曲者

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  座貫(ざかん)には宮殿があり、国庫があった。民衆と呼べるだけの人々が暮らし、その民衆が食っていけるだけの広大な耕地があった。赤石と呼ばれる建築材料が豊富に採れるその国は、街全体が赤石で構成され、国を象徴する宮殿は赤城と呼ばれた。  ラフリンは赤城の窓から、周囲が山に囲まれた演習場を眺めていた。演習場は一つの街を作れるほどに広大だ。厩舎と兵舎を構え、川が流れているため水にも困らない。これほど兵士にとって環境のいい国は他にはない。ここには疲れた兵士を労る女子供も揃っている。  演習場では、召集を受けた座貫の若者が長い列を作っていた。列の先にいるのは武官のソピンだ。そこに並ぶ者が貧弱に見えるほど、ソピンの体躯は逞しい。  ソピンは若者を一目で選別し、所属を言い渡していく。ほとんどが輜重(しちょう)を国境まで運ぶ輸送隊だ。馬に乗れる者は滅多にいない。  ふと金髪の男が目に留まった。金髪は座貫では珍しい上、王が特に好む色だ。確か、王の寵愛を受けていた金髪の女は、腸が破裂して死んだのではなかったか。あの男はその代わりになりそうだが、ソピンはどうするだろうか。  ソピンは金髪の男を一目見るなり部下を呼びつけ、金髪の男は兵舎とは別の方へと連れられた。 「ふん、いい判断だ」  寝巻きから座貫の軍装、黒染めの作務衣に着替え、ラフリンは扉へ向かった。  扉の横に掛けられた赤い羽織には、鼻の先までを覆う頭巾が付いている。それを目深に被って顔を隠し、ラフリンは部屋を出た。  廊下を歩く高官らはラフリンを見るなり立ち止まり、ラフリンが通り過ぎるまで頭を下げる。これが、二千騎の騎馬隊を麾下に持つラフリンの地位だ。 「タンチョウ族と戦う必要などありません。銭を与え、和平を築いたら良いのです。都南(となん)の戦いをご覧になられたでしょう? 彼らを滅ぼすなど、今の座貫にはできますまい」  艶のある赤石が床に敷かれた一室で、高官らは各々発言していた。後からやってきたラフリンは冷ややかな視線を浴びながら、王、比玄(ひげん)の隣に腰を落とした。徹底して素顔を隠そうとするラフリンは、戦術の才を認められつつも、高官らに疎まれる存在だった。 「我が国土を荒らし、略奪の限りを尽くしたあのもの達にっ、銭を与えるなどあってはならん!」  甲高い声で比玄が言った。坊主頭に塔のような帽子を被り、装飾の激しい黒絹を身に纏っている。 「ですが戦となると、軍費がかかります。タンチョウ族を手懐けるよりも厳しい支出になりましょう」 「あのもの達をこれ以上肥してはならん!」 「タンチョウ族を滅ぼす。それが陛下の唯一のお望み」  ラフリンが言って、比玄を向いた。 「ですね?」  比玄の顔から、怒りで刻まれたシワがスッと消えた。 「口にするだけなら誰だってできる」  ラフリンの向かいに座る黄李(こうり)が言った。一万の歩兵と二千の騎馬を麾下に持ち、何度もタンチョウ族の侵攻を防いだ名将だ。伸び放題になった髪には白髪が混じり、声は地響きのように低い。ラフリンはその声を聞くと、決まって背筋に汗が滲む。 「これまで通り、守りの戦を貫く。タンチョウ族の侵攻を防ぎ、被害を最小限に抑えていくのが最善策だ」  黄李の言葉に、比玄は明らかに不満の表情を浮かべた。 「防衛も完全ではないでしょう? 今回の都南(となん)のように、侵攻を許すこともある。羊も子供も奪われた上、女は分別なく犯された。年が明けた頃にタンチョウ族の血を受け継ぐ赤子が何人生まれることか」  嘆くようにラフリンが言うと、黄李は身を乗り出してラフリンに詰め寄った。ラフリンは頭巾の暗がりから黄李を睨む。 「オークスから戻ったばかりの分際で随分と偉そうなことを言うが、誰よりもタンチョウ族と対峙し、この国を守ってきたのはこの俺だ」  ラフリンは輜重や軍営を視察するために近隣諸国を回り、三年前にやっと本土に帰還した……という設定だ。 「都南を守れなかったではありませんか」 「貴様っ!」  