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第100話 歪むディープゾーン
インフォの呼び出しに応じてみると、飛んだ先で大介と顔を合わせた。少し気まずくて、お互いに曖昧な会釈。謎の罪悪感から、なんとなく申し訳無さそうに感じられた。
しかしそれよりも、周囲の異変に眼を奪われた。
「ここは、インフォのディープゾーン……なんだよな?」
凜花が視線をさまよわせて言った。うろたえるのも無理はない。付近の光景は、純白の部屋なのだが、たまに激しく歪む。テレビの配線が緩んだ時のように、時おり毒々しい色彩の線が横切っては、光景が瞬間的に歪むのだ。
しかし家主のインフォは平然と待ち受けていた。今となっては見慣れたテーブルの傍で腰掛けている。
「忙しい中に呼び出して済まないね」
インフォはそう言っては、静かに微笑んだ。彼もまた周囲と同じように、謎の線で身体を歪めた。しかし苦しむようではない。平然とした態度で、膝にはノゥラを抱いている。
「インフォ。これは何事だ」オレは咎める口調で言った。そして周囲に視線を配ったのだが、脅威らしきものは見当たらない。ただ、不快にもろもろが歪むばかりだった。
「少し立て込んでいてね。だから普段のように、もてなすだけの余裕もない。無作法を許して欲しい」
「そんな時にわざわざ呼び出したのか。後にすれば良かったろ」
「いや、今を逃すわけにはいかないと思えたのでね」
「何だよそれ」
オレは眼を細めて睨んだのだが、インフォの釈明は終わりだった。咳払いをしたかと思うと、別の話題を持ち出したのだ。
「それはそうと鬼道渉。もうじき目的地に辿り着くようだね。さぞや感慨深いことだろう」
「まぁな」
「君は叶井結菜を救い出せると思うか?」
「どういう意味だ」
「すでに察しているかもしれないが、叶井結菜は囚われの身だ。それは強力な覚者の仕業であり、容易に攻略できる相手ではない」
「それがどうした。指の1本も動く限り、オレは最善を尽くすぞ」
「その背後には、君にとって最大の敵とも言えるロイド・アルコウスが控えている」
オレはインフォのかもしだす気迫に、息を飲んだ。凜花たちも口を挟めず無言のままだった。
「ロイドって、あの……」
「そう。我らアップスの中で、最も過激な思想を持つ男だ。地球の民を何らためらわずに滅ぼす。そしていざ戦うとなれば、圧倒的な力で蹂躙する事だろう」
「奴なら突然、真宿に現れたぞ」
「そうだ。以前に君たちが死闘を繰り広げた不死なる怪物『ノスフェラトゥ』は、ロイドが生み出した。だから様子が気になったのだろう」
「あいつの差し金だったのか!」
オレが吠えると、インフォはなぜか左の方を覗き込む姿勢をとった。そちらは壁しか無い。何かあるのかと思っても、ただノイズが走るだけだった。
そして向き直ったインフォは、またもや咳払いをした。
「失礼。なんの話をしていたか……」
「ロイドが不死のバケモノを生み出したって話だ」
「そうだった、済まない。ロイドは地球の民を排斥する思想を持つ。しかしアップスの総意を得るには立証が必要だ。そのため彼は一計を案じ、件の怪物をアニマで生み出したのだ」
「オレたち地球人を片っ端から殺すためにか!」
「少し、違う。ロイドは、あるものを実証するために動いた。それは地球の民の『残忍さ』だ」
「……どういうことだよ」
「残忍さ、貪欲さ、狡猾さ。およそ褒められたものでない悪徳で、地球の民が汚染されていることを証明しようとした。それは成功した」
「分かるように言え」
「ノスフェラトゥは実在する者ではない。残留思念にアニマを与え、それを具現化してみせたのだ」
「分かるように言えと……!」
オレは苛立ちから、声を大にして解説を求めようとした。それよりも先にインフォが補足した。
「理屈としてはこうだ。かつての真宿で生まれては消えていった、感情や想いを実体化させたということだ。もし、具現化によって生まれた生物が善良であったら、地球の民も良き者たちだと証明できる」
「いや、つうことは……」
「残念なことに、生まれたのは殺戮を愉しむ恐ろしき魔物だった。つまりアップスの者たちは、地球の民が邪悪であると再認識した」
「待て、あんな快楽殺人をやらかすなんて、めったにいないぞ! それこそ犯罪史に名を連ねるような――」
「繰り返しになるが、さまざまな想いを『1人』に集約したのだ。その生命が悪に傾いたのだから、反論のしようもない」
「無茶苦茶だ。そんな理屈で、地球の全員を判断するなんて」
「お前の代わりはいくらでもいる」
「なんだと!?」
