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第10話 光の差す道
飛母屋(ひもや)は、母親を締め上げたまま、力をこめた。ウッ、と痛々しい声が聞こえても、アイツは躊躇しなかった。力を緩めるどころか、むしろ勝ち誇った笑い声をあげた。
「ギャーーッハッハッハ! 形勢逆転だなガキども! 大人をなめてっから、こういう事になるんだよ、アァ?」
「力じゃ敵わないから人質をとるのか。大人が聞いて呆れる」
「うるせぇ、オレは知略派なんだよ! つうかオレに逆らうんじゃねぇぞ。さもないと、このババアを二目と見れないくらいズタズタに切り裂いてやるからな!」
飛母屋の爪が、母親の頬に触れて、なでるように動いた。それだけで、その頬に赤い筋が走り、真っ赤な血が滴り落ちていく。
「やめて! ママを離して!!」
「ガキぃ……。それは言うことをちゃんと聞けたら、の話だぞ、アァ?」
「言うことって、何をすれば!」
「察しが悪いな、分かるだろ?」
飛母屋の、絡みつくような視線がオレに向けられた。虫でも這いずり回るような感覚が不快で、その場で睨み返した。
「そこの野郎をブチ殺せ、撃ち殺せ、そうすりゃババアを解放してやる!」
「凜花、騙されるなよ。こんなクズ野郎が約束を守るなんて……」
カチリ、冷たい音が聞こえた。凜花は後ずさってからオレに銃口を向けた。手ブレのない、強い意思のこもる構えだった。
「待てよ凜花、落ち着け。オレを殺しても、次はお前の番だ。飛母屋に食われるに違いない」
「分かってるよ、そんな事くらい。でももうイヤなの! ママを苦しめるのだけは、絶対にやだ!!」
オレは銃口から逃れようとして、すり足で、少しずつ立ち位置を変えた。しかし、凜花も変わらずついてくる。銃口は今もオレに向けられたままだ。
「よせ、早まるな。相手の思うつぼだぞ!」
「分かってるって言ったでしょ! アンタも、アタシが何を考えてるか、分かってよ!」
その返事には、少し引っかかるものを感じた。さらに言えば、凜花の視線も気になる。下からオレを見上げるようではあるが、ほんの少し、僅かばかり横に逸れていた。
オレは凜花に顔を向けたまま、瞳だけを真横に向けた。すると視界の端に、ビードロ製の卓上ランプが見えた。それはタンスの上に置かれたもので、飛母屋からも遠くない。
そういう事か。オレは理解するなり、視線を正面に戻した。意味深に2回、視線を上下に向けた。うなづいたつもりだ。それは凜花にも伝わったようで、悲痛な顔がかすかに崩れた。
「もう終わりだよ、ワタル。神様にお祈りでも捧げたら?」
「やめろ凜花。落ち着け」
「3」
「もっと他にも選択肢はある」
「2」
「よく考えろ、簡単に諦めるな。希望ならある!」
「1」
「凜花ッ!!」
「ゼロッ!」
オレはその瞬間、膝から倒れ込んで伏せた。凜花もすかさず射撃。射出された金色の弾丸は、見事ビードロのランプを粉砕、破片を辺りに撒き散らした。
「グワッ! 何だぁ!?」
飛母屋は右手で顔面を覆った。それで、爪が母親から離れる。またとない好機に、オレはすかさず飛びかかった。
「これでも喰らえ、ゲス野郎!!」
「グハァッ!!?」
警棒が飛母屋の額にクリーンヒット。飛母屋はたまらず人質を離し、顔面を押さえては転げ回った。
「ギャアアア! いってぇ! なんだコレ、殴られただけなのに焼け焦げちまううぅ!!!?」
飛母屋はのたうち回りながら、狂ったように暴れた。畳を引き裂き、ふすまを蹴倒しても、まだおさまらない。
やがて、全身から漆黒の霧を吹き出すと、人間の身体に戻ってしまった。しかし半身だけだ。上半身だけ元の姿で、下半身はドロリとした液体だった。その姿はどこか、スライムのような不定形のバケモノを連想させた。
「いやだ、消えたくない、死にたくねぇよ……」
飛母屋が図々しくも命を惜しむ。そして這いつくばっては、どこかへと逃げようとした。
だがその先には、凜花が待ち受けていた。静かに立ち尽くし、小型拳銃(デリンジャー)の銃口をつきつけた。
「これでやっと悪夢が終わる。アンタを、この手で……」
「おいやめろよぉ! お前に、このオレが殺せるってのか!?」
「やれるよ。やれないハズがないだろ……!」
凜花は深く息を吸い込み、そして吐き出した。長い息遣いから、彼女の深い苦しみがにじみ出すようだった。
「こんな日が来るのを、ずっと、ずっと待ってた。アンタをこの手でブチ殺す事ができる日を!」
「やめてくれよ。なぁ、オレはまだ死にたくねぇんだ!」
