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29. 告白
付き合ってほしい、という新の言葉にすぐには答えず、加恵はきらきら光る川面を見ていた。
鴨の親子だろうか、大きな鴨二羽の後ろを三羽の鴨が一生懸命ついて泳いでいる。
「ごめんなさい」
しばらくして加恵は答えた。
「それはだめってこと?」
「新さんのことはいい人だと思ってる。誠実で優しくて、作るお料理も大好き。でも、今はまだそんな気持ちにはなれないの」
加恵は絞り出すように言った。
「そうだよね。ごめん。無神経だった。今日、告白しようと思ってたから、先走った。今さっき、嫌な思いをしたばかりの加恵さんに、こんなこと言うなんて身勝手すぎた。ごめん」
新はそれから穏やかに話した。
「それに、別れた旦那さんに会って思った。大人で、魅力的な人で、加恵さんが好きになったのもわかった。俺なんて、まだまだだしな」
最後、新は少し冗談ぽく言った。
そんなことない、という言葉が出かかったが止めた。期待させてはいけないのだと思った。
「俺、このままかっぱ橋の道具街に行きたいから、ここで解散でいい?」
さすがに告白して玉砕し、居たたまれないのだろう。それでも努めて明るい声で新は言い、立ち上がった。
「ええ」
加恵も立ち上がる。
「じゃあ、ここで。今日は付き合ってくれてありがとう」
「こちらこそご馳走様でした」
加恵は答える。
「あのさ、これからも友人としてよろしく。美晴屋にも今まで通り寄ってくれよな」
新はそう言うと、加恵に手を差し出した。
「もちろん。こちらこそよろしく」
答えた加恵は、温かい新の手を握った。
「じゃあまた」
そう言うと、新は去っていった。
加恵は歩き去る気力もなく、またベンチに座って新を見送った。
新の告白に、“私も”と言えたらどんなにいいかと加恵は思った。
加恵は確かに新に惹かれていた。誠実さ、優しさに接してどんなに救われ、また料理に対する真摯な姿勢に感銘を受けているか、ちゃんと伝えたかった。
けれども……。
加恵は餌を獲りに潜っては顔を出す鴨の親子を見ていた。
美晴屋のあの明るい雰囲気。優しい旦那さんと女将さん、そして一人息子の新。彼らは何世代にも渡り、次の世代へと美晴屋を引き継ぎ守ってきたのだ。
誠実な新と付き合えばその先にあるのは結婚だろう。けれども、自分は美晴屋の嫁として、次の世代を産むことはできない。
新にはもっと相応しい人がいるのだと、そう思えてならなかった。
手から零れ落ちたものに後悔する気持ちはない。新のためにはこれがいいのだ。
それに、自分には亡くなった我が子がいる。今日見た健吾の様子に、我が子を想ってやれるのはもう自分だけなのだと改めて実感していた。
加恵はとぼとぼと歩いて帰り、そしていつものように泡子地蔵に寄った。
お地蔵様は変わらず優しい微笑みをたたえて、加恵を見下ろしてくれていた。
加恵は手を合わせて祈る。
(ごめんなさい。あなたにはもう私しかいないし、私にはあなたしかいないの。だから、これからもあなたを大切に想って生きていくからね)
お地蔵様を通して、我が子にそう誓った。
失った我が子への想いが、お地蔵様を通して伝わりますように……。そう祈った。
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