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「今日のお礼にさ、ご馳走させて欲しいんだ」
「えっ? お礼なんて、こっちの方がお礼しなきゃ」
ご馳走になった上に、話を聞いてもらったのは加恵の方だった。
「いや、ロールキャベツのいいヒントもくれたじゃない? それにさ」
「和フレンチの店があってね。評判なんで一度行ってみたいんだけど、女性に人気らしくてね。男一人で行くのも気恥ずかしくて、一緒に行ってもらえたら助かるんだ」
新が畏まって一人緊張して席に座る様子を想像したら可笑しくなってくすっと笑った。
「そういうことなら喜んで。日曜日ならいつでも大丈夫だから」
日曜日なら加恵も美晴屋も休みなのだが、言ってしまってからあっと思う。
いつでも大丈夫なんて、余程暇だと思われてしまう。
多分、しまったという気持ちが顔に出ていたのだろう。今度は新が笑った。
「俺も暇には暇なんだけど、明後日は親父の病院に行かなきゃならないし、日を延ばすと親父の転院なんかもあるから、来週の日曜はどう?」
九月の最初の日曜日だった。
加恵が肯くと、「連絡先、交換していい?」と新がスマホを取り出したので、加恵もバッグからスマホを出してメッセージアプリのIDを交換した。
「じゃあ、おやすみ」
「おやすみなさい」
新は元来た道を帰っていった。
加恵は自分の部屋に戻り、楽しかった夜を思い返した。
離婚後、こんな風にプライベートで男性と二人で話すのは初めてだった。
これまでも、加恵がバツイチになったと知って、職場の同僚や大学時代の友人が誘ってくることはあった。食事の誘いというだけでなく、真剣に交際したいと言われたこともある。
けれども、加恵は身構えてしまってすべて断っていた。
恋愛はもう懲り懲りというのがあった。また傷つけられるのが怖かった。
それと同時に、もしまた誰かを好きになって本気になった時に、おそらく双方が望むであろう結婚の、その先にある出産を自分は考えられないことが足枷になっていた。
けれども新は、爽やかに、軽やかに、加恵の前にあるハードルをひらりと跳び越えてきた。
それは新が自分より少し年下だという事実が、加恵の警戒心を解いたからだろう。それに、新の母親である女将さんが出会いのきっかけという安心感もあるのかもしれない。
加恵が夫の浮気でバツイチになったこと、流産していることを新は知っている。
だから、彼の誘いはフレンドリーなものであると加恵はわきまえていた。これは友情なんだと信じていた。
それでも新のお陰で、自分が少しだけ、閉じこもっていた殻から出て、前に進めた気がして嬉しかった。
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