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第97話 地下街の楽園④
光の粒子が舞い上がる中、ブナの木はそよ風でも浴びたように優しく枝葉を揺らした。どこからともなく響く声も、やはり柔和さをにじませた。
「ジョセフとハミが世話になったようです。まずはその御礼を」
「別に構わん。多少の手間はあったが、大したことはしていない」
「ありがとうございます。アナタ方が善良でよかった」
オレたちが自己紹介すると、この不思議なブナの木は、名など無いといった。それでは不便だと言えば、沈黙ののちにフォレストと名乗った。
「大森林(フォレスト)か……。割とまんまだな」
「思いつきで名乗りました。名が無くて困るのは人間くらいですから。ハミたちも私を「ヌシ様」と呼ぶので、とくに不都合はありません」
「お前はもう人間じゃないのか?」
「はい。このように大木へ姿を変えて以来、人としての記憶も徐々に失っております。それが救いであると思う反面、少しだけ寂しさもありますか」
フォレストはそう言いながらも、言葉ほど寂しく感じていないことは、流暢な語り口調から匂わせた。
「ここは見るからに異質だ。やはりアニマが原因なのか?」
「アニマとは、あの不思議なエネルギーを指すのですね? 恐らくは仰る通りかと」
「アニマを活用すれば何でもできる。願望を叶える事すらできるだろう。喋る木に生まれ変わる事を望んだのか?」
「少し違うと思います」
フォレストは口調を変えぬままに、在りし日の事を振り返った。
真宿が殺人鬼の脅威にさらされて以来、逃げ惑う人々は隠れ住むことを余儀なくされた。集団でまとまっていれば一網打尽で、皆殺しにされた拠点も少なくない。
だから避難民は孤立を選び、廃ビルの奥や地下に逃げ込んだ。光のない闇の中で、息を殺すように過ごす日々は、気が狂いそうなほどに辛いものだったという。
「私がかろうじて正気を保てたのも、懐中電灯のおかげでした。無機質な光でも、完全な闇に飲まれるよりは、はるかにマシだったようです」
隠れ住む暮らしは想像を絶するほどに過酷だった。物音をたてれば殺人鬼が来る。関元のように整備された拠点を持っていれば、飲食もできたろう。しかしフォレストはあぶれてしまった側の人間であった。
だから暗闇の中で息を殺し、目が回るほどの空腹と、舌がはりつくほどの渇きに堪えた。いっそ狂ってしまえば、あるいは餓死した方が楽だったろう。しかし幸か不幸か、フォレストは息絶えることがなかった。
「当時は自害する刃物がなく、高所から飛び降りるだけの体力もありませんでした。ただ静かな地下空間に倒れ、独り朽ち果てるのみ。しかし人間とはなかなか容易に死ねないものです。無限の苦しみを味わいながら、少しずつ衰弱していきました」
あまりにも壮絶な最期だが、彼の命は終わらなかった。ふと、どこからともなく、光の粒子が降り注いだのだ。フォレストは重たくなった手を伸ばし、光に触れた。
「そのとき、身体が温かなものに包まれました。視界は真っ白で、眼をあけていられませんでした。そしてその瞳は2度と開くことはありませんでした。あとになってジョセフたちと知り合い、この身体が大木となった事を理解したのです」
「何と言うか、すまん。オレがもう少し早く殺人鬼を倒せていたら、人のままでいられた」オレは小さく頭をさげた。フォレストの返答は、今も変わらず穏やかだった。
「とんでもございません。私はこの変貌ぶりを、当初は困惑で受けとめたのですが、今や大層気に入っております」
「ブナの木になりたい……と願ったのか?」
「いえ。誰も傷つけたくはないと願いました。生存者同士で争うのも、不死の怪物と戦うのも、私は苦痛で仕方ありませんでした。むしろ、誰かを助け、そして癒やしになりたい。そんなことばかり考えておりましたから」
「なるほど。その結果のヌシ様か」
「こうして、不思議な力により、豊かな森を生み出すことができました。これ以上無い喜びをかみしめているところです」
そこで近くの草むらが揺れた。茎の隙間から野ウサギが顔を覗かせては、鼻をヒクヒクと動かした。それも長くは続かず、またどこかへと駆け去っていった。
ウサギまでいるのかと思えば、スズメが群れをなして飛んでいく。そこへカラスがカァと鳴いては、同じ方へと飛んでいった。狭苦しい地下空間では不釣り合いだと思った。
「植物だけじゃなく、色んな動物がいるんだな」
「はい。皆が希望した命に生まれ変わったようです」
「待て。もしかして今のも!?」
オレはスマホを取り出しては「生存者のマークアップ」と告げた。するとどうか。付近には数え切れないほど、緑色に染まるマーカーが現れたではないか。