黄李の手がラフリンの胸ぐらを掴んだ。ラフリンは素早く、腰に下げた長剣に手を掛けた。見かねた比玄が「やめよ」と制す。 「ラフリン、お前はタンチョウ族を滅ぼせると言うのか?」 「はい」  答えると、呆れるような声と失笑が上がった。 「俺なら、陛下の期待に応えられる」  比玄に向けてというより、黄李を挑発するように言った。黄李の年季の入った顔が、矢に刺されたように歪む。素顔を隠していても、ラフリンが自分よりも年下だと、息子でもおかしくない若造だと分かっているのだ。黄李にとってラフリンは、急に現れた目障りな存在に違いなかった。 「今の座貫には攻めの姿勢が足りません。国を守ことは勝利ではありません。勝利とは、敵を追撃し、打撃を与えることです」 「貴様……俺の鉄壁の防衛が、勝利ではないと言いたいのか?」 「敵の侵攻を止めることで、敵に与える打撃とはなんでしょうか」  場が凍りつく。 「よかろう、そこまで言うなら、攻めの姿勢でタンチョウ族と対峙するが良い」  比玄が言った。 「御意」  これまで、ラフリンの騎馬隊に許されていたのは黄李隊の援護だけだった。タンチョウ族を迎え撃つのはいつも黄李隊で、黄李隊は撤退する敵をけして追撃しなかった。  それが、長年の戦の中で導き出された賢明な戦い方であることをラフリンは理解していた。相手はタンチョウ族。座貫のように豊な国で育った兵士とは違う、血気盛んな遊牧民。守るべき国土のない彼らは身軽で大胆。攻めるのも、退くのも速い。だが防衛に徹する座貫を長年落とせないのも事実。 「ラフリン殿っ!」  演習場へ向かう途中で、ソピンが隣に並んだ。 「今日の選別で、珍しい男を見つけたんです。是非、ラフリン殿に見てもらいたいと思って」  低く、年齢にしては落ち着いたソピンの声が言った。ソピンはラフリンと同い年だが、ソピンがラフリンに向けるのは尊敬の眼差しだ。顔を隠すことで得られる敬意と知りつつも、ラフリンは気分が良かった。 「金髪の男か?」 「ご覧になられていたんですか?」 「ああ、美しい色だった。瞳は碧眼か?」 「はい、夏空のような澄んだ青色です。身体も細く、小柄でしたので、兵士の慰み役が適当かと」 「兵士の?」 「まずかったでしょうか?」 「金髪碧眼だ。兵士に与えるのは惜しいだろう」  言った後、ソピンが自分に見せたがっていたのを思い出した。ソピンは金髪碧眼の珍しい男を、まずはラフリン殿にと気を遣ってくれたのだ。比玄が気に入ったら、兵士にそれが下りることはない。 「ソピン。武官として、王より兵士を優先するのは関心しないぞ」  ソピンは分かりやすくしょんぼりした。 「だが、その気持ちは嬉しく思う。お前は俺を慕ってくれているのだな」 「は、はいっ!」  ラフリンはさりげなく、隣を歩くソピンをチラリと見た。健康的に日焼けした肌と、きりりと濃い眉。南部生まれを思わせる涼しげな切れ長の瞳。 「ラフリン殿は、これまでの将軍とは違います。軍略の才があり、あの暴れ馬を易々と乗りこなした……騎射も剣術も、ラフリン殿に敵う者はおりません」 「南にいる」 「南……タンチョウ族ですか。そりゃ、彼らは幼い頃から馬に乗り、狩猟の為に砂漠を駆け回ってますからね」 「やはりタンチョウ族を滅ぼすには、今の兵力では足りないな」  ラフリンが言うと、ソピンは「えっ」とラフリンを見やった。侍中が立ち止まって、二人が通り過ぎるまで頭を下げる。 「タンチョウ族を……滅ぼそうとお考えなのですか?」  戸惑いと期待のこもった声に、ラフリンは頭巾の下の頬を緩ませた。「ああ」とだけ答える。 「やっぱり……ラフリン殿はすごい……歴代の将軍が誰一人として口にできなかった言葉を……っ」 「次、俺の部隊がタンチョウ族と対峙する。追い払うのではなく、討つ」  ラフリンは名誉と権力に貪欲だった。這い上がれる隙があるのなら、どこまでも上がっていきたい。二千騎の将軍ではまだ足りない。
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