「何度も夢に見たよ。ママが殺されるんだ。何度も、何度も、何度も何度も繰り返し。アタシ1人じゃ何も出来ない、何もしてやれない。ただ無惨に殺されるのを眺めるだけ! そんな夢を10年以上……ッ!」
銃口は、飛母屋の眉間を狙って離さない。
「今日、今ここでお前を殺す! 必ずこの手で、絶対に仕留めてやるんだ!」
凜花が叫ぶと、不意にスマホが輝き出した。そしてポケットの中から、くぐもった音声も聞こえてくる。
――適正者オオトモリンカの、Level1スキルツリーを、解放します。以後、『顕在化』のスキルが、アクティブになります。
また新しい言葉を……。そう思っていると、変化はすぐに起きた。
凜花の全身が光に包まれては、シルエットが伸びていく。それが成人サイズになると、光は消えた。
その姿は喫茶店で出会った時と同じだ。真っ赤に染めた髪を後ろ縛りにして、ライダースジャケットに身を包んだ女。構える武器もデリンジャーではなく、大きなショットガンに替えて、両手持ちに構えている。
凜花は砲身のポンプをガシャリと引き、改めて銃口を突きつけた。
「終わりだよ、クソッタレのDVゴミカス野郎。家族ごっこも、これまでだ」
「待て、待ってくれ! オレを殺さないで! 何でも言うことを聞くし、それから――――」
重たい音、そして火薬の臭い。それきり静かになった。
飛母屋は、命乞いを言い終える機会を与えられる事もなく、全身に風穴があくとともに絶命した。その身体も光の粒子となり、霞んで消えた。
すると凜花は、手にした武器を投げ捨てて駆け出した。母親も呼応して、よろよろと凜花に向かって走ろうとする。
やがて2人は抱き合った。そして互いの手を頬に当て、あるいは背中に腕を回し、体温を確かめ合う。
「ママ、ごめんなさい! アタシのせいでごめんなさい!!」
「良いのよ、私の事なんか。凜花、苦労をかけたわね……」
お互いの声が掠れて、涙でにじむ。しかしそんなもの、喜びの包容を前にしては何の問題にもならない。
「助けてあげたかった、ママを守ってあげたかっただけなの! でも、アタシが包丁なんて出したから!」
「そんな事無いわ、あなたが気に病むことはないの。それより、ママの方こそごめんなさい。男を見る目がなくて」
「ママは悪くない、全部あの男のせい!」
「そうよね。じゃあ凜花もママも悪くない。全部あのバカ男のせいよね」
「うん……うんッ!」
それから2人は、言葉もなく、ただ抱き合った。凜花の背丈は、あきらかに母親を追い越している。それでも母は母で、子も子だった。
しばらくして、母親がおどける仕草で言った。
「安心したらお腹空いてきちゃった。どこかに食べに行きましょう」
「ほんと? それ良いね!」
「好きなだけ食べても良いからね。遠慮しないで」
「それじゃ、カレーとオムライスと、ドリンクバー。あとはショートケーキ!」
「ケーキはダメよ。おやつは食べたじゃない。ジュースも飲んでいいけど甘いのはダメ。お茶か野菜ジュースにしなさいね」
「えっ? じゃあ果汁のジュースはいいでしょ?」
「果汁ねぇ、どうしようかしら。それも甘いと言えば甘いし」
「だってビタミンとれるじゃん! 身体に良いんだよ? こないだテレビで言ってたんだけどさ」
「ふふっ。なになに、教えてくれるの?」
2人は連れ添って、玄関へ向かっていった。すると、辺りはまばゆく輝き出し、あらゆるものが霞んでいく。もはや壁も、天井も、床もない。たった1つだけ残された扉に向かって、母子が歩いていくだけだ。仲睦まじく、寄り添いながら。
そして、母親が扉を開いた瞬間、世界は光で溢れかえった。あまりの眩しさに目を閉じてしまう。しかし不快には思わない。何か赦(ゆる)されるような、穢(けが)れが吹き飛ぶような、あたたかい希望に満ちた光だと思った。
――サイコダイブを終了し、ディープゾーンから離脱します。おつかれさまでした。
そんな音声が聞こえるなり、目を開いた。見えるのはガレキの山、薄暗い室内、積み上がる家具の上に降り注ぐ砂埃。ここは喫茶ドゥテイル跡だった。
「現実に戻った……って事だよな?」
隣からうめき声が聞こえる。身を起こしたのは凜花で、頭を左右に振りながら言った。
「何だったんだよ、今のは……」
凜花の瞳は赤く腫れていた。オレがジッと眺めていると、相手も感づいたようで、顔を横に向けた。
オレも、何をするでもなく、離れた位置で床に座った。きまずい。いっそこの部屋から出ていこうか、などと考えていると、向こうから声をかけてきた。
