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第92話 もう一度手を取り合おう②
記念すべき第一号の参加者は、氷川愛梨(ひかわあいり)と名乗った。他に仲間が居るのなら、紹介してもらいたいところだが、知り合いはいないという。
「お恥ずかしい話ですが、もともと引きこもりがちだったので……人付き合いが苦手と言いますか。なるべく1人でいることが多くて」
氷川は消え入りそうな声で言った。オレは「協力する気があるのなら充分だ」と伝えて、関元たちも同意した。
それから、デパートの2階へと戻ってきた。もちろん荒れ果てたままだ。関元家の墓地だけが、周囲から浮いたように整然としていた。
「集落をつくるのなら、人を集めただけじゃ意味ないな。拠点づくりも並行して片付けよう」
デパートの2階か、あるいは3階に居住空間を造ろうとした。2階フロアの中央付近には関元家の墓があり、西側には思い出深い雑貨屋がある。手始めに開拓したのは、もっぱら東側になった。
「まずは水が必要だな。ここに水道を引こう」
言葉の意味を氷川は理解できなかった。眼を見開いて、平然とする関元の顔色を窺っている。そこでオレが壁際に水道と排水口をアニマで作ったので、氷川は腰を抜かしてまで驚いた。
「えっ!? これはいったい、どうしたんですか!」
「まぁ、簡単に言うとだな、願えば何でも叶う技を持っている」
「あなたはマジシャン? 魔法使い? それとも神様では!?」
「一応は、覚者という呼び名はあるけど、忘れてしまって問題ないぞ」
「はぁ、なるほど。神様ァ……」
「本当に理解したか?」
蛇口をひねれば水がふんだんに流れた。触れると冷たい。両手ですくって、味見とばかりに一口飲んでみると、水質も上々だと思えた。雑味のない、飲料水に適したものだった。
オレが「飲めそうだ」と言うと、関元たちも蛇口に手を伸ばした。そして代わる代わる掌を差し出しては水をすくいとり、音を立ててすすった。そして満足気に頷いた。
水の問題は解決か、と思った所で、後ろからやかましい声が響いた。
「おおいワタル! 店でこんなもん見つけたぞ!」
凜花と衣織が満面の笑みで戻ってきた。2人とも一抱えはあるタオルを入手していた。西側のテナントにはバス用品の専門店があったらしい。
「見てみ。まずはタオルだろ、それからシャンプーにトリートメント、ボディソープに洗顔料。化粧水も見つけたぞ!」
「衛生面を考えれば上々だな。化粧水はべつに要らん」
「お前なぁ。お肌を守るのに大事なんだぞ。カサカサ肌じゃラブコメにならねぇ。ねぇ氷川さん?」
「私ですか? いやその、生涯で1度も手にしたこともなく……部屋にこもる事が多かったんで……」
「あ、うん。なんかすんません」凜花が気まずそうに肩を落としたので、オレは助け舟を出した。
「せっかくだから身体でも拭くか? 冷水だけだが身ぎれいにはできるだろ」
この提案には、凜花たちも諸手を挙げて喜んだ。たとえ水浴びでも充分に嬉しいようだ。
ならばと、水場をパーテーションで囲って視界を遮った。衆人環視では気が休まらないだろうしと思って。すると凜花は、お決まりのように「のぞくなよ」と釘をさして、囲いの内側で服を脱ぎだした。
「その台詞を言わなきゃならんルールでもあるのか? 早川じゃあるまいし、覗くわけない」
残された男たちをチラリと見ると、焔走はタオルの肌触りに驚いていた。いわゆる贈答品で高価なものだ。すべて個包装されており、お陰で目立った劣化もなく、出荷時の品質が保たれていた。
関元も水場から離れたところをウロついていた。寝床はどこに、倉庫はここにと、しきりに呟いている。結論、この場に覗きをたくらむ不届き者は居なかった。
「関元、オレも何か手伝うぞ。待っていても暇だ」
