第7話 ループ地獄

1/1

3人が本棚に入れています
本棚に追加
/8ページ

第7話 ループ地獄

 スマホが急に専門用語を吐き出した。ディープゾーンやらサイコダイブやら、知らんもんが画面にあふれてやがる。いや知るか。 「おいアンタ、しっかりしろって」  凜花の頬を軽く叩いてみた。口は半開きで、薄く開いたまぶたは白目をむいている。意識がないことは見て分かった。 「こういう時はどうすんだ? 安静にして、寝かせて……冷やす? それとも温める?」  その間もスマホはブッブとうるさい。画面は何も変わりなく、『ダイブ』というボタンが点滅していた。いっそポケットにしまおうとしたが、思い留まる。 「もしかして、やれって事か? 凜花の気絶と関係してるとか」  ボタンを押してどうなるかは、何も分からない。事態が悪化するケースもあるだろう。だが、このスマホは意外と有用だし、一応はオレをサポートしてくれる。裏切るようなマネをするとは思えなかった。 「わかった、やってみる。信じたからな!」  想いを込めてボタンをタップ。すると液晶画面から、巨大なイモムシのようなものが顔を出し、こちらに迫った。物理法則を無視したサイズ感で、人間なんかひと飲みにできるほど巨大だ。  オレは抵抗するまもなく、謎のイモムシに飲み込まれてしまった。 「秒で裏切られた! クソがーーッ!」  虫の体内をひたすら落ちていく。生々しい肉壁に何度となく触れ、転がり、どこかへ着地した。 「なんだここは……? 畳張りの部屋?」  明らかに民家の中だ。白色電灯の強い光が、ロウテーブルやタンスを照らしている。使い終わった食器がテーブルの上で積み上がり、食い散らかしたスナック菓子の袋、丸めたティッシュなんかが部屋のそこら中に転がっていた。  とりあえず虫の体内とは思えず、安堵した。しかし居心地が良いとまでは言えない。   「生活感がやばい。つうか掃除しろよ……」  周りに眼を向けてみれば、ふすま戸と、玄関に続く板張りの床が見えた。どちらへ行こうか。そう悩むうちに、突然ふすまの方から大爆笑が聞こえてきた。心臓がギュッと固くなるとともに、反射的にしゃがみ込んだ。 ――ええ加減にせぇや、あるわけないやろ! ――いやホンマですって兄さん。あれはサンタの皮をかぶったサンタクロースですわ。 ――なら合うてるやんけ! ――ドワハハハ!  テレビの音だろうか。かすかに開いたふすま戸から、向こうの様子を覗き込んだ。子供の背中が見える。女の子だ。体育座りしながらテレビを見ている。その子の表情は見えない。クスリとも笑い声が聞こえないのは、テレビの盛り上がりとは対照的だ。更に言えば、まったく身動ぎもせず、ただ体育座りの背中をこちらに向けていた。  まるでマネキンみたいだ。そう思っていると、玄関の開く音がした。バタン。閉める音で少女の身体は跳ね、やがて震えだす。  少女は生きた人間に間違いなかった。だが今度は、その異様なまでの怯えっぷりを不審に思う。 (家族が帰ってきただけだろ? 何をそんなに……)  少女の居る部屋に大人の男がやってきた。シャツとズボンをだらしなく着る20歳代と思しき男だ。瞳は濁って、髪も寝癖で散らかっている。まともという印象を受けなかった。  そしてその印象は正しかったと、すぐに分かる。 「凜花、ババアはどこ行きやがった?」 「……しらない」 「聞こえねぇよハッキリ言いやがれ!」 「ヒッ……! し、しらない! きいてない!」 「最初からそう言えよクソガキ、穀潰しの役立たずが」  男は畳を踏みつけるようにして部屋を横切ると、タンスを漁りだした。何かブツクサと文句を垂れる様子は、他人事ながら不快に思う。邪悪とさえ感じられた。 「シケてんな。種銭にもならねぇぞ」  男が、数枚の千円札を雑に握りしめるなり、立ち去ろうとした。しかしそこへまた別の大人が現れる。くたびれた顔の女で、歳は男と近いように見えた。  すると女は血相を変えて男の方へと駆け寄った。 「待って、そのお金どうするつもり!? それは凜花の給食費で――」 「うるせぇ! だったら金もってきやがれ、万札の2、3枚ぐらいよぉ!」 