「ありがとよ」
消え入りそうなくらい、小さな声だった。
「何が?」
自分で言っておいてなんだが、割と酷い返しだと思う。それでも、凜花は気分を害したようではなく、会話を続けた。
「さっきのだよ。あれは夢みたいだったが、夢じゃない。どう言っていいか分からねぇが、そんな世界だった」
「スマホによると、ディープゾーンって場所らしい」
すると、スマホがブッブと震えた。そして、いつもの音声を響かせた。
――ディープゾーンとは、潜在意識が生み出す精神世界を指します。原則的に、深く心に刻まれた風景や出来事を映し出す事が多いです。
そこでスマホが黙る。オレたちもつられて黙ったのは、理解が追いつかないからだ。荒唐無稽な夢物語と笑ってしまいたい。しかし、あの世界での出来事はあまりにも鮮明で、夢や幻と言うには生々しすぎるとも思う。
「じゃあ、あれはアタシの心の中だったって事だな」
「スマホの言葉が正しいなら、おそらく」
「つうかさ、アンタは何者なんだよ。そんな妙なスマホを持ち歩いてて。どこの店で買ったんだか」
「オレが聞きたいくらいだ。ある日、オレは訳の分からん部屋に閉じこめられた。全てはそこから始まったんだ」
それからは身の上話で、これまでの経緯を説明してやった。作り話のような内容でも、凜花は真面目な表情を崩さなかった。
「なるほどね。結菜ちゃんってのが、攫われたお姫様かい?」
「見つけてやると約束した。だからオレは、アイツを探し出す」
「生きてっか分かんねぇのに? 外の様子を見たろ。どこを見ても廃墟しかねぇ。だから今頃、無事でいるかなんて――」
「もしもの時は、オレが葬ってやる。そして結菜が今までどうやって生きてきて、そして命を落としたか、全てを調べ尽くしてやるんだ」
「マジかよアンタ……」
「本気だ。オレはもう2度と自分を誤魔化さない」
そう言って、オレは拳を自分の胸に押し当てた。そうだ、誤魔化しちゃいけない。
親が結菜を忘れろと言ったから、先生や友達も連絡先を知らなかったから、引越し先も知らなかったから、調べる手段が何もなかったから、忘れてしまって良い。
そんな言葉で自分を納得させてしまった。そして、勉強やバイトで忙しくするうち、意識の奥深くに結菜という存在を埋没させてしまった。
アイツは今も待っている。あの花火の事件以来、離れ離れになった時から、時計は止まったままなんだ。
「今度こそ、オレは言い訳しない。どんな困難があろうとも、必ず辿り着いてみせる」
「そうかい……。それなら、アタシも連れてけよ」
「どうしてそうなる?」
「こんなクソみてぇな世の中になっちまった。アンタとつるんでる方が生存率があがりそうだからな。良いだろ?」
「まぁ、別に。邪魔しないならな」
「おっし、契約成立だ。背中は任せたからな、相棒」
凜花が屈託なく笑った。どこか、あどけなさを残すもので、それは幼い頃の凜花を思わせた。
続けて凜花は手を差し出してきた。握手のつもりだろう。クソオス呼ばわりされた時に比べれば、破格の待遇だと言えた。
差し出された手を握ろうとした瞬間、間が悪い事だが、スマホの通知が鳴った。
――適正者オオトモリンカの同行を許可しました。以降、覚者キドウワタルのスキルが一部、共有されます。
その言葉とともに、液晶画面にプロフィールらしき物が現れた。
「これは……凜花の名前と、顔写真。あとは経歴か?」
「すっげ。どうやってそんな情報を集めたんだよ。アタシは書いた覚えなんて無いけど」
「あとは、端っこの方に好感度ってのがあるな。81ってどうなんだ?」
「おい待てやめろ」
「説明文があるな。50で知人、60が友人。70だと気になる存在で、80からは――」
そこで凜花にスマホを奪われてしまった。凜花の頬は、泣き腫らした目よりも赤く染まっている。
「おい、何するんだ。返せよそれ」
「うるっせえ! 細々と読むな、個人情報だぞ!」
「いやいや、オレのスマホだし。マジで返せよ」
「うっせぇ、うっせぇよ! アタシも仲間なんだから、こっちで管理してても構わねぇだろ!?」
それから、しばらくの間は面倒だった。「返せ」を8回繰り返したところで、ようやくスマホを取り戻す事ができた。
凜花はやたら騒がしく、面倒なところのある奴だが、仲間が増える事は心強い。同行してくれるのは素直に嬉しく思う。好感度の解説については後回しだ。こいつが寝静まった頃にコッソリ確認する事にしよう。
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