14. 跡継ぎ

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14. 跡継ぎ

 調理場に通された加恵は、バッグを脇の棚に置いて、新が出してくれた丸椅子に腰掛けた。  ステンレスの調理台が即席の食卓になった。  店舗側からいつも見ていた通り、調理場はどこも綺麗に磨き上げられ、清潔だった。店主の心持ちが伝わってくる調理場だった。  今、その調理場にいて、店舗、そして商店街の通りと、いつもと逆方向を見ているのが不思議だった。暗くなった通りには、帰宅を急ぐ人が行き交っている。  加恵がそうやってきょろきょろしている間に、新は小皿にいくつか料理を持って並べてくれた。 「これがカラスガレイの西京漬け。これが豚の角煮と煮卵。こっちがきんぴらまぐろで、これがサツマイモとホウレン草の白和え。少しずつよそったから、お替りしてよ」  新はそう言って箸を加恵に渡す。 「どれも美味しそうね」  加恵はまず目で楽しんでから、ひとつひとつ箸をつける。    「西京漬け、白味噌の香りがいいわ。焼き加減がちょうどいい」 「豚の角煮、とろける」 「これ、まぐろなのね。美味しいわ」 「白和え、再度挑戦ね。サツマイモが甘くて美味しい」  加恵が一つ一つ感想を言いながら食べていくのを、新は真剣に見守っていた。 「どれも美味しかった。御馳走様でした」  加恵がそう言って箸を置くと、新はほっとしたように笑った。 「これまでのメニューに加えて、少し捻りを効かせたものも出したいと思ったんだ」  新は話す。 「お店、再開するの?」  加恵が聞くと、新は肯いた。 「うん。九月から俺がやることにした。銀座の店は昨日で辞めてきた」 「えっ? そうなの? 女将さんや旦那さんは?」 「二人には反対されたよ」  事もなげに言う。  それはそうだろうと、加恵は思った。銀座の料亭の跡を任せたいとまで言われていたのだ。将来のある我が子に、それを捨ててまで美晴屋を継いで欲しいとは、きっとあの二人なら思わないだろうと加恵は思った。 「でもさ、俺、ここを継ぐのが夢だったんだ。調理師専門学校を出たあと、修業に出たのだって、親父と同じ道を進むためだったから」  美晴屋の旦那さんも、調理師の資格を取ったあと築地の料亭で修業をしていて、そこの親方の弟弟子に当たる人が、銀座の店の親方なんだという。 「親父が元気になるまで美晴屋を俺が存続させなきゃと思ったから、店を辞めるのになんの迷いもなかったんだ」  加恵は肯いた。普段は無口な新が一生懸命語る、彼の真っ直ぐな気持ちだった。  最後は女将さんも旦那さんも、新の意志を尊重してくれたという。 「でもさ、同じ町にスーパーはあるし、今年大きなショッピングモールもできた。美晴屋を利用してくれるのは、この商店街を知ってる馴染みのお客さん、それも高齢者が多いだろ。だから──」  新は続ける。 「若い世帯にも好まれるメニューを考えて、共働きの家庭とか、加恵さんみたいに仕事で忙しい人にも寄ってもらえるような店にしたいんだ」 「それはいいわね。どうしても、家で作る時間がない時助かるし、食べるなら美晴屋さんのような手作りのお惣菜がいいものね」  加恵が賛同するが、新は困ったような顔をする。 「たださ、新メニューは親父の審査に通らないとだめなんだ。この前のアボガドの白和えみたいにね。新メニューにロールキャベツを作ってみたんだけれど、トマトを使った普通のじゃ合格は出ないんだよ」 「どうして?」  ロールキャベツなら野菜とたんぱく質が一緒に摂れるし、メイン料理になるし、子供も好きだろう。忙しい家庭にはありがたいメニューだと加恵は思った。 「こんなの洋食屋の定番だろって」  新が愚痴る。 「あ、そうか──」  そこが旦那さんなりの店へのこだわりなのだろう。  そこで加恵は急に思いつく。 「じゃあ、味噌は? 味噌風味のロールキャベツ」 「えっ、味噌?」  新は驚く。
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