「助かる。居住空間をどうしようかと思ってな。水場に近いほうが何かと便利だ。ここから少し離れた所にダイニングと食料庫を――」
そこで関元の言葉を遮るように、凜花が「ええっ!」と叫んだ。距離があるのに耳が痛くなるほど、バカでかい声だった。
「なんだアイツ……。いったい何を騒いでんだか」
「ふむ。案外、お前さんの気を引こうとしてるのでは?」
「そんな訳あるか。あいつらは水浴びしてるんだから、オレの出番なんてないだろ」
「おぉ……。最近の若者はこんなものか? 性に対してのギラつきが感じられん……」
中断した話を再開させた。水場の近くにテーブル、調理の可能なカマドと排気設備。あとは倉庫や寝床といったところまで、ざっくりと配置を決めた。
その頃になって女性陣の水浴びが終わった。
「あぁ〜〜サッパリした。毛穴が喜んでるようだぜ」
凜花がタオルを頭に巻いたままで出てきた。続く衣織も、髪をタオルで両側から叩いて水気を吸っていた。氷川もサッパリした顔で、濡れタオルを畳みながら出てきた。
水場が空いたので、オレが浴びる番になった。泡タイプのボディーソープを塗りたくり、水で流す。冷たい。飛び跳ねそうなくらいキンキンに冷えていた。
「これはキツイな……。夏場はまだいいが、冬なんて死人が出るかも」
ならば湯沸かしすれば良いのだが、それも簡単ではなかった。
「拠点の電化なんてアニマが多量に必要だし、薪でくべるにしても燃料が問題だな。真宿は木材なんて手に入りにくいし……」
少なくとも、今現在で湯を沸かすことは不可能だった。オレは全身の隅々に力をこめて、頭から真水を浴びた。思わず冷たさに負けてしまいそうだった。
男性陣の水浴びも一巡したところで、拠点づくりを再開した。さすがはデパートだ。家具には全く困らない。立派なダイニングテーブルに、豪勢なソファを並べる事など朝飯前だった。
それだけじゃない。オレたちは、ある意味で究極のラグジュアリをも手に入れてしまった。
「凜花君。衣織君。我々はついにやったぞ」
オレが作った声で言うと、凜花も乗った。
「博士。いったいこれは……?」
「見てわからんか。これはだねぇ……キングサイズベッド! しかもマットレス付き!」
「うぉぉぉ! 極上の寝心地ぃ!」
「2人とも、急に何なんですか」
衣織は苦笑しながら言った。しかしオレたちに揶揄も失笑も諫言(かんげん)すらも届かない。さきほどやって来たのは寝具売り場。展示品とはいえ何もかもが本物だ。価格に転嫁された品質は、過去に例のないほど上等で、究極の寝心地を与えてくれた。
ついでに品数も多い。1人1台選び放題。これではしゃぐなという方に無理がある。実際、焔走などはマットレスに横たわるなり、腰の力だけで繰り返しバウンドした。
「よしよし。じゃあ2階に運ぶか」
オレが言うと、全員の顔が一斉に曇った。ここは3階。巨大なベッドを抱えながら、静止したエスカレーターを降りる必要があり、かなりの労力であることは確実だ。
さぁやるかと声をかけたところで関元が『寝床は3階でも良いだろう』と苦笑するので、その作業は免れた。
「ふいぃ、今日も疲れた! おやすみ!」
寝床は男女で区切ることにした。といっても、数枚のパーテーションで隔てるだけだ。それは女性陣からの要望ではなく、関元の指示だった。なるべく文明的に暮らしたほうが秩序を保ちやすい、と言った。
「よくわからんが年の功ってやつか。従ってみよう」オレは真新しいベッドで横になった。左隣のベッドは空いており、その隣のベッドで関元と焔走が並んで寝転んでいた。
関元は絵本を持ち、読み聞かせの最中だった。凜花からハンドライトを借りて、暗がりを白く照らしていた。
「おいおい、権兵衛どん。あの女にゃ近寄るな。ありゃカワヒメさんだぞ。気ぃ許したらあっちゅうま。命を吸われておしめぇよ」
