?」  そのちょっと首傾げて見上げてくんの、反則。 「保科くんが可愛いから」  屈んで、ほんのりピンク色に染まった耳元で囁くと、保科くんが少し首をすくめて俺のTシャツの裾を掴んだ。  顎を引いて上目遣いで見上げてくる大きな目と目を合わせる。  ドキドキ ドキドキ 「…行こっか……」  緊張で喉が締まって声が掠れてしまった。保科くんは唇をキュッと結んで、うんと頷いた。  やば……  俺の心臓、大丈夫かな  今からこんなバクバクいってて……  口を開いたら飛び出してくるんじゃないか、とか思うぐらい心臓が強く打っていて、暑さだけじゃない汗が滲んでくる。
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