第4話 トモダチでもいいから

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第4話 トモダチでもいいから

 謎の化物は、身を屈めながら扉をくぐって現れた。頭が天井に届くほどの巨体で、オレは首を上に向けないと、相手の表情を読み取ることができない。大人と子供の体格差。そんな言葉が脳裏をよぎった。 「なんなんだよ、コイツは……!」  筋肉で膨れ上がった身体も、身体を包む1枚布のローブも、コールタールのように真っ黒だ。ただ、瞳だけが赤く、凶々しい光を宿していた。  その赤い瞳が鉄格子を凝視した。正確に言えば、女の方を見ていた。それに気づくなり、オレは叫んだ。 「逃げろ。コイツはお前が目当てのようだぞ!」 「えっ、でもワタル君は……」 「オレの事は良いから、さっさと行け!」  オレは鉄扉の方へ駆けた。足がもつれる。それをどうにか立て直し、化物の方へ振り向いた。背中が大岩のように見えて、ゾワリとした寒気が腹で響いた。 「どこ見てんだよ、オイ。バケモノめ、お前の相手はこっちだぞ!」  声が明らかに震えている。それでも構わず挑発した。だが化物は女の方を見るばかりだ。そしてこちらには一瞥(いちべつ)もくれず、おもむろに身体を縮めた。  すると次の瞬間、そいつは目にも止まらぬ速さで走り出した。正面は鉄格子。そこ目掛けて肩から体当たりを仕掛けた。凄まじい衝撃で建物が激しく揺れる。震災かと思える程で、立っている事すらままならない。 「おい、逃げろって言ったろ! お前は足手まといなんだよ、さっさと行け!」  そう叫ぶと、巨体の向こう側で、駆け去る足音が聞こえた。女の安全は確保できた。あとは化物をどう対処するかだった。 「少しはオレと遊んでくれよ、なぁ。いい加減こっちを向け――」  化物はオレには全く注意を向けない。それどころか、もう一度身をかがめてから、鉄格子に体当たりした。激震の後、鉄格子はグラリと揺れた。天井の結合部分からは、コンクリート片が落下しはじめる。半壊状態だ。  それはもはや障害になり得なかった。化物は鉄格子をあっさりと蹴倒し、通路の奥へ歩き去った。あの女が逃げた方だ。他には目もくれない。 「待てよ、この野郎! そっちに行くんじゃねぇ!」  追いすがり、背中に蹴りをいれた。化物の歩みは止まらない。続けてスネを蹴り、横腹を殴るが、やはり止まらない。鋼鉄相手にケンカしたかのようで、むしろオレの手足が痛んだ。 「クソが! なんでこんなバカ硬いんだ――ッ!?」  そのとき、化物が腕を払った。そのささいな反撃で、オレの身体は紙きれのように吹き飛ばされてしまう。背中から壁に叩きつけられて、意識が消し飛びそうになった。口の中で血の味を感じたところで、どうにか気を保つことができた。 「フザけんじゃねぇ……。アイツには、絶対に手出しさせねぇからな」  目が回る、吐き気が込み上げる、膝から下が言うことをきかない。それでも壁を伝って歩き、やがて突き当りまで辿り着いた。  唯一の部屋は右手側。木製の扉が破られており、化物も中に居た。一面が白い部屋だ。そこにただ1つ置かれたパイプベッドの下に、女は隠れていた。  しかし、すでに化物が見つけた後だった。大きな手でベッドを掴んで投げ捨てると、女を守るものは無くなった。 「待てよ、そいつに手を出すな!」  背後から飛びついた。首筋に歯を立てて、肉を噛みちぎった。化物が吠える。さすがに効いた。かじりとった皮膚を吐き捨ててから、もう一度噛みつこうとした。  だが、あえなく振り払われてしまう。床に倒れたオレは、さらに横腹を強く蹴られた。何かの弾ける音が聞こえ、それに遅れて腹の底から血を吐いた。白い床に真っ赤な花が咲く。 「逃げてワタル君! 私は大丈夫だから!」  女が叫ぶ。何も大丈夫じゃない。化物は女を片手で制圧すると、女の服を引き裂いていった。セーターも、ブラウスも破り捨てても止まらず、すかさずスカートに手をかけようとした。  オレは薄れゆく意識の中、その光景を眺めていた。また負けた。また守れなかった。どうしてこうも弱いんだと思うと、奥歯がギシリと鳴った。 「許せねぇよ。こんなの、絶対に許せねぇ……!」  弱すぎる自分も、力任せに悪事を働く化物も、そんなヤツをのさらばせる社会も、何もかもに腹がたった。  憎悪が、憤りが胸の中を焦がす。すると、指先が動いた。足も、腕も動く。身を起こそうとした時、全身がバラバラになるような痛みが走ったものの、なんとか立ち上がる事ができた。  つまり、まだ戦える。 「武器。せめて、なにか武器を……」  かすむ視界で何かを探す。そこで、靴先が何かを蹴った。その拍子で床を滑るのは、例のスマホだった。 「武器……とは言えねぇが、角で殴れば多少は……」  この際ヤケだ。どうせオレは助からない。