雨時の黒猫

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「お前、名前は?」 「……(てつ)」  ぼそりと言ったのが聞こえた。 「てちゅ」  聞こえた言葉を繰り返しただけだろうが、直が徹の名前を言うのに失敗した。 「あん? ぶっ飛ば――」 「徹、小さい子に悪い言葉教えないでくれよ?」  俺がそう言うと、徹はハッとして「ね……」と小さく洩らした。 「ね?」 「ね、猫パンチすっぞ?」  俺が聞き返すと真面目な顔してそんなことを言うもんだから、ちょっと可愛いなと思ってしまった。 「まあ、こっち来いよ。息子の直だ。悪い言葉とか、悪いこととか教えないでくれよ? すぐに真似するから」  直の前の席を指して徹を呼んだ。本来ならば妻が座るはずの席だった。だが、もう彼女は居ない。 「お前、あそこで何してたんだ?」  警戒するように席にやってきた徹に問いかけた。本当ならこっちも同じくらい警戒するべきなんだろうが、どうにも冷たい扱いは出来そうにない。奴が傷だらけの捨て猫だからだろうか? 「他校の奴らに喧嘩売られて、買って、勝って、覚えてない」  俺が作ったオムライスの前で意外にも律儀に「いただきます」と手を合わせて徹はスプーンを動かし始めた。直も徹のことをチラチラと見ながら自分でスプーンを口に運んでいる。 「高校生だよな?」 「高3」 「喧嘩なんてして何が楽しいんだ?」 「知らない、死ぬまでの暇潰し」 「おい! ――いや……」  生きようとしたって生きられない人間だって居るんだぞ? と声を荒げそうになった。だが、直のことを考えて必死に堪えた。それに俺の妻のことなんて、こいつには関係のないことだよな、と思う。 「ごちそうさまでした」 「早いな、ちゃんと噛んでるのか?」  徹がオムライスを完食するのに掛かった時間は、ほんの数分だった。まるで飲み物のようだ。 「美味かったから」  にへっと笑う口元から二本の八重歯が見えた。まさか、そんな表情をされると思っていなかった俺は不意を突かれて何も言えなくなった。 「じゃあ、どうも」  突然立ち上がり、徹は俺のスウェットを着たまま外に出て行こうとした。
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