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 学食に近付くにつれ、どんどん人が増えてきた。みんながチラチラと秋川先輩と僕を見る。でも先輩は僕の肩を抱いたままだ。  食券の自販機の列に並ぶ時、秋川先輩が僕の両肩に手をのせて前に誘導した。松岡先輩はスッと後ろに下がって内野たちに声をかけてる。列はまあまあ長い。 「定食系はね、ご飯の量調整してもらえるよ。少なめとか多めとか」  僕の肩に手をのせたまま、秋川先輩が後ろから教えてくれた。優しい低い声が耳のすぐそばで聞こえてドキドキする。 「…おすすめ、とかありますか?」 「そだなー。どれも美味しいけどカレーかな? 俺はカツカレーが好きだなぁ。あ、でも量多めだから保科くんキビしいかも。お弁当ちっちゃかったよね」  髪と髪が触れ合うのがじれったい。 「はい。でもカツ無しなら、たぶん大丈夫だからカレーにします」    前の人が食券を買って横に避けた。 「えっと……」 「お金はここ、で、カレーのボタンはここ」  うわ……っ  後ろから秋川先輩が右腕を伸ばして、食券機を指し示して教えてくれる。背中が先輩とくっついて、あったかくて嬉しい。  五百円玉をカチャンと入れて、教えてもらったカレーのボタンを押した。食券とお釣りを取ったら、秋川先輩が僕の肩に腕を回したままサイフを開け始めた。ファスナーのジーって音が間近に聞こえる。  抱きしめられてるみたいに、なってる……  食券を握ってる手のひらに、じんわりと汗が滲んできた。  秋川先輩が左手で持ってる黒いサイフが目の前にある。先輩の長い指がカツカレーのボタンを押した。  …ずっと、先輩の腕が肩にのってる……  ここにいて、って言われてるみたい  食券とお釣りを取った秋川先輩が僕の肩を抱いて「こっちだよ」って歩き出した。  なんか、足元ふわふわしてきちゃう。  受取カウンターでは秋川先輩が前になった。先輩に倣ってトレイを取って、スプーンを取る。秋川先輩はお箸も取ってる。そして先輩は僕のトレイにもお箸を載せた。  なんで?  そう思って見上げたら、先輩がにこっと笑った。 「保科くん、次食券出すよ」 「あ、はい……っ」  言われた通りに食券を出したら、秋川先輩のカツカレーと僕のカレーが順にトレイに載せられた。 「秋川くん、1年生の案内?」  カレーを持ってきてくれたおばさんが、マスクをしてても分かるほどの笑顔で秋川先輩に訊いた。 「はい。来たことないって言うんで」 「そっかそっかぁ。あ、松岡くんも1年生連れてるのね」 「そうっす。こいつウチの部の1年なんすよー。サービスしてやって?」  松岡先輩があははって笑いながら内野の頭を撫でて、内野がちょっと嫌そうな顔をしてた。    その、ちょっと嫌そうにしてる内野がこっちを向きそうだったのと、橘先輩が秋川先輩を呼ぶ「貴之!」という声が聞こえたのが同時で、僕は咄嗟に橘先輩の方を見た。そして秋川先輩の後ろを付いていく。  薄い水色のシャツの広い背中に肩甲骨が浮かぶのが格好いい。  こうやって先輩の後ろを歩くと、みんなが先輩を見てるのがすごく分かる。  やっぱり学校だと秋川先輩は『みんなの推し』なんだなって感じ。  …でも、僕のだけど。  今日も秋川先輩と隣同士で座った。反対側の隣には内野が座って、その正面に眞美ちゃんが座る。僕の正面は岡林先輩で、隣が橘先輩。松岡先輩は内野の隣に座っていた。 「保科くん、これ一切れどうぞ」  と言って秋川先輩がカツを一切れ僕のカレーに載っけてくれた。真ん中の大きいやつ。 「え…でも」 「カツも美味しいから食べてみて、ね?」  ふふって先輩が笑う。  あ、だからお箸、僕のトレイに……。 「保科くん、カツカレー全部は無理そうだもんね。私より細いし」  岡林先輩が親子丼をスプーンで(すく)いながら言う。 「琳ちゃん、あたしより少食なんですよー。ま、納得なんですけど」  眞美ちゃんは笑ってそう言って、ラーメンを(すす)った。 「じゃあ、いただきます」 「ん、どうぞ」  秋川先輩の方を見たら、先輩はにこにこしながら僕を見ていた。 「カツカレーのカツって何で食うのが正解?とか思うよな」  橘先輩が生姜焼きの豚肉をつまみながら言った。 「スプーンでもいい気もするけどね」  秋川先輩がカレーをぱくりと食べた。  ……キス…した……、昨日……  色々思い出しそうになって、慌ててカツにかぶりついた。サクッとした歯触り。 「どう?」  と秋川先輩に訊かれて、うん、と頷いて応えた。 「おいひーです」 「はは、ね? でしょ?」  嬉しそうに笑った先輩が、口の動きだけで「かわいー」って言った。
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