20. 高祥の娘

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20. 高祥の娘

 木曜日、女将さんが帰っていると思い、加恵は仕事帰りに美晴屋に寄った。  いつものエプロン姿で、女将さんが笑顔で接客していた。 (良かった……)  加恵はほっとして、自然と顔が綻んだ。  ちょうど最後の客の買い物が終わり、客は加恵だけになった。 「まあ、加恵ちゃん」  女将さんはすぐにガラスケースの裏から加恵の元に出てきた。  調理場で仕事をしていた新も、加恵に気付いて店に出てきた。 「いろいろ本当にありがとうね! お世話になりました。お堂のお世話をしてもらった上に、お店の手伝いもお願いしたって新に聞いたのよ」 「いいんです。お役に立てたのなら嬉しいです」  それから旦那さんの様子などを和やかに話していると、新の視線が加恵の後ろに向けて固まった。加恵が振り向くと、若い女性が立っていた。   「お嬢さん」  新が呟いた。 「あっ、高祥(たかしょう)の……」  女将さんも驚いて言いかけた。 「突然、お邪魔してすみません。新さんに会いたくて、来てしまいました」    二十代前半位のその女性は、ストレートの黒髪で清楚なワンピースを着た綺麗な人だった。目鼻立ちが整っていて、薄化粧が初々しい。  店に入ってきた時から、思い詰めたような硬い表情をしていた。  加恵は場違いな中にいるようで、「私、帰ります」と女将さんに言うと外に出ようとした。 「いや、どうぞいてください。お嬢さん、ちょっと外に出ましょう」  新はそう言うと、その人を連れて外へ出て行った。 「前に話したことがあるでしょう。新が修業していた店の親方に、新に跡を任せたいって言われてたって」  二人を見送るように見ていた女将さんと加恵だったが、やがて女将さんが口を開いた。加恵は肯いた。 「そのお店が銀座の『高祥』というお店でね。さっきの人は親方のお嬢さんで、高祥真由(たかしょうまゆ)さんというの」  高祥は加恵も名前だけは知っている日本料理の名店だった。海外からの賓客をもてなす際に、加恵の会社でも上層部がよく利用していた。 「新に跡を任せたいという意味はね、新を一人娘の真由さんの婿にという意味だったみたいなの」  急に新が辞めることになり、女将さんが親方にお詫びと挨拶に行ったところ、「新を婿にと考えていた」と言って泣かれたという。 「あ、ごめんなさいね。余計なことを聞かせちゃったわ」  女将さんはそこまで言って、はっとして加恵に謝ってくれる。 「いえ、そんな……」  加恵は何と答えたらいいものか複雑な気持ちだった。 「あの、今日は私、お暇します」  加恵はそう言うと、何も買わずに店を出た。  商店街の通りを見たが、新と真由という女性の姿はなかった。
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