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第9話 サイコストーカー
謎のバケモノは、ありていに言えば狼男だ。全身は灰色の体毛に覆われており、それは時おり波打つようにして、漆黒の色彩が右から左へと走っては消える。
実在の野生生物とは程遠い姿。その印象に同意するかのように、スマホが機械的な音声を発した。
――サイコストーカーと遭遇しました。ゲイルウルフ、3体です。
また専門用語か。知ってる前提で言うなと感じていると、スマホが続けて説明した。
――サイコストーカーとは、この精神世界(ディープゾーン)に巣食う存在です。悪魔や魔物の姿をしており、宿主の精神エネルギーを食い散らかす害獣です。
とりあえずは敵ということか。結菜を襲ったバケモノの親類って解釈で間違いなさそうだ。
「凜花、さがってろよ。コイツらはオレが片付ける!」
「ねぇ、あいつら強そうだよ? 倒せるの?」
「……なんとかする」
警棒を構え、敵と向かい合う。ゲイルウルフどもは真っ赤な瞳を歪め、耳障りに嘲笑った。
「グギャギャ! やろうってのか、ひ弱な人間のクセによぉ?」
「うるせえな人外ども。汚く笑うなよ、耳が腐る」
「グゲゲゲ! 威勢だけは立派だなぁ!!」
敵は明らかに油断していた。その隙に1体でも良いから倒してしまいたい。
「だったらテメェも、ガキもろとも食ってやるよぉぉ!」
敵の1体が先制してきた。鋭い爪を腕ごとかかげて、こちらに振り下ろしてくる。それを警棒でいなし、受け流す。相手は勢いのままに、たたらを踏んだ。背後に回って、がら空きの背中をみた。
「よし、まずは一匹……グワッ!?」
背中に一撃を食らわそうとした途端、脇腹に衝撃を感じた。別のゲイルウルフが放った蹴りだ。
3対1。数では圧倒的に劣ることを忘れちゃいけない。
「どこ見てんだ、ニンゲン様よぉ。ボヤボヤしてっと全身を切り刻んじまうぞ?」
「クソッ、調子にのるな!」
「おおっと、危ない危ないっと」
警棒が空を切り、脇のブロック塀をかすめた。敵は見かけ通りに素早い。反射神経もこちらより上だ。見てから、では簡単に避けられてしまう。
こいつらを倒す最適解はなんだ。考えろ、集中しろ。心を鎮めていくと、思いの外、相手の様子が見て取れた。
(あの一際大きくて、饒舌なのが飛母屋(ひもや)だろう。他の2匹は手下どもか……)
敵は今も瞳を歪めている。さらに、アゴをこちらに突き出しては、挑発する余裕まで見せた。乗らない。相手の思うつぼだ。
(まずは1体、確実に仕留める。頭数を減らさないことには始まらない)
そう思い至ると、オレは警棒を掲げた。上段の構え。捨て身と呼ばれるものだ。
「グヒャヒャヒャ! なにマジになってんだよ、どうせ殺されちまうんだから、大人しくしやがれ!」
ゲイルウルフの1体が、凄まじい速度で迫る。這うような姿勢のまま駆け寄り、目前にまで到達した。
まだだ。あと少し。
ゲイルウルフは強く踏み込む。まだだ。敵は身体の軸を固定させ、体全体で旋回する姿勢になる。顔とアゴ、次に肩が回り、最後に腕を振りぬく動きだ。
アゴ先が明後日の方にズレた瞬間、オレは迷わず警棒を叩きつけた。
「喰らえっ!」
「ゲフッ……!」
一直線に警棒を振り下ろした。額を直撃。ゴスリという重たい手応え。するとゲイルウルフは額を押さえながらのたうち回った。
「ギャアアア! 痛い! 痛いぃいいいいーーッ!」
汚らしい声で叫ぶとともに、その身体は霧状になって四散。あとは光の粒子が僅かに残ったが、それも儚く消えた。
「よし、まずは1体。次はどっちが相手だ?」
「グギャギャッ。調子にのりやがって。何か勘違いしてねぇか?」
「何のことだ」
「オレ達の目的はぁ、そっちのガキッて事だよギャーーッハッハ!」
ゲイルウルフたちは、2体同時に跳んだ。目で追える速度ではない。一瞬、消えたかと誤認するほどだ。
「なっ……どこ行った!?」
「ヒィッ! ワタル、たすけ――」
凜花の悲鳴。そちらは既にゲイルウルフたちが眼前に迫っていた。
迎撃しなきゃ。間に合わない。どうにか庇おうと手を伸ばす。だがそれすら間に合わない。
「いただきまぁす! 全部喰らってやるぜーー!」
歓喜の声を響かせた飛母屋は、噛みつくでも切り刻むでもなく、ただ凜花に目掛けて突進した。すると、その大柄なオオカミの身体は、スウッと標的の体内に溶け込んでいった。
手下のもう一匹も同じだ。大人よりでかい図体、それも2人分が、幼い凜花の身体の中へと消えてしまった。
「り……凜花、何とも無いのか?」
問いかけようとした瞬間、凜花は卒倒した。慌てて駆け寄り、抱き起こすと、ひどい高熱だとわかる。肌もみるみるうちに赤黒く染まり、ときおり、皮膚が不自然に膨らんだ。
まるで血管の中を、異物が駆け巡るかのように。
「おい、大丈夫か凜花! しっかりしろ!」
「やだ、やだ! あつい! 身体があつくて、いたくて、バラバラになっちゃいそう!」
「クソッ、どうしたらいい!? 何か冷やしてやれば……」
オレはとっさに周りに目を向けた。水道のひとつもあれば冷やせる。それで解決するとも思えないが、何もしないよりはマシだろう。
