23. 和フレンチの店

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23. 和フレンチの店

 考えたら、いつも美晴屋で会う新はTシャツの上に襟なしの白衣、下はチノかデニムという仕事着だった。一度、加恵を送ってくれた時はその白衣を脱いだだけだったような……。  だから今日の新の恰好は新鮮だ。 「お待たせしました」  そう言ってから、加恵は思わず上から下まで新を見てしまった。 「何?」  新は慌てたように聞いてくる。 「ううん。新さんの普段着、新鮮だなあと思って」 「それは僕の方だよ」と新は笑う。 「キャリアウーマン風の加恵さんの印象が強いからさ。そのワンピースすごく良く似合ってるよ」  そう正面から褒められて、加恵は少し赤くなる。ちょっと照れながら、「ありがとう」と答えたが、このやりとりのお陰で木曜日のあとの気まずさは感じなくて済んだ。 「じゃあ、行こうか」  新はそう言うと、東京リバーテラスの中に入るのではなく、川沿いを少し歩いて、赤い煉瓦造りの古いビルの一階にある店のドアの前に立った。 「えっ? ここなの?」  川沿いのそのレストランには、『BRASSERIE ICHIJO』という看板があった。カリスマシェフの市条朋樹(いちじょうともき)が開いた店だ。  彼が手掛ける本格フレンチは食通の間で前々から秘かな人気となっていたが、テレビや雑誌に取り上げられるようになって大人気となった。  市条は実家が日本橋の料亭で、最初は和食修業をしていたのだが、その後フランス料理に惹かれてパリで修業し、帰国後フランス料理の店を開いたという異色の経歴の持ち主だ。  そのため、彼が作るメニューはフランス料理の中に和の魅力をうまく融合させているとして、国内だけでなく海外での評価も高かった。 『和フランス市条』という店を銀座に開いたあと、何店舗か支店を出し、海外にも進出して、今度は若い女性向けにここに『BRASSERIE ICHIJO』を開いた──、そう雑誌で読んだことがあった。 「よく予約が取れたわね」  加恵は感心する。  市条の店は予約が取れない店として有名で、特にここのランチの場合は、予約なしの席も用意しているため、その分予約枠は少ない。 「うん。あのあとすぐ電話したんだ」 「でも、一週間前で取れるなんて奇跡だわ」  加恵は以前、大学の同期のランチ女子会に利用したくて予約を取ろうとしたのだが、二ヵ月先まで予約で埋まっていて(あきら)めたことがあった。 「ちょっと奥の手があってね」と、新は笑う。 (奥の手?)  加恵は不思議に思いながら、新が開けてくれたドアから中へと入る。そして新が名前を告げると、二人は窓際の予約席に通された。  店内は白を基調とした明るい雰囲気で、ナチュラルテイストのテーブルと椅子が使われており、川に向かって造られた大きな窓からは明るい日差しが注ぐと共に川岸の緑がよい借景になっていた。  今日は新に付き合うのだから、新が食べたいものを頼んでと加恵が言い、新がメニューを見ながらコースを決めた。  料理を待つ間、窓際の席から入口を見ると、予約なしの客が順番待ちの名前を書いては外に出て行くのが見えた。やはり繁盛しているようだった。 「一昨日はすみませんでした。驚かせたよね」  突然、新がそう切り出した。
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