にわかには信じがたい。しかし小鳥が飛ぶのに合わせてマーカーも同じ軌道をとるのを見て、受け入れるしかなかった。
「嘘じゃないようだな。そうなると、生存者はもう……」
「はい。人間ではなくなっているかと思います。人を傷つけたくない。自由に飛び回りたい。そういった想いが具現化されたのでしょう」
「そうか……。どうりでスピーカーで説得しても、ろくに生存者が現れないわけだ。みんな別の生き物になって、地下に棲んでいるんだから」
ちらりと氷川を見ると、彼女は曖昧に微笑んでは、やがてうつむいた。ひきこもりがちだった気質が、他の連中とは別の願望を抱かせたのかもしれない。
「なるほどな。つまり真宿でキャンプを作るのも無意味ってことか。さすがに3人だけじゃ不便だろう」
「不便でもオレは棲み続けるつもりだぞ」関元はやはり家族の墓を守りたいらしい。
「しかしな、真宿にはまともな資源がない。とくに食料が問題だ。残された缶詰や保存食を食い尽くしたら、そこで終わりだろう」
「この森のどこかを借りたら良い。考えるまでもなく豊かな土地だ。農地でも作れば、何かしら育つんじゃないか?」
オレはそっとフォレストの方を見た。すると、枝がそっとゆらぎ、ブナの葉も揺れた。
「森の一区画をお貸しする事に異論はございません。ですが、その前にお願いを聞いて欲しいのです」
「ここの連中は、頼み事をしないといけないルールでもあるのか……? まぁいい。聞くだけ聞こう」
「ご覧の通り、ここは一筋さえ日が差さない地下です。今現在は、私の力で森を維持しておりますが、いつまでもという訳には参りません」
「一時とはいえ、これだけの緑地を保てるだけ凄いと思う」
「そこで鬼道様。我らの頭上をふさぐもの全て、取り払っていただけませんか?」
「頭上って……」
フォレストのうえをライトで照らすと、重厚な天井が映し出された。コンクリートで覆われた天井は、今も健在のようだった。
「簡単に壊せるとは思えないが……」
「包み隠さず申せば、私の力だけでも破れそうではあります。溜め込んだアニマの大半を失いますが」
「だったら自力でやれるじゃないか」
「地上の様子がわかりません。もし仮にビルでもあればアスファルトを破ると同時に、降り注ぐガレキに埋もれてしまうでしょう」
「なるほど。そうなったら確かに被害が甚大だ」
「地上でなにか大きな建物が塞いでいるようなら、お教えください。その時はあきらめます」
話を聞き終えたオレたちは、そこでフォレストと別れた。まずは地上に向かおうとして、来た道を戻っていった。
その道すがら、生い茂る雑草の向こうからハミの叱責する声が聞こえた。長い説教だ。ジョセフもああ見えて苦労人かもしれないと思った。
「つうかさ、ワタルもお人好しだよな。頼み事をほいほい聞いちまうんだから」狭い通路をゆく最中に凜花がぼやいた。少し不服なのかもしれない。
「実はオレも最初、あまり乗り気じゃなかった。さすがに遣われすぎだと感じたからな」
「でも結局は引き受けたじゃねぇか」
「要望がな、なんとなく親近感を覚えて」
「アスファルトを突き破る事の何に?」
凜花がかぶりを振って言うのを、オレは敢えて聞き流した。
フォレストは地上へつながる穴を求めた。それは現状を塞ぐものを突き破りたいと、言い換えることができる。
かつてのオレは結菜との関係を引き裂かれた時、当時の現状に甘んじてしまった。そこから抜け出たい気持ちはあっても、子どものオレに突破方法など見つけられなかった。
あのころ傍に、「穴を開けてくれる人」が居たなら。そう思うとなぜか、フォレストの願いが他人事に聞こえなくなったのだ。
「つらい現状を抜け出せない。それは嫌だろうと思ってな」オレがそう呟くと、凜花も「うん」とだけ返して、それ以上は何も言わなかった。衣織も目を細めては、視線を足元に落とした。2人とも何か思う所があるようだった。
「さてと。ここがちょうど、地上でフォレストの頭上にあたる位置だが……」
そこは真宿駅からほど近い場所だった。拠点の東口デパートからは、大通り沿いに南へ3ブロックほど離れたエリアだ。
だからここに大穴を開けたとしても、デパートに影響はないのだが。
「フォレストが強行しなかったのは英断だったな。強引に地下から穴を開けたら、このビルが落ちてきただろうよ」
そこには5階建ての立派なビルが建っていた。崩れれば大惨事。せっかくの地下の楽園もガレキに埋もれて消滅していたことだろう。
「さてと。こんなバカでかいものを……どうしたものかな」
オレたちは途方に暮れるしかなかった。今回の「現状を塞ぐ壁」は、人力では太刀打ちできない建築物だった。これはどうにもならねぇなという凜花の呟きが、やたら高く響いた気がした。
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