「おじさん。カワヒメさんって?」
「オレも詳しくないが、魂を吸う妖怪だか、バケモノみたいなものかな」
「こわいなぁ……。絵だとこんなにキレイなのにね」
「美人だから善人とは限らないさ。じゃあ続きを読むぞ。こないだ、隣村のやつがカワヒメさんに見初められてよ、ポックリ逝っちまった。カワヒメさんときたら、命をやたらに吸うもんでよ、何百年も若い娘みてぇな身体で――」
疲労感がある一方で、関元の音読も気にかかるので、中々眠れなかった。しかし焔走が寝息をたてたことで、それも終わった。関元はライトを消して、焔走と並んで眠った。
ようやくオレも眠れそうだとなった時、ふと誰かから呼ばれた。暗闇の中で何かが蠢く。その正体は凜花だ。パーテーションから顔だけ覗かせつつ、オレに囁いてきた。
「起きてるかワタル、衝撃ニュースだぞ」
「なんだよ。衝撃が笑撃でも、明日にしてくれないか」
「さっき水浴びしたじゃん。そしたらさ、氷川さんって脱いだらすげぇの。もうブリンブリンでさ、めっちゃ良い身体」
「それは今話すべきことなのか?」
「それでつい聞いたんだよ、おいつくですかって。何て言ったと思う?」
別に何歳でもいい。オレは寝返りを打って凜花に背を向けながら「27くらいだろ」と興味薄に答えた。
「違う、全然違ぇんだ。48歳だって言うんだよ」
「48……嘘だろ!?」オレは思わず跳ね起きて、凜花を見返してしまった。
「同じこと思った。アタシのちょい上くらいだろって」
「どう見ても20代だろ。美魔女のレベルを超えてるぞ」
「すっぴんであの美貌だもんな、やべぇよ。それだけ言いたかった。おやすみ」
そこで凜花が顔を引っ込めた。再び出てくる気配はなく、本当の意味でおやすみの挨拶だったらしい。
「あれで48歳とか……。若作りなんてもんじゃない。どういう事だ?」
眠気など吹っ飛んでいた。その不条理な事実に答えを見つけようとして、ひたすらグルグル考え続けた。
「いくつになっても若い。いつまでも若い。どうやって。たとえば、魂を吸ったとか……」
さっきのカワヒメさんとやらが、ふと脳裏をよぎった。と同時に、バカバカしいとも思う。答えのないまま考えるうちに、いつしか睡魔が襲来。思考は結論を得ないままに陰り、やがて眠りに落ちていった。
あくる朝。窓から差し込む光で目が醒めた。西向きなので朝日も直射日光ではない。おかげで寝覚めも割と穏やかだった。
「うん……? 関元はどこいった?」
男性側のベッドには焔走が寝息を立てるのみ。女性側も、凜花がたかいびきを響かせ、衣織が丸くなって眠りこけている。そちらでは氷川の姿がなかった。
「朝早くにどこへ? もしかして2人揃って?」
不自然な組み合わせだ。もともとの知り合いならまだしも、昨日が初対面だ。そんな2人がオレ達に黙って出かけるだろうか。まるで人目を偲ぶようじゃないか。
(あの女にゃ近寄るな。気ぃ許したらあっちゅうま。命を吸われておしめぇよ)
昨夜の言葉が脳裏をよぎる。と同時に嫌な予感も込み上げてきた。
「関元、どこにいる?」
3階でオレの声が虚しく響く。誰の返事もなく、変わらず寝息が聞こえるばかりだ。
「もしかして2階に降りたのか?」
オレは静止したままのエスカレーターを降りて、2階へやって来た。
正面にある水場から音が聞こえる。水を流しているらしい。すると間もなく、パーテーションの中から1人だけ姿を現した。
「あっ、神様。おはようございます〜〜」
それは氷川だった。真新しいタオルで濡れた顔を拭っていた。そこに朝日が差し込み、つややかな肌を照らした。五十路前とは思えない、若々しいものだった。
気を許したらお終い。その言葉が氷川を前にした途端、もう一度蘇った。
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