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第8話 凜花の世界
ふすま越しに神様を詐称するだなんて、後にも先にもこれが初めてだ。何してるんだオレは。情けないやら、罪悪感やらで意識がグニャリとねじれる想いだった。そのまま何の気なしに、畳の上に座り込んだ。
すると、ふすまがガラリと開く。暗い顔つきの少女が、やや見下ろす形でオレの方を見た。
「あっ……」
「神様? 普通に見えるけど。ウソついた?」
「うん、まぁ、そうなっちゃうか」
少女のブラウスには名札がついていた。おおともりんか。やはり大友凜花かと、幼い顔に彼女の面影を見た。確かに目つきが似ているような気もする。
凜花はとくに叫びもせず、オレを怖がりもしなかった。ただモジモジと指先をこすり、言葉を何度か飲み込んだ。オレは凜花の意図がわからず、ただ座り込んだままになる。
「あの、オレは怪しいかもしれんが、通報はやめてくれよな?」
「お兄ちゃん。いい人?」
「まぁ、少なくとも、悪人じゃないと思う」
「お礼するから、悪い人になってくれる?」
「どういうことだ?」
オレは思わず、凜花の顔を覗き込んだ。すると、今度は激しく身体が飛び跳ねて、あからさまな驚きをみせた。だが逃げない。その代わりに肩を震わせ、涙声をにじませた。
「おねがい、あの男をころして」
「ころっ……えぇ?」
「あんなのパパじゃない、ウソのパパだもん。ママをぶつし、アタシも叩かれるの! もういや、あんヤツいらないよぉ!!」
「お前……本気で」
本気で殺したいのか、と言いかけて、オレは口をつぐんだ。嘘のパパとやらが、どんな男かはすでに見ている。小悪党で見境なく暴力を振るうやつ。大して知りもしない相手だが、決めつけだとも思えなかった。
「わかった。まだ殺すと決めたわけじゃないが、力になる」
「……ほんとう? 助けてくれるの?」
「あぁ、約束だ。まずはアイツが戻る前に、いったん他所へ移動しよう」
「だったら2階がいいよ」
「そうか。早く行こう」
それから凜花とともに2階を目指した。昇り階段は玄関前だ。邪魔が入る前に辿り着きたかったのだが、ちょうど帰宅した男と鉢合わせてしまう。
「何だテメェは、空き巣か? それとも押し入り強盗か?」
「いや違う! オレはそんなんじゃなくて」
「ナメてんじゃねぇぞ、オレのバックにはあの有名な――」
男が吠えながら掴みかかってきた。指先が触れる。
すると閃光。そしてループ、気づけば畳張りの部屋。何度目か忘れてしまうくらいには、この部屋に戻されてしまった。
「面倒クセェ! 何回やらせんだよこの野郎!」
すると、ふすまが勢いよく開いた。凜花の暗い瞳がこちらを見ている。
「あっ、いや、オレは神様……」
まだ前口上も済んでない、さすがに通報待ったなしか。しかし意外にも凜花は平静で、せわしなく手招きする。
「はやくいこ。ジャマされるまえに」
「お、おう。オレのことを覚えてんのか?」
「いちおう」
「そうなのか……」
なぜお前は記憶できてるのか。そう問いかける前に移動を促された。足早になって玄関へ、そして2階への階段を、足音に気をつけつつ昇っていく。
最上段に足をかけたその時、玄関からはガチャリという、肝の冷える音が鳴った。
「やべぇ、早く2階へ!」
そうして昇りきったところ、オレは自分の目が信じられなくなる。辺り一面がアスファルトだ。ガードレールや路側帯もキッチリ整備された、立派な道路が見えた。
「えっ……なんで急に、外へ?」
困惑するオレに、さらなる情報の波が押し寄せてくる。ここからやや離れたところでトラックが停車していた。あたりは血溜まりで、そこに誰かが倒れている。即死に見えた。そして、見間違いじゃなければ、傍らに凜花の姿も見えた。
「えっ、凜花はここに居るのに。じゃああの子は?」
「あれは去年の、小学校に入る前のアタシ。トラックが凄いスピードではしってきて、パパにつきとばされた。そしたら、パパだけが車にひかれて……」
「それは……なるほど」
そこで本当の父親を亡くしたのか。確かに、向こうで倒れる男は、1階で暴れた男とは似ても似つかない。服装から誠実そうな雰囲気が、血まみれであっても感じ取れた。
「良い親父さんだったんだろうな」
オレはそっと両手を合わせた。すると、凜花がオレの脇を通り抜けて、手招きする。
そこはそこで異様だった。路側帯の上に扉が見えた。あるのは扉だけ。民家の玄関のように壁や屋根があるでもなく、ただ木製の扉だけが、そこで宙に浮いていた。
「若者の柔軟性なめんなよ。もう簡単には驚かねぇよ」
オレは凜花に招かれるまま、次なる部屋へ移動した。今度はどこかの部屋だ。洋装で、絨毯が敷き詰められた立派な小部屋。耳をすませばクラシック音楽が、優しい響きで漏れ伝わってきた。
そこには凜花と母親が2人きり。母親はシックなスーツに色鮮やかなバッグ、凜花は目立って着飾っており、ピンク色のドレスやカチューシャが、年相応に愛らしくみえた。
――ねぇママ。あのひととサイコンするの?
