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34. 隣の子
「どうしたの?」
加恵は声をかけてみた。
「鍵持って出るの忘れちゃって、入れないんだ」
男の子はもたれていたドアをこつんと叩いた。自分のミスに落ち込んでいる様子だった。
「ここの子なの?」
「うん」
可愛い顔の男の子だ。
奥の部屋は二月頃、三人家族が出てから空室になっていたが、いつの間にか越してきたらしい。
「お母さんは?」
「いないんだ」
いないとは、どういう意味なのだろう。ただ留守なのか、それとも?
「じゃ、お父さんは?」
「今日は仕事で遅いんだ」
父子家庭ということか。薄着でずっと佇んで寒いだろうし、きっとお腹も空いているだろう。
詳しく聞くと、朝、父親より先に登校する際、鍵を持って出るのを忘れ、そのあと父がそれに気付かず鍵をかけて仕事に出てしまったということらしい。
家に入れず、下校してからずっとここで待っているという。
「お父さん、いつも何時頃に帰ってくるの?」
「遅番の時は、夜十時頃かな」
まだ三時間近くある。それまで外廊下で待っているのか──。
「うちで待ってる?」
思わず加恵は誘ってしまう。
「え? いいの?」
男の子の目が輝いた。
「うん。入っていいよ」
答えると、加恵は部屋の鍵を開けた。
このご時世、見ず知らずの子供を家に入れるのはどうかと思ったが、なんとなく放っておけなかった。加恵は部屋に入るとすぐに暖房をつけ、男の子も物珍しそうにきょろきょろしながら入ってきた。
アレルギーとか食べられないものはないか聞くと、ないと言う。
冷凍ご飯をチンして、美晴屋で買ってきた総菜を取り分けた。新がおまけしてくれた煮卵が二個あったので助かった。
子供にはこれでは足りないかなと、日曜日に衣をつけて冷凍しておいたコロッケを二個、急いで揚げてキャベツの千切りを添え、味噌汁も出した。
男の子の名前はハルと言った。ただハルなのか、ハルトなのか、あるいはハルオなのかわからない。聞くのを遠慮してしまうくらいの旺盛な食欲で、ハルは夕飯を美味しそうに食べていた。
(ああ、子供ってお腹が空くとこんな風に夢中で食べるんだ。あ、長ネギが苦手なのかな)
こっそり味噌汁の長ネギを避けている姿が可愛かった。
加恵は自分が食べるのも忘れ、箸を止めてその姿を見守っていた。
加恵のお腹の子は、無事に成長していたら春に生まれるはずだった。男の子でも女の子でも名前に「春」という字を付けたい、そう考えていたのを思い出した。もし無事に産まれていたら、この位の年頃だろう。
食事をしながらハルに質問すると、食べるのに忙しいハルは最低限の言葉で答えた。それをなんとかつなぎ合わせると、母はおらず父と二人暮らし。先週の土曜日に引っ越してきたらしい。小学一年生で、父の仕事は遅番があるため、夜一人で家にいることもあるという。
「でも怖くないよ。僕は男だからね」
生意気にそんなことを言うのが微笑ましかった。
「お……お姉さんは?」
おばさんと言いそうになって慌てて言い換えたのだろう。その様子が可笑しかった。
「いいよ、おばさんで」
ハルの母親といっても通用する年齢だった。
「一人暮らしよ」と加恵は答える。
「寂しくないの?」
ドキッとした。こんな子供に心配されるなんて……。
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