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アパートが見えてきた。手前の駐車場に昼間にはなかったクルマが何台か駐められていた。
老婆以外の部屋の呼び鈴を順に押していった。
105号室の呼び鈴を押したとき屋内から返事があった。男性の声である。開いたドアから顔を見せたのは、二十代中頃ぐらいの若者だった。Tシャツ短パンで、くつろいでいたところ、の図である。先野を見て、なんの用なのかと小首を傾げる。
「どうもすみません、103号室の約野哲河さんのことでお尋ねしたいのですが……」
そう言うと青年の表情に変化が現れた。意外なことを訊かれたというのではなく、なんとなく予想していたといったような表情に見えた。
「刑事さん……ではないですよね……?」
青年は先野の背後に他に人がいないか身を乗り出してきた。警察官は単独では行動しない。交番務めの巡査だけではなく刑事でもそうだ。不測の事態に備えるため、必ず二人組で行動するのが基本なのだ。
「はい、わたくしは探偵です」
先野は正直に告げ、名刺を手渡す。
「約野さんなら、もうここへは帰ってこないと思いますよ」
受け取った名刺を見つつ、青年は答えた。
「お知り合いですか?」
「まぁ、近所付き合い程度ですよ」
「帰ってこない、というのは……」
「本人がそう言ってたからです」
「どちらへ行くとおっしゃってました?」
「それは言わなかったな。こっちもとくに興味ないから尋ねなかったし」
青年は思い出そうとするかのように視線を上に向け、
「確か『ジョイ』というバーで飲んでたって言ってたから、そこだとおれより詳しい人がいるんじゃないですか」
「ジョイ……」
先野はすぐにシステム手帳を開き、ボールペンでメモする。
「どこにあるんですか?」
「松午駅の前ですよ」
「そいつはどうも……ところで、さきほどわたくしのことを刑事かと訊かれましたけれど、警察が訪ねてくるようなことがあると思ったのはなぜですか?」
「いや……借金があるって言ってたから、なんかトラブルでもあったのかと思っただけで……、ホント、それだけですよ」
多重債務者が違法行為に手を染めるというのもよくある。暴力団が末端の兵隊に仕立て上げて、クスリの運び屋や特殊詐欺の受け子をさせるのだ。借金返済のストレスが常にかかって正常な判断ができなくなると歯止めがきかない。
「なるほど……。おくつろぎのところ、どうもありがとうございました」
システム手帳を閉じる。
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