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22. 元夫
「お疲れ」
鉄山が加恵に気付いて声をかけてくれる。
その声に健吾も振り向いた。
「やあ」
「お疲れ様です」
こうやって加恵と健吾が声を交わすのは、離婚以来だった。
加恵と健吾はもともと同じ事業本部に所属していた。しかし、二人が離婚する少し前に、事業拡大に伴い三つの本部に分かれることになり、それぞれ別々の事業本部の所属となったのだ。
そのお陰で離婚後も相手に関わることなく、それが決め手となって加恵は仕事を続けたのだ。
しかし、今回は高市産業の大型案件ということで、本部を超えて元のチームメンバーが集められることになったようだ。
やはり健吾の服装の趣味は変わっていた。健吾を見て、まず最初に思ったのはそのことだった。
スーツは変わらずお気に入りのイギリスの紳士服ブランドのもののようだったが、ネクタイは光沢のある生地でピンクが基調のマドラスチェックだ。
(昔なら選ばなかっただろうな──)
そう思った。
そこになんの感情もなかった。ただ、もう健吾は変わったのだと再確認しただけのことだった。
「高市産業の件、引き受けてくれて助かった。ありがとう」
健吾が言った。
「こちらこそ。メンバーに加えていただきありがとう」
加恵は答えた。
いくらクライアントの本部長が加恵を望んでも、健吾の力で却下することだってできただろう。そうしなかった彼には、感謝すべきだった。
「新しい資料を用意してある。上流メンバーの顔合わせは再来週に予定しているんだ」
そう言って、健吾は日程を加恵と鉄山に告げる。
「それまでに予算案やメンバー候補のピックアップを頼みます」
健吾は礼儀正しくそう言うと、「じゃあよろしく」と言って、自分のフロアへ戻っていった。
「大丈夫そうね」
鉄山が言った。
「はい」
加恵は力強く答え、それから、「トラブル案件についてですが──」とミーティングの報告を始めた。
日曜日の正午近く。
加恵は水色の生地に少しだけ濃いブルーの繊細な刺繍が入ったフレンチスリーブのワンピースを着て、レースのカーディガンを羽織り、白いサンダルで出かけた。
新に会うからではなく、フレンチのお店に合うようにと思っての選択だ、と加恵は自分に言い訳した。
東京リバーテラスまで川沿いを歩いていくと、既に新は来ていて入り口近くの緑の植え込みの所で待っていてくれた。
建物の前は広場になっていて、パラソル付きのテーブルと椅子がいくつか置かれ、待ち合わせや川の眺めを楽しむ客で賑わっている。
新はその中に、ちょっと緊張した面持ちで立っていた。
白いTシャツに明るめのグレーのジャケットを羽織り、黒いボトムスは踝が見える長さでスポーツブランドのスニーカーを履いていた。
新は背が高く髪の毛は短くて陽に灼けていたので、そんな恰好をすると若手のスポーツ選手のようで眩しく思えた。
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