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 僕をチラッと見て、また岡林先輩が笑う。 「過去形だから。今はそーたくん一筋だもん」  岡林先輩があははって笑いながら言った。 「秋川くんてね、女の子への態度、みんな一緒なんだよね。優しいけど、誰といても波立たない、凪なの。秋川くんと小、中とおんなじ学校だった子に訊いたら「ずっとあんな感じだよ」って言ってて。みんなで「やっぱイケメンはガツガツしてないよね」とか言ってたのね」  岡林先輩がまた、うふふふって笑う。 「でも、この前のホームマッチの時に、秋川くんが保科くんに話しかけてたの見て、みんなが「なんか違くない?」ってなって。「あんな秋川くん、見たことないよね」って。で、みんないつも以上に気にして見てて、「あー!」ってなったのよ」 「え?」  そう言って岡林先輩が僕の顔を覗き込んできた。 「これは秋川くんの初恋なんだって」 「……っ」  はじめてだって……、秋川先輩言ってた……  付き合うのが初めて、なんだと思ってた、けど…… 「はつ……こい……?」  うそ…… 「そ。観察日記付ける勢いでずっと見てた子が言うんだから、間違いないと思うよ。秋川くんてほぼアイドルだからね。推しってやつね。それは秋川くんが周りに平等に優しいからだと思うけど。それこそアイドルみたいにね。つまり何が言いたいかっていうと、心配しないで、っていうこと」  岡林先輩が僕の背中をポンと撫でた。 「みんなね、推しには幸せになってほしいの」  僕に言い聞かせるように、じっと目を見て岡林先輩が言う。 「推しの初恋を、見守っていたいの」  推しの初恋……  ドクンと心臓が大きく鳴って、そしてぎゅっと胸を掴まれる感じがした。 「……なんか…すごいですね。さすが秋川先輩…っていうか……」  心がざわりと揺れる。 「まあ、中にはそう思ってない女子もいると思うけど、2、3年は(おおむ)ねそんな感じだから。1年生はねー、ちょっとどうか分かんないけど。まあでも好きな人に嫌われるようなこと、あんまり女の子はしないと思うし、山田ちゃん強そうだし、大丈夫かなー? ね」 「……はい」  岡林先輩は、うんうんて頷いた。  夕方の駅は混んできていて、電車もぎゅうぎゅうではないけど、ぐらいの混み具合だった。僕の方が先に電車を降りて、岡林先輩はバイバイって手を振ってくれた。  この話をするために一緒に帰ってくれたのかな。  岡林先輩を乗せた電車を見送りながらそう思った。  ゆっくりゆっくり歩いて、家に帰る。途中の公園を覗いたら、よく見かける地域猫がいた。みんなが『プリン』って呼んでる茶トラの猫。  驚かさないように静かに近付いて、でも近過ぎない所でしゃがんだ。  プリンは人馴れしてるから、気分が乗っていれば向こうから寄ってくる。  座って見つめ合って、少ししたらプリンが立ち上がって僕の方に音もなく歩いてきた。そして身体をすりすりと僕に擦り付ける。  岡林先輩の話を聞いて、正直僕は少し怖気付いていた。 「ねぇプリン。僕はどうしたらいいのかな」  プリンの茶色い小さな頭を撫でたら、ゴロゴロと喉を鳴らし始めた。  秋川先輩は学校のアイドル……か。  自分だって推し活って思いながら先輩を見てた。すぐそこにいるのに、手が届かない存在だと思って、ある意味安心してた。喋るのなんて入学式の受付が最初で最後だと思ってた。  僕なんかが、って思うのは違うと思う。  それは、好きになってくれた秋川先輩を否定することになってしまう。  ゴロゴロというプリンの鳴らす心地いい音を聞きながら、少しごわついた毛の柔らかい身体を撫でて考えた。  秋川先輩にふさわしい僕にならないといけない。  でもそれは、どんな僕なんだろう。 「プリンだったらどうする?」  白い顎をこちょこちょと撫でてやりながら訊いたら、プリンは細めていた目を少し開けて「知らないよ」とでも言いたげに、また目を閉じた。
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