「そんなお金あるわけ無いでしょ! 全部アンタが使っちゃったんじゃない!」 「なんだその態度は? だったら身体売ってでも稼いでこいよクソ女ッ!」  男が女を殴り倒し、さらには蹴りを打ち込む。2発、3発と入れたところで、女は立ち上がれなくなった。 (なんだコレ……。オレはいったい何を見せられてんだ?)  この光景が、夢か現実かも分からない。そもそも巨大な虫に食われたはずで、何故こんな、見知らぬ民家に落とされたか理解できなかった。  オレが困惑するうちにも事態は動く。それまで黙りこんでいた少女が走り出し、叫んだ。その手には包丁が握られていた。ギラリと冷たい光には寒気すら感じられた。 「ママをいじめないでよ……アンタなんかパパじゃない! うちから出ていって!」  震える手が掴んだ包丁。それは殺意よりも、悲痛な想いの方が強く現れていた。10歳にも満たない子供が、刃物を持ち出して喚く様に、オレまでも胸がしめつけられてしまう。  しかし肝心の相手には、何ら響かなかったらしい。  「オレを殺せんのか、お前みたいなガキに。やれるもんならやってみろや!」  男はまったく怯まずに、少女の方へと歩み寄った。むしろ少女の方が激しく怯えて、その場で後退りした。  男は少女の手から刃物を叩き落とすと、今度は首を締めた。小さな顔がみるみるうちに紅潮していく。少女は必死に抵抗するものの、大人相手では勝負にならない。 「フザけやがってよ。陰気で生意気なクソガキが。大人なめてっと痛い目見るぞ!?」 「く、苦しい……はなして……!」 「中学ぐれぇまで食わせてやったら、ヤリ放題だと思ったんだがよ。クソむかつくんだよテメェ。このままブッ殺してやろうか? おい、どうなんだコラ!」 「やめて、しんじゃうよ……」 「あぁ死ねや、このままくたばれや。役立たずのクソガキが、保険金でも入りゃしばらく遊んで暮らせる――」  男の動きが不意に止まる。女が体当たりで止めたのかか、いや違う。彼女の手には包丁が握られている。男のシャツはみるみるうちに赤く染まり、血が床にまでしたたり落ちていく。 「テメェ、このやろ……よくも刺しやがったな……!」 「ふぅ、ふぅ、凜花に、なにするのよ! アンタのせいで、アンタがクズなせいで、私たちは不幸に……!」 「うるせぇ! 舐めてんじゃねぇぞ、ブサイクババァ!」  男はすかさず包丁を奪い取った。そして迷いなく、女の首筋に刃を突き立てた。致命傷だった。女はそれきり動けず、ただ膝をつき、そして倒れ伏した。 「どいつもこいつも、フザけやがって。このオレを馬鹿に、しやがって……」  男も、恨み節とともにその場に倒れた。少女は男の身体を踏み越えて、女のもとへ駆け寄った。 「ママ! 死なないでお願い! ワルモノはやっつけたんだから、死んじゃダメだよ、ママーーッ!」  おさない声で叫ぶ声は、すぐに言葉をなくした。泣きじゃくり、首筋から溢れて止まらない血を、小さな手が押し止めようとする。辺りが血溜まりに染まっても、1度として、手を離しはしなかった。  そこまで見て、オレはようやく我に返った。 「け、警察! いや救急車が先か!?」  オレは、電話を探そうとして立ち上がった。その瞬間だ。キンという甲高い音が響くとともに、視界は凄まじいまでの閃光であふれた。眼が痛むほどの光に、ただ瞳を閉じて耐え忍んだ。 「今度はなんだよ……!」  光が和らいだのを感じて、恐る恐る眼を開いた。そこは変わらず畳張りの民家で、皿やゴミが散らかる様も変わりはなかった。  ひとつあるとしたら、ふすま戸の向こう。血溜まりに染まる惨劇など微塵もなく、ただ体育座りする少女だけが見えた。 ――ええ加減にせぇや、あるわけないやろ! ――いやホンマですって兄さん。あれはサンタの皮をかぶったサンタクロースですわ。 ――なら合うてるやんけ!  同じだ。さっき見た。聞き覚えのあるトークと、まったく笑いもしない少女。過ぎ去ったはずの記憶と寸分たがわぬ光景に、理解が追いつかず、思わず頭痛を覚えてしまった。 「同じ時間を繰り返してる……? まさかな、タイムスリップなんて」  オレは頭を振って気を取り直すと、今度は玄関口の方へと向かった。