16. 未練

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16. 未練

「未練か……。それはないかな」  加恵はきっぱり言った。  そう言えたことで、自分の気持ちを再確認した。かつては愛し尊敬していた人だった。でも、今はもうそれは過去の話だと言い切れた。 「そうか……」  どこかほっとしたような新の声だった。 「それは裏切られたから?」 「どうかしら?」と加恵は考えてみる。  多分、その前から、きっと子供を失ったあの時から少しずつ、互いの気持ちがずれて行ってしまったんだと思う。  それを話すと新は意外なことを言った。 「俺はさ、加恵さんが一度は愛して結婚した人なんだから、そんな酷い人ではないと思うんだ」  さばさばした口調だった。 「だから、未練とかないんだったら、自分のキャリアを考えて進めばいいと思うよ。元の旦那さんだって、同じように悩みながら、それでも仕事だからと割り切ってやるんだろうし」  女心を一切考慮していない、至極全うな意見だった。でもそれがなぜかすんなり心に入ってきて腑に落ちた。 「そうだよね。ありがとう。うん。前向きに考えてみる」  加恵は答えた。 「なんか、偉そうなこと言っちゃったな」  新がちょっと恥ずかしそうに言った。 「そんなことないわ。ありがとう」  加恵はこうやって話を聞いてもらえたことが嬉しかった。 「そういえば、お店はいつから再開するの?」  聞いていなかったことに加恵は気付いた。 「もう少しメニューを考えてみたいんだけど、待ってくれているお客さんもいるからね。ほら、あの久江ばあちゃん」  前に新が背負い、加恵と二人で家まで送っていったことがあった。 「いつから再開するんだとうるさいんだよ」と嬉しそうに笑っている。 「でもまだ俺一人だし、とりあえず月曜からメニューを絞って再開しようと思ってるんだ」 「それは嬉しいわ。月曜日、仕事のあとに寄るわね」  加恵は約束した。  話しているうちに、加恵のマンションまでやって来た。 「あ、ここがうちなの」とマンションを見上げる。 「ご馳走様でした。送ってくれてありがとう」 「こちらこそ。あのさ」 「え? なあに?」 「今度、休みの日に昼飯付き合ってくれないかな?」  それは突然の新からの誘いだった。
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