1. 泡子地蔵

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1. 泡子地蔵

 水子のことを泡子(あわこ)と呼ぶことを教えてくれたのは、東京下町にある総菜店『美晴屋(みはるや)』の女将(おかみ)さんだった。  八木橋加恵(やぎはしかえ)は夫と離婚して品川からこの町に越してきたのだが、通勤にはビルが建ち並び、車が行き交う表通りばかりを使っていた。  住み始めて半年ほど経ったある日、利用していたクリーニング店が廃業してしまい、代わりの店を探していて偶然見つけたのが、裏通りに広がる泡子堂(あわこどう)公園前商店街だった。  表通りから道を一本入っただけなのに、そこには東京の下町らしい雰囲気が残っていた。    商店街の通りの向かいにはお寺と公園があり、その境目、公園を少し削るように小さなお堂があった。  寺の塀の向こうには立派な枝垂れ桜の木があり、葉を青々と付けた枝がお堂を守るように降りかかっている。  お堂の中には、優しい笑みをたたえ赤ちゃんを抱くお地蔵様が祀られていた。  お地蔵様の両脇の花立てには少し萎れていたが花が生けられ、周りにはおもちゃやジュース、果物やお菓子などが供えられている。  一目で水子供養のためのものだとわかった。 「泡子堂(あわこどう)と呼ばれているのよ」  加恵がお地蔵様を見上げていると、後ろから声がした。  振り向くと、五十代後半位の女性が花と水桶を持って立っていた。  化粧っ気がない顔には少ししみが浮き出ていたが、きれいな顔立ちで穏やかな微笑みを浮かべていた。  五月の気持ちのよい土曜日の昼前だった。  そのまま立ち去る気にはなれず、その女性がお堂の掃除をするのを加恵は横で見守っていた。 「この世に生を受けずに亡くなってしまった命を、泡子とも言うの。水子って最近は怪談話で使われているから、泡子の方がいいと思わない?」 「ええ、そうですね」  確かに、水子という呼び方は暗いイメージがあった。 「お寺の奥様ですか?」  加恵は尋ねた。 「ううん。ほら」  女性は柄杓で後ろに並ぶ商店街の店舗の一つを指した。 「そこで夫と惣菜店をやっているのよ」  それは二階建ての古い日本家屋で、一階が店舗、二階は店主一家の住まいになっているようだった。  軒先にオレンジと黄色のストライプのレトロな日よけがあり、そこに『おそうざい美晴屋』と書かれていた。 「お寺が管理しているのかと思いました」  女将さんの話によれば、隣りは殊香寺(しゅこうじ)という由緒あるお寺なのだそうだ。 「お寺には年に何度かお経をあげてもらうの。でも、管理は代々うちが頼まれてやっているのよ。美晴屋の嫁の第一の仕事はね、店の手伝いでも家事でもなくて、このお堂のお世話なの」  女将さんは楽しそうに笑った。  公園には昔大きなお屋敷があり、当時の当主の妻がこのお堂を建てたのだそうだ。そして遺言でお屋敷を公園として区に寄付し、お堂の管理は美晴屋に頼んだという。  お地蔵様は由緒あるものではないのだが、生を受ける前、あるいは生後すぐに亡くなった命を弔う人が訪れるようになり、いつの頃からか子供を授かりたいと願う人もお参りするようになったという。  泡子地蔵と呼ばれているそうだ。 「ここを造った奥様にも泡子がいたのかしらね」 「泡子……」  泡がはじけるように、ぷつんと割れて(はかな)く消えていく命を想った。
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