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7月も半ばに入り、雨の日よりも晴れて暑い日が明らかに増えた。 夜、帰って部屋のドアを開けると、むっとこもった空気が顔に向かってきた。 急いで靴を脱ぐと同時に部屋の電気をつけ、リモコンを手に取ってエアコンのスイッチを押す。 今日の昼休み。 「美和ちゃん、元気?」 休憩室のテーブルで一緒に弁当を食べていた大野依子が、唐突に発した質問に、美和は吹き出して彼女の顔を見た。 「急になんですか?」 本当に唐突だった。 さっきまで最近あった営業部員のメールのタイプミスをネタに二人で笑っていたところだった。 「柴田くんがいないの、慣れた?」 依子は美和の目を見ず、弁当箱から箸でつまんだ手製の卵焼きを口に放り込む前にさらっと言い換えた。 美和は、依子なりの気の使い方なんだと気づいて、感謝した。 依子は一番近くで美和と柴田の関係に気付いていながら、黙って見守る姿勢を貫いてくれている。 美和の知る限り、部内で気付いているのは依子一人だと思う。 「ありがとうございます。案外こんなもんかな、って感じです」 それは強がりではなく、実感として本当にそうだった。 会社では、本当にそうなのだ。 何かが変わることもない。 ただ、家に帰ってくると、違いを感じる。 バッグの中でiphoneが震えて音を立てた。 23:00、柴田からLINE通話の着信だ。 電話を取り出して、テーブルに置き、床に座る。 急いでスタンドにiphoneを置いて、髪の毛を指で梳いて整える。 「お待たせ」 『美和さーん』 柴田が画面の中で笑顔で手を振っている。 『あれ、帰ったばっか? 今日残業だった?』 美和がまだルームウェアじゃないことに気付く。 「うん、今帰ってきた」 『お疲れ様ー。おかえり』 「ただいま。柴田くんも一日お疲れ様」 たとえ画面越しでも、こうやって言葉を交わすことができてほっとする。 柴田はシャワーのあとらしく、水色のTシャツに白いタオルを首にかけてリラックスした雰囲気だった。 「今日は早く終わったの? 何してた?」 『おれは21時には帰ってこれた。でー、さっきまでテレビでスマホで撮った写真見てた』 「なんの写真?」 『えー、見る?』 柴田はくすくす笑いながら、タブレットのカメラを切り替えて、ホテルの部屋にあるテレビの画面を映し出した。 目を閉じて眠っている女性の横顔が大写しになった。 「やー!! なにそれ!?」 美和は思わず悲鳴を上げた。 『めっちゃかわいいでしょ?』 「やめてよ!!」 自分のまぬけな寝顔なんか見たくない。 全身の毛穴から汗が吹き出す気がした。 「いつの間にそんなの撮ったの? 消してー!!」 しかもなぜわざわざテレビに同期して大画面で見てるのか。 『ほかのもあるよー』 パッと画面がかわる。 キッチンに立っている後姿。 いつかの日曜日に食べたランチプレートを前に笑っているところ。 デザートのケーキをほおばったところ。 いつもの待ち合わせ場所で一人で立ってどこかを見ている姿。 海で二人で一緒に撮った写真。 『秘蔵コレクション』 柴田はくすくす笑い、初公開、と言う。 「ちょっとー。なんか隠し撮り入っているんですけど」 ストーカーでもあるまいし。 美和はあきれて唇をとがらせた。 「寝顔は消して。絶対いや」 『えー。おれ、これで毎日がんばれてるのに』 「いつ撮ったの?」 『こっちにくる日の朝』 「そういうこと言うー? ずるい」 そんなことを言われたら、強い言い方をしにくくなってしまう。 一人慣れない土地に滞在して、現地支店で働く彼が今、どんな苦労をしているかは詳しくはわからない。 ほんの少しだけ、プロジェクトミーティングに参加した社員の会話から、柴田がくせの強い古参の現地メンバーの中で奮闘しているらしいことは聞こえてきている。 『写真見て、がんばろう、って思えるんだよ』 柴田はそう言ってにっこり笑った。 『一枚しか一緒に撮ってなかったんだよね。 次会ったら、二人で撮ろうよ』 e8a0d6a4-ecda-4333-99e4-2c990ca69582
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