だがその水道が見つからない。すがる気持ちとともに辺りを見渡すが、ふと、トレーナーのそでを引かれた。
凜花が、息を荒くしつつ、そでを引っ張ったのだ。
「待ってろ。いま助けてやるからな」
「ころ、して」
「……なんだと?」
「おねがい、アタシをころして」
「バカな事を言うな! 絶対助けてやるからな!」
「もう、生きてくのが、いやなの。だからころして」
「何言ってんだ急に! 諦めんなよ!」
「アタシのせいで、ママが……。ママが殺されちゃったもん。だからもう、生きていたくないの……」
その言葉で思い出す。母親は、凜花が持ち出した包丁で飛母屋を刺した事を。そして、致命的な反撃を受けて、帰らぬ人となった事も。
凜花は、そのことを言っているようだった。
「そんな事はない、あれは間違いじゃなかった。お前をそこまで追い詰めた飛母屋が悪い」
「ママを守りたかった。でも、アタシが包丁なんて出さなかったら……」
「守れるかよ、大人相手に。子供なんかが敵うわけない!」
人のことは言えない。自分も必死に結菜を守ろうとして、大人の男相手に抗った経験がある。無謀と分かっていても戦うべき理由が、確かにあった。
だから凜花を諭す権利なんて、オレにはない。だがそれでも声を掛け続けた。とにかく、言わずにはいられなかった。
「聞け凜花、お前は何も悪くない! あれは不運な事故だ! 仕方なかった!」
「大人になっても、ずうっとずうっと考えてたの。アタシがもっと上手くやれば、ママを死なせずに済んだ。アタシがかばってたら、ママは今もちゃんと……」
「お前は出来ることをやったんだろ! だったら悔やむなよ!」
「でも、アタシは……」
「悪いのは全部犯人だ! 飛母屋のせいなんだ! お前は何も悪くないから、死にたいとか言うな! お前は、そんな人生を歩んだお前だからこそ、幸せに生きるべきなんだ!!」
どの口が言う。そう思わなくもないが、構わず続けた。オレは叫び終えるなり、凜花の手を強く握りしめた。
するとどうだろう。手のひらにまばゆいまでの光が宿った。続けてスマホも、抑揚のない音声を発した。
――適正者のアンロックを確認。これより【守護者 正義の砲身】リンクを解放します。
何を言い出すんだ。そう思った矢先、手のひらの光が凜花の身体に移り、さらに輝きを増した。すると、彼女の胸元から2つの陰が飛び出した。
そいつらはゲイルウルフ。飛母屋たちが、光を忌避して逃げてきたらしい。アスファルトの上で苦しみ、もがき続けた。
「ギエエエ! なんだこの光は! いてぇ、いてぇよおお!」
「残念だったなお前ら。凜花はどうにか生還したぞ。ブチのめしてやるから覚悟しろ――」
「待ってワタル。アタシにやらせて!」
芯の通った声で凜花が言う。彼女は、何事もなかったように立ち上がると、右手を前に突き出した。すると全身の輝きがそちらに集約され、何かを形作る。
徐々に光がおさまるとともに、手のひらには、ある物が見えるようになる。
「それは、小型拳銃(デリンジャー)か……?」
「アンタたちだけは許さない。ママを、アタシの幸せを奪ったこと、絶対に許さない!」
凜花は震える指をトリガーに引っ掛けた。そして静かに引き、撃った。その銃は偽物ではない。銃口からは、破裂音とともに弾丸が飛び出した。金の弾丸だ。それは射出されると、まっすぐゲイルウルフの方へ。
そして見事、眉間の真ん中を撃ち抜いた。
「ギャアアアーーッ! いてぇ、いてぇよ! 消えたくない! 消えだぐない……」
醜悪な叫びののち、そのゲイルウルフも四散して消えた。あとにはやはり光の粒子だけが残る。
「よし。これであとはお前だけだな、飛母屋」
「グッ、クソガキどもめ……!」
「待ってワタル。こいつもアタシの獲物だ。やらせてくれ」
凜花が1人前に出る。これで終わりだ。そう思った矢先、飛母屋は激しく抵抗した。
「死んでたまるかよ、クソどもがーーッ!」
飛母屋は握りこぶしを勢いよく横に振った。そこには電柱がある。根本から砕けたそれは、緩やかに凜花の頭上へ倒れようとした。
「凜花、危ない!」
オレは抱きつく形になって、勢いのままに転がった。足元で電柱が倒れた。間一髪だった。
「ふぅ……怪我はないか?」
「ありがと、アタシは平気。でも飛母屋が!」
「チッ……逃げられたか」
飛母屋はすでに遠ざかっており、暗闇の中を駆け去っていく。そして、不自然に浮いた扉の中へと飛び込んだ。
「アイツ、どこに逃げる気だ?」
「もしかして……急ごう! たぶん家に戻ったんだと思う!」
その言葉に、胸の奥にイヤなものが駆け巡った。返事を聞くまでもない。オレ達もすかさず後を追いかけた。
それからは洋装の控室、アスファルトの公道と、来た道を引き返していく。その先へ行けば降り階段で、凜花の家の中だ。
階段を駆け下りていく。そして1階の台所まで来て、オレ達は足を止めた。
悪い予感は、見事に的中してしまったのだ。
「さっきはよくもやってくれたな、クソガキども! この女の命が惜しかったら、言うことを聞きやがれ!」
飛母屋の腕が、母親の首を締め上げて拘束している。そして、刃物の代わりに、その太く鋭い爪を突きつけていた。
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