第103話 男は院長と名乗り

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第103話 男は院長と名乗り

 打津木医院と表札には書いてある。しかしその敷地は広大で、大学病院かと見紛うほどだ。駅前の1ブロックを占有しており、中庭も建物も大きい。  これほど立派な病院が、果たして秋葉腹駅前にあったかは記憶にない。もしかして、アニマで建てたのでは、と思う。 「この中に街の連中は入ったのか……?」  何百人もの数が押しかけたにしては、不気味なほど静かで、人の気配は感じられない。オレ達が無言になると、静寂の方が耳につくくらいだ。 「庭に何人かいるんですね」  衣織が指す先には、ほうきを握りしめた人たちが掃き掃除をしていた。ただし、掃く仕草がつたないので、ゴミも落ち葉も集めきれず、それほどキレイではない。やらないよりマシという仕事ぶりだった。 「庭なんてどうでもいい。突っ切るぞ」  オレたちは大木の幹や、リヤカーの陰に隠れながら庭を突破した。ときどき、住民たちの傍を通ったが、何も起きなかった。彼らは一様に前かがみになりつつ、頭をダラリと下げながら、足元をほうきで掃くばかり。番人の役割は果たしていなかった。 「病院の中はどうだ、入れそうか?」入口付近で壁に張り付くと、凜花が背後で囁いた。オレは壁から顔を覗かせ、入口から内部の様子を窺った。「人の姿はないな」  見えるのは燦然と輝く室内灯、整然と並ぶ待合室のソファ、そしてガラス張りの自動ドア。脅威はどこにも感じられない。しかし、廃墟がひしめく街の中で、ここだけ整備されたのは異様だった。アニマを使ったにしても文明度が高すぎる。少しだけ圧倒されて唾を飲んだ。  それと同時にオレは確信する。ここに結菜は閉じ込められていると。千夜田にある病院で、ゾーンの恩恵を受けた施設。怪しいなんてもんじゃないし、ここ以外にあり得ないとすら思う。 「見張りはないな。中へ入ろう」 「待てよ、もう少し情報を集めてからのほうが」  凜花が止めるのを無視して、オレは堂々と入口から入った。外から眺めて分かることなんて、それほど多くはない。  自動ドアを開けると、まずヒヤリとした空気が肌を打った。空調だ。冷房がついているのだと、天井を見て理解した。 「エアコンか……。電灯もそこらじゅうでついてるし、ここは大量の電気を生み出してるのか」 「ワタル、大丈夫か?」  凜花たちがオレの後に続いてきた。その顔には、少し咎めるような色が差している。 「見ての通り、何も起きてない」 「お前さぁ……焦る気持ちは分からんでもないが、先走りすぎだぞ」 「受付には誰も居ないな。誰か居るとしたら奥だろう」 「おい待てって……。クソッ、聞きやしねぇ」  この病院は2階建てだった。フロアマップにもそう書いてある。だが記憶が確かなら、結菜は地下に囚われていると言った。しかしマップにも、ここから見える範囲にも、地下へ続くルートは見当たらなかった。階段も登りしかない。 「地下か……、地下といえばボイラー室あたりか? それとも秘密の入口でもあるのか……」 「ワタル、もうちょっと警戒しろよ。誰かに見つかったらどうする気だ」 「とりあえず右手の通路に行ってみよう」  受付から見て左右に通路が続いている。右手には二階へ続く階段と、診察室がいくつか並んでいた。  診察室はいずれもドアが開いており、そして中には誰も居なかった。診察台とカラの戸棚が寂しげにあるだけだ。ゴミやガラス片が散乱するといったことはなく、やたら整然としており、単純に無人というだけだった。 「診察室は3部屋か。どれも似たようなものだな」  オレがきびすを返して、来た道を戻ろうとした。すると衣織が「ひぃっ」と短く悲鳴をあげた。 「どうした衣織?」 「い、いま、窓の外に何か通りました」 「住民じゃないのか?」 「それにしては、人ならざるものと言いますか……。