オレは唐突な暴言を浴びせられ、反射的に立ち上がった。そして拳を握りしめるのだが、インフォは片手を挙げて「落ち着け」とサインを送った。
「残留思念の中でも色濃かった言葉だ。お前の代わりはいくらでもいる。どんな手を使ってでも成果をもってこい。寝てる暇があったら働け」
「それは……」
「ロイドは不正を働かなかった。残留思念をそのまま、素直に活かした。それが故に、彼はとてつもない説得力を得た。検証した結果アップスの民は、君たちとの共存を拒む決定をくだした」
「共存しないなら、オレたちはどうなる?」
「焦土だ。もはや覚者もゾーンもない。地球のあらゆるものが焼き払われる。さながら、お隣の惑星のようにね」
オレはふと、火星の姿を思い浮かべた。どこまでも赤く、渇ききった世界だ。地球もあの姿に変えられてしまうのか。
そう思うと、腹の奥で何かが煮えた。
「フザけるなよ……。お前たちは一体何様だ! 神様気取りもいい加減にしろ!」
「私も同意見だ。我らは地球の民の独立独歩を、乱すべきでないと思う」
「どうしたらいい、ロイドの奴をぶちのめせば解決か!?」
オレの言葉にインフォが眼を見開いた。そして凝視しながら声を震わせた。
「君は恐ろしくないのか。ノスフェラトゥとは比較にもならない力を持つ、あの男が」
「あいつが諸悪の根源だ。だったら倒すしかないだろ!」
「ふふっ、そうか。そうでなくては困る……」
「笑うなよ、本気だぞ」
「いや失敬。心が踊ると言うか、心地よいと言えば良いのか……君の反応がとにかく好ましくてね」
「馬鹿にされた気がする」
「私はできるかぎりのサポートをしよう。それがせめてもの餞別なるだろう」
「別に期待してない。そもそもお前を信用しきってないからな」
「手厳しいな。私は命がけだというのに」
「何だって?」
その言葉は不吉に響いた。そうなると、このノイズまみれの部屋も、いっそう禍々しいものに思えてくる。
「インフォ。お前は今どこにいる?」
「見破られたか。ご明察、私は今、とあるところに隠れているよ」
「命がけって言ったな。それと関係あるのか?」
「ロイドを止めねばならない。止めることは出来なくとも、せめて時間稼ぎくらいはな。その間に鬼道渉、君が進化してくれたなら、あるいは」
インフォがそこまで言うと、別の声が響いた。「近くに隠れている、よく探せ!」という、緊迫したものだった。
「どうやらこれまでらしい。もう会うこともあるまい」
「待てよインフォ」
「一度で良いから、君にはティーを振る舞いたかった。妻が愛した品種でね、気に入ってもらえたろうと思う」
「待てと言ったろ!」
「さらばだ友よ」
オレは立ち上がり、インフォに詰め寄ろうとした。しかし、肩を掴もうとしたところ、手がすり抜けた。さながらホログラムだ。インフォがここに居ないのは偽りようのない事実だった。
まもなく視界が白みだす。光が弾けて、一面が真っ白だ。
「オレたちを追い出すつもりか、インフォ!」
その声は届かなかった。インフォの代わりに、スマホが無機質な返事をした。
――ディープゾーンから帰還しました。お疲れ様でした。
視界が戻った頃、真宿の景色が見えた。車線の向きと90度横を向いた車内に、オレたちは戻されていた。
「インフォのやつ、意味深だったよな……」凜花が言うと衣織も「まるで何かに追われてるようでした」とつないだ。
そして2人は無言のままでオレを見た。
「ハッタリだろ。それか、タチの悪い冗談だ」
そう言いながらスマホをまさぐった。電話帳、チャット画面とチェックをしたのだが、インフォの情報がどこにもない。思えば、いつも一方的に呼び出されるだけで、こちらからコンタクトをとった試しはなかった。
「大丈夫。きっとまた会えるさ」
「でもよワタル……なんか嫌な予感がこう、ヤバいんだが」
「オレたちがインフォにしてやれる事がない以上、祈るしかない。行こう」
オレが続けて「切り替えるぞ」と言うと、それ以上は議論にならなかった。車も静かに前進し始めた。
移動中の会話は少ない。空気が重たいこともあるが、何より、外の変化が乏しかった。動くもののない整然とした道路を、ひたすら走るだけだった。
「霧が出てきたな……」凜花がハンドルを握りながら呟いた。
「千夜田に入った証だろう。いよいよだな」
「それは良いんだけどよ。だいぶ濃いぞ、先が見えねぇ……」
ついにやって来た。このエリアのどこかに結菜は囚われている。待ってろ、あと少しだ。オレはそう呟いては、白く染まるフロントガラスを睨みつけた。
時おり、脳裏にインフォの姿がよぎった。切り替えよう。そんな言葉とともに、不吉な予感を脇においやった。
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