じきに死んでしまうだろう。だったらせめて運命に抗いたい。勝てなくても、戦った事実くらいは残したかった。 「お前も、お祭りの犯人も、クソクソのクソ野郎だ」  化物は女に上からのしかかろうとしていた。その背後から、一歩、また一歩と迫ってゆく。足の感覚はほとんどない。ただ祈る。届け。化物に最後の一撃を喰らわせるチャンスを、どうかオレに。 「なぁバケモノ。力づくで人を悲しませるのは、そんなに楽しいか? 面白おかしいもんなのか?」  あと5歩。 「あの日のオレはな、ただ花火を見たかったんだよ。キレイだねって、アイツにさ、喜んで欲しかっただけなんだよ」  あと3歩。 「全部、何もかもブチ壊しにしやがって。てめえらに何の権利があるんだ! 何様のつもりだバカ野郎!」  1歩。 「これは結菜の仇だ。アイツの無念を、少しは味わいやがれーーッ!」  スマホを両手持ちにして、頭上にかかげた。振り下ろす。だがその瞬間、液晶画面がまばゆく輝き出した。目が眩む程の閃光に、思わず両目をつむった。 「なんだこれ、まぶし……っ」 「ギィヤァァァーーーッ!!」 「バケモノが、苦しんでる!?」  閃光は一瞬だった。ふたたび眼を開けてみると、化物は床に倒れ伏していた。胴体が切り裂かれて真っ二つ。その身体も、黒い霧を吹き出しながら、音もなく消えていった。  あとには白い部屋があるばかりだ。 「バケモノが消えた……。つうか、アイツはどこだ!?」 「私なら無事だよ、ワタル君」  その声が聞こえた途端、眼前に光の粒子がきらめいた。女は姿を現した。しかし、足が床を離れて宙に浮くという、異常さをみせていた。身体も半透明で、向こう側の壁が透けて見えた。 「お前、いったい何者なんだよ」 「知りたい? もう薄々と感づいてるんじゃない?」 「まさかとは思うが、結菜……?」 「大正解――と言いたいところだけど、ちょっとだけ違うの」 「ちょっと、とは?」 「私は本物じゃなく、ワタル君の潜在意識が映した私なの」  なるほどなるほど、そういう理屈か。完全に理解できたぜ――とは、微塵も思わない。   「何言ってんだお前、マジで」 「つまりね、実際の叶井結菜(かないゆな)じゃなくて、ワタル君が心のなかで想像した、大人になった結菜。そう言えば分かりやすいかな」 「分かったような、分からんような……」 「まぁ正確には、実在の結菜の意識もちょっとだけ混じってるの。そのスマホのおかげで、本当の私も少しだけ入り込めたんだ」 「わかるように言えよ。つうかオレは瀕死の重傷で、今にも死にそう……?」  気づけば痛みも目眩もない。手足の感覚もしっかりある。せいぜい服がホコリで汚れたくらいだ。 「あんだけ痛かったのに、どうして……?」 「ねぇワタル君。答え合わせしてもいいかな」 「なんのだよ」 「あれからの私。事件のあと、何が起きたのかを、結菜視点で」  オレは唾を飲み込んだ。もちろん拒否はない。だまってうなずき返した。  すると突然、辺りに様々な光景が映し出された。まるでプロジェクターをそこかしこに並べたかのようだった。それぞれの画面からは、断片的な声が聞こえてくる。 ――おいオッサン、何してんだ! その子を離せよ!  これは高校生だ。結菜を救出したシーン。流れるような型の美しい拳打で、犯人を瞬時に打ちのめしてしまう。結菜の衣服に乱れはあるが、最悪の結果だけは免れたと分かった。 ――ねぇママ! ワタル君は!? ちゃんと生きてるの? それとも、それとも……!  これはタクシーの中か。結菜が泣きわめいている。母親は忘れろと言うだけで、オレの時と似た返事だった。 ――ではお母さん、結菜ちゃんは当院で責任持って引き受けます。ご安心ください。何かと不安定な思春期には珍しくありませんので。焦らずゆっくり療養しましょう。  今度は白髪の医者だ。繰り返し頭を下げる母親とは大将的に、結菜は終始うつむき、身じろぎ1つしなかった。 「これが、お前から見た、事件の後……?」 「それで、極めつけはこれね」 「まだあるのか――うわっ!」  手元のスマホがきらめく。すると、宙に映し出された光景の数々が消え、代わりに1つの一枚絵が現れた。スマホのブラウザ画面が、そのまま現実世界に飛び出したかのようだった。 「なんだこの文章は……。もしかしてブログか?」 「そう。ママが書いたやつ。苦しんでたのは私だけじゃ無かったんだなって、教えてくれたの」  そこには、淡々とした文面に、事の顛末が書かれていた。言葉の端々から、母として、それと人としての苦悩が見えるようだった。 ――娘が変質者に襲われてから3日目、捜査員がやってきた。話があるので署まで来て欲しいとのこと。  夫とともに向かってみれば、取調室ではなく、署長室に通された。  おざなりのお茶と菓子が出された後、署長の口からはとんでもない言葉が飛び出した。  