トカゲみたいでした。二足歩行の」 「何……?」オレは震える衣織の視線をたどり、診察室の窓を覗いてみた。焼却炉と小さなプレハブ倉庫が見える。それだけだった。 「さすがに見間違いじゃないか? 姿形をハッキリと見たのか」 「そう言われると自信がないです。ほんの一瞬、ちらりと過ぎっただけなので」 「そうか……。ともかく教えてくれてありがとう。人外の何かが潜んでる可能性も、頭に入れておく」      それから間もなく受付まで戻った。今度は左手側の通路へ向かう。そちらは途中で二股に分かれており、方や別棟につながる自動ドアで、もう一方は食堂に続いていた。 「伏せろ2人とも。人がいるぞ」  オレは観葉植物に隠れつつ、凜花たちに向けた手のひらを下に向けて仰いだ。身を屈めた2人が、オレの背後に並んだ。 「ほんとだ。すげぇ数だな……」  凜花が半ばあきれたような声で言った。入口が解放された食堂は広大で、ぎっちり詰め込むようにテーブルが並べられていた。そこに先程の住民たちが行儀良くも座り、何かを口にしていた。  食器はお椀がひとつだけで、箸もフォークもない。全員が手づかみで食事していた。手のひら大で、毒々しい赤色の何かを、無言のまま頬張っている。まともな料理ではないだろう。離れていても分かる程度には粗悪のようだった。 「あれは生肉? まさかな。こんなご時世で牛の入手なんて難しいし」凜花が大きくかぶりをふった。 「もし牛肉だったらどうする気だ?」 「ん? まぁ、ちょっとくらい分けてくれねぇかなと思ったりね。新鮮な肉なんて1年近くご無沙汰だし」 「我慢しろ。全てが終わったら食わせてやる」  オレは観葉植物から飛び出し、食堂のドアに張り付いた。中を覗き込んで見えたのは、肉に食らいつく住民たちと、食事にありつこうとする長蛇の列だ。  百名にも及びそうな列は、厨房まで続いているのだが、不満の声は聞かれなかった。誰もが頭を垂れて揺らしながら、列が進むのを待っていた。  そこまで目視すると、再び凜花たちのもとへ戻った。 「どうやら食堂には、階段や別室に繋がる扉はないみたいだ」 「あのな、危ねぇだろワタル。誰かに見咎められたら、アタシらは袋のネズミじゃねぇか」 「いや、恐らくは平気だ。亡者のような住民たちは、オレの存在なんて気にも留めていない。騒ぎになることはないはずだ」 「そうかもしんねぇが、危なっかしくて見てらんねぇよ」 「ともかく食堂は探索不要だ。次は別棟に行ってみるか」  オレがそう告げた時だ。不意に背後から人の声が聞こえた。 「あまり無断でウロつかないでもらいたいね」    とっさに振り向く。すると食堂から、白髪頭の男が現れた。上に羽織る白衣に汚れはなく、新品同様で、神経質そうな銀縁眼鏡をかけている。 「誰だアンタは……!」 「それはこちらが訊きたいくらいだが?」男は中指で眼鏡の位置を直しては、正論を吐いた。確かにオレたちは侵入者も同然で、名を名乗るのが礼儀だと思う。 「オレは鬼道渉。幼馴染の女を探しに千夜田までやって来た」 「こんなご時世に物好きな事だ……。いや待てよ、君はキドウワタルという名なのか?」男は右の眼尻を持ち上げながら言った。 「それがどうした」 「なるほどそうか。君が……ねぇ」  男は口元を歪ませると、気配を変えた。とたんに仕草は砕けたものになり、両手を広げる仕草を見せた。まるで『オレたちを歓迎する』とでも告げるかのように。 「私は打津木。ここの院長だ。今から少し話をしないか? 立ち話ではなく、そうだな、応接室に案内しようじゃないか」 「良いだろう」  オレたちは白髪の医者についていった。受付の前を素通りして、階段を登って2階へ。  その道すがら、打津木が「なるほど、この男がねぇ……」と呟くのを、オレは聞き逃さなかった。
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