10. 休業

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10. 休業

(どうしたんだろう?)    心配になって、その瞬間、元夫のことは頭から消えた。  しばらくの間休業するというのは、もしや美晴屋の女将さんや旦那さんに何かあったんじゃないか──? それとも新に何か──?  加恵は気になった。  店舗の二階を見上げると、窓のカーテンは閉められており、誰かがいる様子はなかった。  新は普段は銀座の店の近くにアパートを借りて住んでいると言っていたし、今店の脇を入った所にある玄関を訪ねても誰もいないだろう。  それにただの馴染み客が、そこまでするのはおかしいか……。そう加恵は思い直して、後ろ髪を引かれつつもマンションに帰った。  翌週、毎日仕事帰りに美晴屋の前を通ってみたが、やはり店は休業のままだった。残業で遅くなって辺りは暗くなっていても、二階に電気が点いている様子はなく、人がいる気配はなかった。  そのまま土曜日になった。仕事が休みの加恵は、近所のスーパーマーケットに行くついでに美晴屋に寄ってみた。やはり、シャッターは降りていた。  仕方なく、お地蔵様にお参りするだけにした。  泡子堂に近付くと、女将さんが留守のせいで花は(しお)れ、茶碗の水も減って濁っていた。  加恵は思い立って、商店街の花屋に向かった。 「こんにちは」 「あら、いらっしゃいませ」  何度か部屋に飾る花を買っていたので、店主の女性は加恵を覚えていてくれたようだ。  加恵が花を求め、訳を話すと、バケツに水を汲んで柄杓と雑巾も貸してくれた。それらを持って、加恵は泡子堂に戻る。  まず、買った花を包んでいた新聞紙を広げ、新しい花を脇に避けるとそこに枯れた花を置いた。  そして、花屋の店主が貸してくれた柄杓でお地蔵様に水をかけ、女将さんがしているように雑巾で汚れを綺麗に(ぬぐ)った。  茶碗を洗って水を入れ、最後に花立てにも水を入れて、新しく買った花を挿した。花はトルコキキョウとスプレー菊を選んでいた。 「綺麗になったね」  後ろからそう言われて、加恵は振り向いた。  剃髪し、僧衣をまとった中年の男性が、水桶と線香を手ににこにこ笑っていた。 「女将さんの代わりにやってくれたんだね。ありがとう」  年齢は美晴屋の旦那さんくらいだろうか。威風堂々とした佇まいに、加恵はその人が殊香寺の住職だと察した。手にある線香の束には火がついている。  それに気づいた加恵が脇に避けると、住職は前に進み出て線香を香立てに立てて、数珠を取り出してお経を唱え始めた。  加恵も住職の斜め後ろで手を合わせ、お経を聞きながら祈った。
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