233人が本棚に入れています
本棚に追加
/20ページ
16. 未練
「未練か……。それはないかな」
加恵はきっぱり言った。
そう言えたことで、自分の気持ちを再確認した。かつては愛し尊敬していた人だった。でも、今はもうそれは過去の話だと言い切れた。
「そうか……」
どこかほっとしたような新の声だった。
「それは裏切られたから?」
「どうかしら?」と加恵は考えてみる。
多分、その前から、きっと子供を失ったあの時から少しずつ、互いの気持ちがずれて行ってしまったんだと思う。
それを話すと新は意外なことを言った。
「俺はさ、加恵さんが一度は愛して結婚した人なんだから、そんな酷い人ではないと思うんだ」
さばさばした口調だった。
「だから、未練とかないんだったら、自分のキャリアを考えて進めばいいと思うよ。元の旦那さんだって、同じように悩みながら、それでも仕事だからと割り切ってやるんだろうし」
女心を一切考慮していない、至極全うな意見だった。でもそれがなぜかすんなり心に入ってきて腑に落ちた。
「そうだよね。ありがとう。うん。前向きに考えてみる」
加恵は答えた。
「なんか、偉そうなこと言っちゃったな」
新がちょっと恥ずかしそうに言った。
「そんなことないわ。ありがとう」
加恵はこうやって話を聞いてもらえたことが嬉しかった。
「そういえば、お店はいつから再開するの?」
聞いていなかったことに加恵は気付いた。
「もう少しメニューを考えてみたいんだけど、待ってくれているお客さんもいるからね。ほら、あの久江ばあちゃん」
前に新が背負い、加恵と二人で家まで送っていったことがあった。
「いつから再開するんだとうるさいんだよ」と嬉しそうに笑っている。
「でもまだ俺一人だし、とりあえず月曜からメニューを絞って再開しようと思ってるんだ」
「それは嬉しいわ。月曜日、仕事のあとに寄るわね」
加恵は約束した。
話しているうちに、加恵のマンションまでやって来た。
「あ、ここがうちなの」とマンションを見上げる。
「ご馳走様でした。送ってくれてありがとう」
「こちらこそ。あのさ」
「え? なあに?」
「今度、休みの日に昼飯付き合ってくれないかな?」
それは突然の新からの誘いだった。
最初のコメントを投稿しよう!