忍び足で、一歩一歩と、足音に注意を払いつつ。  振り向けば、テレビをぼんやりと眺め続ける少女の右半身だけ見えた。長い黒髪、切れ長の瞳。何か、面識のあるようにも感じられた。 「そういやあの子、凜花って呼ばれてたな。喫茶店にきた女も、確か同じ名前だったような……」  考察は後回しだ。今はこの家から出て、状況を確認する必要がある。今のオレは、どう見ても空き巣まがい。見つかれば通報は確実で、それを自覚するからこそ、落ち着いて考え込む事が出来なかった。  そうして玄関に着いた。靴は最初からはいたままだった。家主にスマンと心の中で詫びて、ドアノブに手を伸ばした。  すると、オレが掴む前に自ずと開いた。その先には、唖然として驚く男の顔が見えた。 「な、何もんだテメェ!」 「あっ、いや、オレは違くて――」 「さては押し入り強盗だな? おいガキ! 警察を呼べ! サッサと110番しやがれ!」  男がオレに掴みかかろうとする。逃げられない。相手の手がオレの腕に触れた。  しかしその瞬間、またもや甲高い音が響き、閃光が溢れた。眼を開けると畳張りの部屋。隣からは、くり返し聞いたテレビの音声が漏れ伝わってくる。 「間違いない。これは、繰り返してやがるな」  繰り返しには、おそらく条件があるらしい。それが何かは分からないし、そもそも今は頭が回らない。じっくり考えようとして、何か言葉をたぐりよせた矢先に、スイッと逃げられてしまう。  何はともあれ、安全地帯を確保したい。     「それじゃ、玄関から出んのはやめて、別の所から逃げよう」  この部屋にはちょうど、大きな窓ガラスがある。締め切られたカーテンをくぐり、慎重に窓を解錠して、スライドさせた。ここが高層階ならアウトだが、地面はすぐそこだった。 「やった、1階だったか。そもそもアパートじゃない。戸建てのようだな」  窓から素早く飛び出し、身を屈めた。そしてブロック塀つたいにして、裏手の方へ回る。表側は男と鉢合わせになる可能性が高い。 「外は町が広がってるんだな。それなら空き地でも探してから、ゆっくり態勢を整えるか」  そのまま裏手に向かって進み、角を曲がった。するとそこには女の姿が見えた。あれはたしか母親だ。彼女は自転車のスタンドを立てながら、物思いにふけっているようだった。 「はぁ……何買わなきゃいけないんだっけ。頭が全然まわらない……」  そんな独り言を、オレは建物の陰から聞いていた。こうなれば、相手が移動するのを待つしかない。息を潜めていると、不意に、足元で渇いた音がパキリと鳴った。カラのペットボトルを踏んでしまったらしい。  母親もギクリとして振り向く。そして、オレと視線が重なった。 「誰なの、あなた……。ご近所さんじゃないけど」 「あの、オレはその、話を聞いてくれ――」 「もしかして泥棒!? 空き巣でしょ!」 「いやいや違う! かなり怪しいとは思うが、そうじゃなくて!」 「誰か警察! 不審者がうちにいるの!」  そこで甲高い音、閃光。後は同じだ。畳張りにテレビの騒がしい音。4度目の繰り返しに、オレは思わず途方に暮れてしまった。 「訳が分からねぇ、マジで。オレにどうしろってんだよ……!」  口から漏れた声は、思いの外に大きかったらしい。今度は隣の部屋にいる少女に気付かれてしまった。 「だれ……、そこにいるのは」  やばい。またループする。それだけは勘弁してくれ。戻るにしても、せめて新しい情報を仕入れてからにしたい。 「ねぇ、だれかいるんでしょ?」  少女がこちらを向いて、ふすまに手を伸ばした。やばい。ごまかせ。頭をかつてない速度で回転させた。フル回転以上に考えた結果、とっさに飛び出した言葉が、これだった。 「やぁお嬢ちゃん。私は神様だよ。姿を見られたらいけないから、ふすまは開けないでおくれ」  よりにもよって子供だましか。我ながら頭悪いと感じてしまうが、もうヤケだ。このままゴリ押すしかない。一度出してしまった手札は、代える事が出来ないのだから。     
/8ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加