終章 春、枝垂れ桜の下で

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終章 春、枝垂れ桜の下で

 次の日、加恵は泡子堂に向かった。  お堂に着くと、お地蔵様を見上げ心の中で問いかける。 「お地蔵様がハルを寄越(よこ)してくれたのですか? ハルはもうすぐ生まれ変われるのですか?」  お地蔵様は微笑むばかりで、答えてくれない。  ハルが生まれ変わって新しい生を受けるのはとても嬉しい。でも子供が産めない自分の元には来てくれない、それが悲しくもあった。 「昔はね、七歳までの⼦供が亡くなってもお葬式をしなかったり、家のお墓に入れず無縁仏にしたりすることがあったんですって」  ふいに声がし、振り向くと美晴屋の女将さんが立っていた。お堂の掃除をするのか、花を入れた水桶を持っていた。 「残酷だって思うでしょ? でも違うの。供養して成仏してしまっては、亡くなった我が子の命が⽣まれ変われないと考えられたのね」    女将さんは加恵の横に立ち、水桶を置くとお地蔵様を見上げる。 「新がね、『加恵さんに告白した』ってやっと白状したわ」  怪しいと思ってたのよね、と女将さんは笑う。 「新さんは私なんかにはもったいないです」  加恵はそう言うと、女将さんにも自分が子供を産めない体であることを告白した。  すると女将さんは何も言わず、お寺からお堂にかかる枝垂れ桜の枝に触れた。 「もうすぐ桜の季節ね……」  女将さんは、花の蕾を見て優しく微笑む。 「新と私達夫婦にはね、血のつながりがないの」 「!」  驚きで言葉にならず、加恵はただ女将さんの横顔を見つめる。 「あの子はね、この桜が満開の頃、お堂に捨てられていたの。生後すぐだったわ」  朝、お堂の世話をしようと店を出た女将さんが第一発見者だった。  枝垂れ桜がお堂に降りかかる中、お地蔵様の足元に置かれた籠の中で、オギャーオギャーと懸命に泣いていた。 「その頃の私はね、子供ができず不妊治療を続けていたの。泡子堂の世話も一生懸命したわ。『母親になりたいのです。どうか子供をお授けください』とお地蔵様に願ったけれど、でも望みは叶わなかった」  旦那さんもその両親も、子供がいなくても夫婦仲良く暮らせればいいと言ってくれる優しい人達で、子供を諦めようとしていたその時だった。 「お地蔵様のお導きだと思ったわ。この子を育てたい、この子の母親になりたいと思った」  旦那さんもその両親も賛成してくれた。先代の殊香寺の住職が力になってくれ、いろいろな手続きを経て新を養子として迎えることができた。 「血はつながっていなくても、新とは本当の親子だと思っているわ。あの子もそう思ってくれているはずよ」  女将さんは加恵に顔を向ける。 「だからもし加恵ちゃんが新を遠ざける理由が、子供が産めないことなのだとしたら、それは新にとって障害でもなんでもないのよ」  優しく微笑んだ女将さんは、「あらやだ、用事を思い出した。加恵ちゃん、お掃除お願いしていい?」と唐突に言って、美晴屋に戻っていった。  加恵はお地蔵様を見上げ、問いかける。 「ハル、お母さん、もう一度幸せになってもいいの?」 『もう大丈夫だよね?』と聞いた、ハルの笑顔が思い起こされた。  ふとお堂の上の枝垂れ桜の枝の蕾に目が留まる。先ほどは気づかなかったが、そのひとつが開花の合図を今か今かと待っているように大きく膨らんで、淡いピンク色の花弁が少しだけ見えていた。  すぐそこまで春は来ているのだ──。  人の気配に振り向くと、心配そうに加恵を見守る新がいた。 「加恵さん」 「新さん、あのね、私……」  不安そうな新に加恵は精一杯優しく微笑むと、ゆっくりと新のもとへ歩いていった。 <了> 最後までお読みいただきありがとうございました。 いただいたペコメやペスタも励みになりました✨ いつか、この泡子堂公園前商店街と泡子地蔵、そして美晴屋の、前の世代や次の世代の物語を書けたらいいなと思っています。 その時はまたよろしくお願いいたします🙏  乃上さり
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