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13. 灯り
「プロジェクトが始まったら、彼とは関わることが多くなると思うわ」
「そうですか。そうですよね、だってあの時も彼と一緒にやってたんですから」
加恵は答える。
そうだった。あの案件で健吾と出会い、一緒に仕事をするうちに惹かれ合い、付き合うようになって結婚したのだ。
高市産業の篠塚は、その後の加恵と健吾のことをきっと知らないのだろう。またあの時と同じメンバーでと考えるなら、健吾も関わっていることは十分あり得る話だった。
「正直、あなたのキャリアのためにはやるべきだと思う。でも、やりにくいのもわかる。だから、あなたがどうしたいかで決めてくれたらいい。一週間考えてみて」
鉄山はそう言うと、「さて、この話は終わり」と話題はほかの仕事の話に移った。
その日は終業時刻まで仕事をしながらも、なんとなく高市産業のプロジェクトの話が引っかかったまますっきりせずにいた。
自宅の最寄り駅まで地下鉄で戻ると、何もしたくなくて買い物もせずにそのまま家路に着いた。
こういう時に美晴屋が開いていればと思いながら、いつもの習慣で裏通りを通った。すると、久しぶりに美晴屋のシャッターが半分程上がり、電気が灯っていた。
迷わず加恵はシャッターをくぐった。
店舗の方の照明は消えたままだったが、調理場は灯りが点いていた。
ガラスケース越しに見ると、そこで新が一人、黙々と包丁を動かしていた。
「新さん」
加恵が声をかけると、すぐに新はこちらを見た。
「加恵さん」
新は包丁を置き水道で手を洗うと、店の方に出てきた。
ガラスケース越しに向かい合った新は、少し痩せたように見えた。
「大変でしたね」
加恵が言ったが、新はただ加恵の顔をじっと見ていた。
それから我に返ったように、「泡子堂の世話をしてくれていたって、母から聞いたんだ。ありがとうございます」と慌てて言う。
「そんなこと、喜んでやらせてもらってたから」
加恵はそう答えた。
「今、仕事の帰り?」
新は加恵のビジネスバッグを見て聞く。
「ええ。今日はちょっと遅くなっちゃった。美晴屋さんが開いてるとは思ってなかったけれど、ついここ通っちゃうの。習慣ね」
加恵はくすっと笑う。通ってみて良かったと思った。
「あ、夕飯まだだよね? 良かったら、俺の試作品、食べてくれる? 調理場で悪いけどさ」
「え? いいの?」
加恵の声が明るくなる。
「うん。大したもんはないけどさ。入って」
誘われて、急にお腹が減ったような気がした。そういえば、今日は昼食もあまり喉を通らなかった。
加恵は新の言葉に甘えることにした。
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