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26. 夢
「先輩の生き様を見ているとね、すごく刺激をもらえるんだ。いつか……」
新はキラキラした目をして話す。
「俺の代になったら、美晴屋を改装して、お惣菜屋兼和風ビストロみたいにしてみたいなって思ってるんだ。あ、これ、親父やお袋にはまだ内緒ね」
「素敵ね。新さん、そんな夢があったのね」
加恵は肯いた。
父親が倒れ、実家を継ぐために新が修業していた店を辞めたと聞いた時、彼が何か義務感のような気持ちでそうしたのではないかと思ったのだが、それが取り越し苦労だとわかって加恵は心から安心した。
新が思い描く夢は、きっと彼が今のまま真っ直ぐに頑張っていけばきっと実現するだろう。加恵はその夢を応援したいと思った。
「下町にある和風のお惣菜を出すビストロ、仕事帰りの若い人もあの商店街を通っているから、きっと繁盛すると思うわ」
加恵は心を込めて言う。
「そうかな。この辺りとは雰囲気が違うからさ」
新が自信なさげに言う。
「でもね──」
加恵は続ける。
「商店街から私のマンションに行く途中の、住宅街の中にね、先月焙煎珈琲店がオープンしたの。土日に通ると、若者が外まで並んでるのよ。カフェも兼ねていて、人気みたい」
ほかにも、天然酵母のパン屋ができて繁盛していたり、下町が注目されている気がする。
「素人考えだけれど、お惣菜店を兼ねているのなら、片方がうまくいかなくても片方でカバーできるし、美晴屋さんの方はしっかり顧客を掴んでいるから大丈夫なんじゃない?」
一生懸命加恵が言うので、新は笑顔になる。
「加恵さんにそう言われると、なんかやれる気になってきた」
店は小さ目でいいとか、日本酒も置きたいとか、それなら加恵の実家がある福島の日本酒がおすすめだとかしばらく盛り上がった。
そうやってコーヒーとデザートを楽しんで、「そろそろ出ようか」と新が言う。加恵は肯いて立ち上がった。
「今日はご馳走させてもらうからね」
そう言って、新が伝票を取るので、素直に「ありがとう。ご馳走になります」と答えて、レジへ向かう新のあとに加恵も続いた。
すると二人が帰るのに気づいた市条がレジの前に現れた。
「先輩、凄く美味しかったです」
そこから、市条が今日のランチはご馳走すると言い、新が断るというやりとりがしばらく続いた。
「ご馳走されちゃ、厳しい感想が言えないじゃないですか」
そんなつもりもないだろうに、新がそう訴える。
「それに、今日は加恵さんに僕がご馳走する約束だったんで、その役目を奪わないでください」
そこまで言うと、市条は折れて代金を受け取ってくれることになった。
「次はほかの店でもいいんで、ぜひ二人で来てください。その時は僕がご馳走しますから」
市条は加恵にそう約束してくれる。
「ありがとうございます」
そこで新に、「じゃあ加恵さんは外で待っててください」と言われ、加恵は挨拶して外で待っていることにした。
フロアスタッフが開けてくれたドアから外に出ようとした加恵だったが、思わずそこで足を止める。
目の前に、ベビーカーに手をかけた健吾と沙由美が立っていた。
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