第2話 記憶をゆさぶるもの

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第2話 記憶をゆさぶるもの

 見知らぬ女は、鉄格子ごしにこちらへと手を伸ばした。助けを求めるというより、掴みかかりろうとするものだ。出来るならこの手で握りつぶしてやりたい、という意思が感じ取れるようだった。 「出して、こっから出してよ! 私が何をしたって言うの!?」  オレは仰け反りながら反論した。 「いや落ち着けって! オレも閉じこめられたんだ、お前と同じだも!」 「えっ、なんて……?」 「この扉の向こう側に、いくつか部屋があるけど、出口は無いんだよ。だから一緒! オレも出られないの!」 「ウソでしょ……」  女の指先から力が抜けていき、顔からも表情が消える。最後にはコンクリート床に膝を着いて、泣き崩れた。  いったいどうしたら良い。オレはただ、傍らに腰を降ろすだけだった。さめざめと泣く声が聞こえる。相手が知り合いだったら、肩を撫でるくらいしたかもしれない。赤の他人のオレは、ただジッと寄り添う事しかできなかった。 「ごめんなさい。取り乱しちゃって。あなたも大変なのに」  女はようやく正気を取り戻した。奥二重の瞳にあふれた涙をぬぐう仕草に、オレの胸がチクリと傷んだ。 「こっちもヤバい。目が覚めたらベッドに寝かされてて、窓には鉄格子がハマってたりさ。あとは、ダイニングとかトイレが」 「待って。もしかして、食べ物があるの?」 「たぶんな。ちゃんと調べてないけど」 「それじゃあ、何か食べるものを持ってきてくれる? あと水も欲しいんだけど」 「わかった。探してみる」 「ありがとう。気をつけてね……」  女が消え入りそうな声で言う。オレは去り際に「お前の方こそ」とだけ告げて、来た道を引き返していった。 「それにしても食い物か。水は手に入るとして、まともな食料なんてあるのか?」  飯と聞いて、オレの腹もグルルと鳴った。確かにそろそろ空腹がつらく感じる。これが普段なら、財布を片手に牛丼屋にかけこんで、大盛り卵でもオーダーしていただろう。 「つうか大丈夫かよ、あの冷蔵庫は。電気が通ってると良いんだが。期待しすぎか?」  扉を抜けてフローリング床を踏みつつ、ダイニングへ。大型で、いわゆるファミリーサイズの冷蔵庫は、やたら静かだった。電子音も振動も無い。 「からっぽでも困るが、下手に入ってても嫌だな……」  中身がすべて腐って、ドロっとしたものを想像して、首を横に振った。大丈夫。きっと何かとてつもない事が起きて、あり得ない幸運にありつけるはず。  心の中で祈りつつ、冷蔵庫の扉を開いた。すると、ふわりと冷風が流れ込み、肌を心地よく冷ましてくれた。 「中にあるのは、ペットボトル。あとは缶詰……?」  2リットルボトルのミネラルウォーターが1本、それとコーンの缶詰が1つ。それだけだった。冷凍庫の方も霜が取れるだけで、食べられそうな物は見当たらない。 「しけてんな。まぁ、腐ってドロリよりはずっとマシだがよ」  缶詰も水も、賞味期限内だ。ホッと胸を撫で下ろして、どちらも手に取る。  だがその時だ。いきなり背後から話し声が聞こえた。ゾワリと反射的に怖気が駆け抜けた。 「ごめんね、何もないでしょ。ママが買い物に行ってるから、帰るまでオヤツも待っててね、だってさ」  オレは思わず叫びながら振り向いた。 「誰だお前!」  しかし、そこに人の姿は無かった。テーブルは無人。下に隠れているでもない。そして、立ち去るような足音も聞こえなかった。 「気のせい……か。それにしちゃシッカリ聞こえたけど。クソッ、何なんだよここは!」  おぞましい気持ちに急かされて、ダイニングを後にした。そもそも、この異質な建物の中で、ダイニングエリアだけが浮いていた。他に比べて生活感が残されており、誰かが住んでいてもおかしくない。  手にした食品も新しく、賞味期限に余裕があった。つまりは誰かが残していった事になる。 「どこの誰だよ。こんな面倒くさい事やらかしたのは……!」  誘拐犯の意図がさっぱり分からず、不安が怒りに塗り替えられていく。もし犯人を見つけたら鉄拳制裁だ。顔の形が変わるまで殴り倒してやる。  そんな決心とともに鉄格子エリアへ。女は位置も変えずに、座り込んだままだった。 「食う物あったぞ。水と、コーンの缶詰」 「もしかして、それだけ?」 「蛇口の水は飲めるから、ペットボトルをコップ代わりにするぞ。缶も食い終わったら容器に使おう」 「う、うん。そうだね」  鉄格子の隙間からペットボトルを渡した。差し入れ、という言葉が脳裏をよぎる。  女はすかさず開封して、直接口をつけた。それからノドを鳴らして飲み始めた。飲む、飲む、ひたすら飲む。見ているこっちが心配になるくらい、飲みまくった。 「おいアンタ。そんな一気に大丈夫かよ?」 「ぷはぁ。うんまい。こういう時の水って、すごく美味しいんだね」 「まぁ、気持ちは分かるが……。もう1リットルも飲み干しやがった」 「ごめんごめん。その代わり、缶詰はお先にどうぞ。私は残り物をもらうから」  女はそう言いつつ、人差し指で頬をかいた。仕草が少し幼いように思う。黒いショートボブという髪型も、どこか実年齢より幼く見えてしまう。  