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Rin 1
「退屈?」
って僕にだけ聞こえるように耳元で囁いた低い声。
あの声をもう一度聞きたくて、あの人にもう一度会いたくて、だから僕は……。
*
「保科、まだ決めらんねーの? 体験入学行く高校」
「うん……」
僕は名前だけ書いたプリントを眺めながら頷いた。
中3の、もうすぐ夏休みって頃。秋にある高校の体験入学はどこに行きたいか希望調査を出さなきゃいけなくて、でも僕はなかなか決められなくて、もう締め切りは明日に迫っていた。
「琳ちゃんまだなのー? あたしと一緒んとこはどう?」
僕を少し覗き込むようにしながら、山田眞美ちゃんが言う。
「んー」
「つか、それならオレと星ヶ丘行こうぜ」
僕の前の席の椅子に後ろ向きに座って、内野尚悟が言った。
「あ、なーんだ。内野くんも星ヶ丘行くんだ。あたしも行くよ、星ヶ丘」
僕の机に手を突いてそう言った眞美ちゃんの真っ直ぐな髪が肩先でサラサラと揺れた。
内野は中2からの、眞美ちゃんは中1からの友達だ。
「眞美ちゃん一高行くって言ってなかった?」
「あ、うん。一高も見に行くよ。でもどっちかって言うと星ヶ丘かなぁ」
「ふーん……」
みんなどうやって決めてんのかなあ、志望校。
僕は、特に行きたい高校なんてない。
やりたいことも特にないし、だからずっと帰宅部だ。
趣味も特にない。あえて言うなら、地域猫を見にちょっと公園に寄るぐらい。
「相変わらず温度低いね、琳ちゃんは。てゆーかあれね、成績もまあまあ良い方だし、行けるとこ多すぎて選べないのね」
眞美ちゃんが僕の髪をサラリと撫でながら言った。
「そういうわけじゃないけど……」
「そーお? あ、そう言えば琳ちゃん、また1年生フッたんだって? 可愛い子だったって聞いたけど」
僕をじっと見ながら「しょうがないなあ」みたいな顔で眞美ちゃんが言う。
「え、あ……うん。だって知らない子だし……」
「そりゃ1年の女子なんか知んねぇだろ。つかこの時期に付き合えって言われてもなぁ」
なあ、って内野が僕を見てくる。
「そう言う内野くんはサッカー部のマネージャーの2年生フッたんでしょ? ていうかあの子が自分のこと好きなの知ってたでしょ、あんだけ特別扱いされてたら」
「知らねーよ。そんなんオレが部長だったからだろ?」
机に頬杖を突いた内野が、ふいっと顔を背けた。
鼻筋がスッと通ったキリッとした横顔。内野は結構イケメンだ。
「保科くんも内野くんもモテるのにねー。誰とも付き合わないよねー」
「もう3年女子は誰も告白しないもんね、この2人には」
「ムダだもんね」
女の子たちが僕たちの頭の上でくすくす笑いながら喋ってる。
「だってさ、分かんないもん。好き、とか……」
「やだ可愛いわね。琳ちゃんってまだ誰かにドキドキしたことないの?」
眞美ちゃんがそう言いながら僕の頭をわしゃわしゃ撫でた。
「……ない……よ?」
ダメ?
「やだぁ、ほんとに? これまで一回も? そっかぁ」
眞美ちゃんはまた、しょうがないなぁって顔をして僕の髪を梳いた。
「もう、琳ちゃんはさー、こんなさ、ちっちゃい顔におっきな目で、まつ毛はバサバサだし髪はサラッサラでめちゃくちゃ可愛いのに、恋愛はポンコツなのねー」
眞美ちゃんの細くて柔らかい指が僕の頬をするりと撫でていく。
「でも琳ちゃんはそこがまた可愛い!」
なんて眞美ちゃんがくすくす笑いながら言った。
「ねー」って女の子たちが言う。
そこ、がどこなのか分かんないし、僕も一応男なので「可愛い」はやっぱりちょっとビミョーだ。
眞美ちゃんは僕の顔が好きなんだそうだ。
『理想的美少女』として。
初対面の時、眞美ちゃんが僕を見て「なんで学ランなの?!」って叫んだのは、たぶんその場にいたみんなの記憶に残ってると思う。
「とりあえず保科、書け、体験入学の紙。星ヶ丘とー、あと一高でいいだろ。オレもそう書いたし」
体験入学は2校は行くようにって言われてる。
「え、やだ内野くんも一高って書いたの?」
「なんでヤダなんだよ。いいだろ、別に」
内野が眞美ちゃんをちょっと睨んだ。
「うん、分かった。書く」
僕はペンケースからシャーペンを出して、カチカチッとノックした。
「琳ちゃんいいの? ほんとにそれで」
眞美ちゃんがちょっと心配気な顔で訊いてくる。
「いいよー。あ、でも一高はちょっと厳しいかな。けど思いつかないからいいや」
調査票のプリントに『星ヶ丘高校』『第一高校』とパパッと書いて、二つ折りにして机の中に仕舞った。
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