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11. 殊香寺
「美晴屋の女将さんから頼まれてね、掃除に来てみたらあなたに先を越されていた。これは女将さんに叱られるな」
殊香寺の住職の道春と名乗ったその人は、悪戯っ子のような笑みを浮かべてそう言った。
「あなたは、よくここで女将の手伝いをしている人だね」
前に見かけたことがあると住職は言った。
「八木橋加恵といいます」
加恵は名を名乗り、偶然女将と知り合い、お参りをさせてもらっていることを話した。
「あの、美晴屋さん、ずっとお休みで気になっていたのですが……」
加恵が尋ねると、住職は肯いて説明してくれた。
「美晴屋の店主がね、先日脳梗塞で倒れてね、今も入院しているんだ」
住職は美晴屋の旦那さんとは幼馴染みなのだという。
「えっ……」
あの優しそうな旦那さんがと加恵は青ざめる。
「でも大丈夫。一時は心配されたんだが、今は容態も安定しているから心配しないで」
すぐに住職は付け加えた。
ただ身体に麻痺が残っているので、リハビリをする必要もあり、しばらくは店は休業だろうと言った。
「そうだったんですか」
旦那さんが一命を取り留めたことは喜ばしいことだった。でも料理人として実直な感じの人だったから、もし麻痺が取れずに包丁を握れなくなったらどんなに苦しいだろうかと思う。
美晴屋がそのまま閉店なんかしてしまったら、加恵も悲しい。
「倒れたのが組合の慰安旅行先の静岡でね。そこで救急搬送されたから、病院も遠いんだよ。かけつけた女将さんもこちらにはなかなか戻れないんだ」
住職は事情を説明してくれる。
「でもね、急性期の病院を退院したら、都内のリハビリ病院に移れるよう息子の新が考えてるらしい」
見舞いに行って、そんな話を聞いたという。新の名前が出て、なぜだか加恵はほっとした。
「もうしばらく、あなたにお堂の世話を頼んでもいいかな。花が枯れてたら替えてもらいたい。花屋には寺のツケにしておくよう話しておくから」
寺がツケ払いなんておかしいかな、と住職は笑いながら言う。
「はい。喜んで。お世話させてください」
加恵は快く引き受けた。
それじゃあ頼みますと言って、住職は寺に戻って行った。
美晴屋の旦那さんのことを知ることができて良かったと加恵は思う。
これもお地蔵様のお導きなのかもしれないと、優しい微笑みを向けてくれるお地蔵様を見上げた。そしてもう一度、美晴屋の皆のために祈った。
それから加恵は借りていた桶と柄杓を返しに花屋に寄った。
「ご苦労様。その包みもこちらで捨てておきますよ」
そう言って、店主は枯れた花を包んだ新聞紙も引き受けてくれた。
(ここの人達は皆優しい)
加恵はそんなことを想い、店主に礼を言って店をあとにした。
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