そうして相手を観察するうちに、またもや胸がチクリと傷んだ。 「どうしたの? 缶詰たべないの?」 「あっ、いや、食うよ食う。急かすなって」  プルトップを引くと、缶詰は簡単に開いた。中にはみずみずしいコーンが詰まっていた。缶詰を傾けて、中身を少しだけ手のひらに乗せる。汁でビチャビチャになるが、構わず口の中に放り込んだ。  モキュモキュという馴染みある音とともに、素材由来の甘味が口の中に広がっていく。美味いかどうかは微妙だが、品質は悪くなかった。少なくとも食える。 「ん。残りはやるよ」 「えっ? でもまだ沢山残ってるよ? はんぶんこにしようよ」 「要らねえ。とにかくやるよ。腹減ってんだろ」 「う、うん。ありがとう」  女がぎこちなく笑う。その顔を直視すると、やはり胸が傷んだ。チクリなどではなく、さらに強く、深く刺さる錯覚をおぼえた。  女は手の汚れを気にしてか、缶に直接口をつけた。汁もコーンもこぼさないよう、大事そうに食べ進めた。 「ふぅ。全然足りないけど、ちょっとだけ楽になった。ありがとうね」 「ところでさ、向こう側はどうなってんだ? 奥のほうが全然見えねぇんだが」 「あっちは行き止まり。ベッドの置いてある部屋しかないよ」 「そうか、わかった」  あと調べていない部屋は1つだけ。T字路の左側だ。そこだけが施錠されているので、その先は不明だった。 「鍵が必要なんだが、それらしい場所は見つかってないんだよな。そっちがわで見つかりそうか?」 「全然だよ。鍵どころか、机もイスも箱もなんにもないの」 「そうか。だとすると、誘拐犯が持ってるって事か? クソ野郎め」 「ねぇ、他に何か手がかりはないの?」 「他にと言ってもな。水洗トイレと、イスだけ置いてある部屋。オレが目覚めた部屋も、ベッドくらいしかなくて――」  そのとき、思い出したように怖気がこみあげてきた。あの気色悪いスマホ。あれこそ、真っ先に調べるべきものだろう。  だが腰は重たいままだ。 「さわりたくねぇ……。つうか、アレはお前のスマホか? 真っ黒で、カバーも何もないやつ」 「スマホってあれだよね。電話とかゲームができるやつ」 「他に何があるんだよ。とりあえず持ってくるから、一度見てくれないか」  気をつけてねと聞こえ、お前もなと返す。そんなやり取りの後に、最初の部屋へ戻っていった。中の様子は全く同じ。時間でも止まったかのように思えて、薄ら寒くなる。 「さてと。さっきみたいに警報が鳴ったら、ダルいんだが」  袖机、一番下の引き出し。スマホはある。手に取ってみると自然に電源が入り、「ようこそ」の文字が浮かぶ。本当に歓迎してるのかと、嫌味の1つも言いたくなった。 「今回は、鳴らないみたいだ。ならいいや」  ポケットにしまおうとした瞬間、ブッブと震えた。通知なんて見たくない。見たくないのに、なぜか、視線は液晶へと吸い寄せられていった。  描かれた言葉は、警告ではなかった。だが、違う温度感で寒気を感じてしまう。 ――地球淘汰プロジェクトの進捗率は   現在42.74%です   セイメイの88.14%は死に絶えました   旧支配者たる人類も同様で   残った個体が生存を掛けて殺し合う   第2フェーズへ突入しました   覚者候補の皆様におかれましては   ディープゾーン覚醒プログラムを実施いただき   本フェーズを生き延びていただきたく存じます   チュートリアルは簡略化されておりますので   スムーズにクリアされる事を確信しています     やっぱりダメだ、脳が受け付けない。何が淘汰だ、チュートリアルだバカバカしい。こちとら監禁されてるという危機的状況なんだ。遊んでる場合じゃないぞ。 「遊び……だよな。マジのやつじゃないよな?」  この場所に閉じこめられて以来、まともな物音を聞いていない。鳥や虫の声も車の走る音も、話し声も一切合切がだ。絶滅したという言葉に、ふと信憑性を感じてしまった。 「ありえるかよ! そんな、皆が死んだなんて。昨日まで普通だったんだし」  自分に言い聞かせながら、ベッドの部屋をあとにした。    それからはT字路を右に。ぬかるみを踏み越え、ダイニングを横目にフローリングの道を行く。そして、扉に手をかけようとしたところで、不意に話し声が聞こえた。 ――あれ、渉(わたる)くん。もう来てたんだ。  唐突に名前を呼ばれた事で、とっさに後ろを振り向いた。オレの名を呼ぶ少女は、背格好からして小学生か。浴衣姿で、切りそろえたショートボブ、奥二重の瞳。  その時、頭に電流が駆け巡ったかと思うと、古い記憶がよみがえってきた。 「おまえ……もしかして、結菜(ゆな)なのか?」  オレが問いかけると、少女は小首を傾げて、ニコリと微笑んだ。仕草の一つひとつに見覚えがある。この少女は、オレの幼馴染と似ていた。いや生き写しだった。離れ離れになって10年以上になるが、記憶の中の姿と全てが一致しており、別人とは思えないほどだ。  しかし、なぜ当時の姿のままなのか。まるで10年間、時が止まり続けたみたいじゃないか。  困惑するオレをよそに、少女はただ、愛らしく微笑んでいた。
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