おめかしした凜花が言う。すると母親は、
――凜花に寂しい想いをさせたくないもの。
と答えた。凜花は、フリル付きのドレスをぎゅっと握りしめるが、それ以上何も言わなかった。
すると、隣の凜花がそっと呟いた。
「ママはね、再婚するつもりだった。新しいパパがいた方が良いって」
「あの感じからして、うれしそうじゃないな」
「だって、パパは1人だから」
「分かる気がする」
すると、どこかからかスーツ姿の男が現れた。母親はお辞儀して恭しく迎えるが、凜花はそっぽを向いてします。するとその男は歩きさり、壁の向こう側に消えてしまった。
それから代わる代わる男が現れては、消えていった。ラフな服装で自信ありげな男、白髪交じりの初老の男、長身で若々しい男と、世代も見た目もそれぞれだった。
「これって全員がデートの相手か? モテモテだな」
「そりゃそうよ。ママは美人だし、スタイル良いし、仕事もできるし」
「そんな人が、どうして典型的なダメ男に引っかかるかね」
凜花は、過去の自分の脇を通り過ぎると、扉に手をかけた。そしてオレに手招きをする。ここで見るべきものは他に無いようだ。
「さてと。次はどんな光景が……?」
次に見たのは夜の住宅街。満月の浮かぶ夜に、凜花と母親は2人で家路についていた。デートの後なのか、2人ともおめかししている。
だがそこへ、物陰から何者かが飛び出した。そして叫ぶ間もなく、母子は路地裏へと引きずり込まれてしまった。二人組の男たちは、刃物をチラつかせながら低い声で言った。
――死にたくなきゃ大人しくしろ。金を出せ。
母親は、震える手でバッグを開こうとする。しかし次の瞬間、通りの方から、別の男がやって来た。
少し息を切らした男は勇敢だった。刃物をもつ二人組に対し、素手で挑んだのだ。そのスタンスはケンカ殺法で、どこか危なっかしいものの、どうにか倒す事に成功する。
母親は感激しながら礼を述べると、男は爽やかな笑みとともに、
――僕は飛母屋(ひもや)って言います。こいつらは、僕が責任持って警察に突き出すんで、安心してください。
――あの、服が破かれてしまいましたね。どうしましょう……。
――いや、平気っすよこれくらい。どうせ安物だし。
――これは私の名刺です。ぜひ改めてお礼をしたいので、お暇な時にでもご連絡を。
――うぅん。なんか気をつかわせちゃったかな? そんなつもりなかったんですけどね。
穏やかなやり取りに、オレは思わず顔をしかめた。凜花などはあからさまに俯き、不快感を隠そうともしなかった。
「おい、この飛母屋って男はもしかして……?」
「あのDV野郎」
「だよな! えっ? 勇敢に助けてくれたぞ?」
それから母親は凜花を連れて、現場から立ち去った。何度も何度も繰り返し頭をさげては、飛母屋から離れていく。
その場に残された飛母屋は態度を急変させ、真顔になって言った。
――てめぇら。もう良いぞ。
すると、2人組の男たちは、アゴをさすりながら立ち上がった。
――兄貴、マジいてぇっす。手加減して欲しかった。
――馬鹿か。本気でやらなきゃ騙せねぇだろ。ちゃんと上手くやれたんだから喜べ。
――でも、こんなの上手くいくんすかねぇ? 旦那の保険金をむしり取って、女もフーゾクに沈めるなんて。
――出来るかじゃねぇ、やるんだよ。お前だってパチで負けてんだろ? ここらでドカンと当てとかねぇと、そろそろバラされちまうぞ。
――ううっ、最近は取り立て屋がマジになってまして。ちょいヤバいんすわ。
――だったらゴチャゴチャ言うなよ。こっからカタにはめてやるんだ。分け前欲しけりゃキリキリ働けよ。
――兄貴、あの女を沈める前に、一発やらしてくれねぇ?
――おめぇ、あんなババアが良いのか? 好きにしろ、壊すなよ?
――へへっ。どもっす。
オレは思わず、腰の警棒を握りしめた。そして、隣でうつむく凜花にそっと伝えた。
「お前の依頼受けてやる。こんなムカつく連中は、まとめてブチのめしたくなった」
凜花が答える代わりに、飛母屋が突然振り向いた。胴体を正面に向けたまま、しかし首だけが真後ろへグルリと回った。瞳孔の開いた瞳がオレを見る。
こいつらにオレが見えるのか? そう驚いていると、飛母屋の口が早口になって回り出す。
「あぁ? テメェなんつったコラ! このオレ様をブチのめすっつったか!?」
ドスのきいた声を響かせると、飛母屋の身体は弾けた。赤黒い肉片が四方に散らばる。それは舎弟たちも変わらず、残り2人の身体も同じ様に弾けた。
「なんだ? 何が起きて……ッ!!」
肉片が散ったあと、別の何者かが立ち尽くしていた。ニンゲンとは比較にならないほどに濃い体毛、両手の爪は肉食獣を思わせるほどに鋭く、顔もオオカミにそっくりだった。
亜人とでも呼ぶべきだろうか。そいつらは、コチラを眺めつつニタニタと嘲笑った。
オレはとっさに警棒を引き抜き、身構えた。
「さがってろ凜花! コイツラはオレがやる!」
凜花を背後にまわし、亜人たちを睨む。多勢に無勢なだけでなく、3体ともバケモノだった。
しかし、不思議と恐ろしくはなかった。相手が人外なら好都合だ。遠慮なく叩きのめす事ができると、この時に思った。
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