7. 夫の部下

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7. 夫の部下

 健吾が押しているベビーカーには、二人の間に生まれた赤ちゃんが眠っているのだろう。  彼らが遠くに離れていくまで背中を向けて身を隠し、見えなくなったのを確かめると加恵はほっとして近くのベンチに座り込んだ。  健吾の再婚相手は、健吾の元部下の沙由美(さゆみ)だ。  なぜここで二人に会うのか……? 加恵は不思議に思った。  二人は、加恵が結婚していた頃に夫婦共有で購入した品川のマンションに暮らしているはずだ。  加恵が離婚して家を出る際、健吾の希望でマンションは売却せず、加恵の所有分を健吾が買い取る形で名義を健吾一人に書き換えた。お気に入りの物件だったし、通勤にも便利だったのでそうしたいという健吾の希望だった。  加恵にとってもオプションなど夫婦で相談しあってオーダーした思い入れのある部屋ではあったが、夫の裏切りのあとでは未練はなくなっていた。  加恵が家を出たあと、沙由美が越してきて暮らし続けると聞いていたのだが……。  こんな下町のショッピングモールまでわざわざ来ているのは、話題の場所に来てみただけなのだろうか。それならいいのだが、もしかしたら──。  品川のマンションから隣の新築マンションに買い替えたということはないだろうか……? (まさか、ね……)  加恵は苦笑する。考えすぎだろう。  でも、やっと落ち着き好きになってきたこの町で、二人に度々会うのはごめんだった。  夫とその部下が不倫関係にあるなどとは露程にも思っていない頃、夫の部署のバーベキュー大会に夫婦で参加したことがあった。  大きな会社なので、部署によってまったく雰囲気が違い、加恵の部署の女上司はそういうイベントをやるタイプではなかったが、健吾の部署は昔風というか、飲み会やBBQ大会、ゴルフ旅行などのイベントが盛んだった。 「前園の美人の奥さんも連れて来いよ」と言われたと、健吾に頭を下げられ、加恵もBBQに参加することになった。  健吾の運転で神奈川県の川沿いにあるキャンプ場に向かった。その頃、健吾は会社の上司とのゴルフで土日が潰れることが多くなっていて、土日を一緒に過ごすことも遠出することもめっきり減っていたので、会社の付き合いとはいえ加恵は楽しみにしていた。  三十人程のメンバーに紹介され、和気藹々と会話を楽しんでいると、健吾が幹事役の部下に呼ばれてその場を離れた。すると一人の若い女性社員が加恵に声をかけてきた。  健吾のチームの一員の山下沙由美(やましたさゆみ)と名乗った。 「今、奥様、プロジェクトマネージャーされてますよね。うちの会社で、しかも女性でその若さでPMに抜擢されるってすごいです。お忙しいんでしょうね」 「奥様、共働きで、普段お料理はなさるんですか?」 「お休みの日は何をされているんですか?」  質問攻めのようになって、何か変だなと思ったのが顔に出たのだろう。 「あ、私もこの会社で結婚してキャリアを築く上で、ぜひ参考にしたいなと思って」と、にっこり笑って沙由美は言った。とんだ食わせ物だった。  それが白々しい嘘だとわかったのは、それからしばらくしてからのことだった。
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