雨時の黒猫

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 雨の匂いがする。大きな黒い傘を左手で差し、右手で黄色いレインコートを着た息子の小さな手を握って歩く。  息子の直は今年、幼稚園に入園したばかりだ。直が産まれるときに妻を亡くしてから俺は一人で子育てをしている。再婚のことも考えたが、仕事と子育てに時間を取られて誰かと出会う時間などない。そう思っていた……。 「あ!」 「おい、直!」  急に直が俺の手を離して走り出した。ちょうど小さな公園の横を過ぎる所だった。誰も居ない、こんな雨の日に遊びたくなってしまったのか、と急いで自分も後を追って公園の中に入っていく。 「直、手を離したら駄目だって言っただろ?」  クジラの形をした大きな滑り台の所に直は居た。できるだけ優しい口調で注意しながら直に近付いていく。 「パパ、ねこ」  幼稚園に行くようになってから直は良く喋るようになったが、俺は直の指す“ねこ”を見て固まってしまった。  滑り台の階段に学ランを着た青年が座っていたのだ。それも傘も差さずにびしょ濡れで、顔には殴られたような怪我をしていた。目を閉じたまま動かないが、その姿は如何にも不良といった様子だ。 「直、猫じゃない」  小さい子を連れているのだ。関わるべきではないと思い、すぐに直の手を引いてその場から離れようとした。だが、直は動こうとしなかった。 「ねこだよ」 「直!」  直が青年の顔を下から覗き込んだ瞬間、彼の身体が前にぐらりと傾いた。息子を守って俺は傘を放り、青年の身体を支えた。 「おい! 大丈夫か?」 「……ぃ……、………………………」  耳元でぼそぼそと喋られても全く聞き取れない。 「なんだって?」  思わず聞き返す。 「……ねみぃ……、腹、減った……」 「は?」  今度は言葉は聞き取れたが、現状を理解するのに時間が掛かった。 「腹減った、って……おい、寝るな!」  腹は減ってるが眠気にも勝てないって、小さな餓鬼かよ? と思ったが、直に「パパ、ねこ、しんじゃったの?」と言われ、俺はとても悩んだ。悩んで、結局、青年を背負って家に帰ることにした。
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