被害届を取り下げてほしいと。  私は涙が出るほど腹がたった。夫も語気を荒くして抗議した。しかし犯人は、有力者と血縁関係にあるらしく、大事にはできないとあしらわれてしまった。  それから茶封筒が渡された。口止め料だ。もちろん怒ったけれど、受け取らないと『さらなる不幸』が起きると言う。  結局は受け取るしかなかった。家族の安全を保証する為にも、汚い金を受け入れる必要があった。全てを口外しない事も条件に加えられた。  この町にはもう居られない。引っ越しを決意して早々に逃げ出した。結菜は身体そのものは問題ない。心のケアは引き続き注視する。  それにしても心配だ。あの勇敢な高校生は許されたのだろうか。危険をかえりみず抵抗してくれた渉くんも、この先何の危険もなく、暮らしていけるのだろうか。  何かしてあげたい。助言のひとつも伝えるのが筋だ。しかし私たち一家は監視されているらしい。下手に動けばヤブヘビになりかねない。後は運を天に任せるしかなかった。  それにしても、なんていう世の中だろう。ここまで醜く、おぞましいものだとは。どこまでも腐りきっている。せめて結菜が健やかで、幸せに生きられるよう祈るばかり。 「これ、おばさんが書いたのか……」 「ページは今も非公開設定だね。この事件は、墓場まで持っていくつもりかもね」 「おばさんも苦しんでんだな」 「そうかもね。いつも疲れた顔してたもん」  結菜がそう呟くと、ブログの画面も消えた。辺りは白い部屋があるだけだ。  あらためて結菜と向き合おうとした。しかし、その姿はどこにも見当たらなかった。その代わり、声だけが耳に届いた。 「ワタル君。これでチュートリアルは完了だよ。お疲れ様でした!」 「おい待てよ。お前はどこに行くんだ?」 「私は実在しないもん。チュートリアルをクリアするためだけに生まれた、人工知能みたいなものだよ」 「なんだよそれ……。人の心をもてあそびやがって。このクソスマホが!」  いまいましくスマホを睨むと、結菜が言った。 「ねぇワタルくん。私の事、好き?」  「ハァ? 急に何いってんだ!」 「どうなのどうなの? 好きなんじゃないの?」 「知るかよバカ! いきなりすぎんだろ!」 「えへへ。そうだよね。昔の幼馴染がいきなり現れても、反応に困るもんね」 「別に、困っちゃいねぇけどよ」 「ねぇ、気が向いたらさ、本物の私に会いに来てよ。好きじゃなくても良い。トモダチとしてでも良いから……」 「会いに来てって、お前はどこに居るんだよ?」    結菜の、小さく笑う声がした。小首を傾げた時によく耳にしたものだった。 「大きい病院の、地下にある病室だよ。ずっと、ずうっとそこに居るの」 「なんて病院だ。あと所在地は?」 「ん、ごめん。知らないんだよね……アハハ」 「お前は世界に病院がいくつあると思ってんだ? 片っ端から探せと?」 「ごめんごめん。日本だし、都内だってことは間違いないよ! それと、たぶん23区内。でも分かるのはそこまでかな、看護師さんも教えてくれなくって」 「チッ……仕方ねぇ。探し出してやるよ。だがな、時間がかかる事は覚悟しろよ? ろくな手がかりがねぇんだから!」 「もちろんもちろん。お婆ちゃんになっても待ってるから」 「そん頃にはオレもジジイだ。フガフガ総入れ歯で、たぶんボケてる」 「じゃあボケ老人どうし仲良く、お茶でも飲もうよ。昔話したりして」 「そうなる前には、必ず見つけ出してやる」 「うん、ありがと。私も早く逢いたいよ」  その言葉を聞くと、室内に光の粒子がこぼれた。そして最後に「気をつけてねワタル君」とだけ聞こえて、声も消えてしまった。 「まったく、とんでもねぇ事になってきたな……」  例のスマホを見てみる。液晶画面には何かの見取り図が表示されており、その端に『EXIT』の文字が浮かんでいた。 「出口……? あっ、あの施錠されてた扉!」  オレは駆け出した。通路に出て破られた鉄格子を踏み越え、結菜の家らしき部屋を過ぎてT字路へ。正面に見える施錠されていた扉は、すでに開かれていた。その先には、眩しいほどの日差しが降り注いでいる。  念願の脱出はもう成ったも同然だった。 「よし、行くか。待ってろよ結菜!」  オレは屋外へ出るなり、左右を見渡した。辺りは高いブロック塀に覆われており、敷地外の様子は分からない。出口を求めてさまよう。すると、正面口と思わしき場所に出た。  その時に見た光景を、オレは生涯忘れる事はないだろう。 「はっ、ははっ。まだ夢から覚めてない……とか?」  そこに文明はなかった。正確に言えば、滅んだ跡だけがあった。ビルも車も電柱も全てが壊されており、そこかしこに、廃墟同然の光景が広がっていた。
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