第96話 地下街の楽園③

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第96話 地下街の楽園③

 逃げた猫を追え。いや違う、さらわれたジョセフを救え。目的意識はあいまいなままで、しかし妖精にせっつかれるので、オレたちは通路を奥へ奥へと駆けていった。  一本道だが直線ではない。いくつかの角を曲がるという見通しのきかない道を進み、やがて狭い通路を抜けた。  その先で、あからさまに空気が一変した。左右に広く、天井も高い。この予想だにしなかった光景を前にして、オレたちは思わず心を奪われてしまった。 「なんだここは……」オレがつぶやくと「すげぇキレイ……」と凜花が続けた。他のメンバーも同じく言葉を失い、思わず立ち尽くしてしまった。  ここはもともとは噴水広場だ。左右に展開するテナントも10を超えるので、地下とは思えないほど広大だった。ベンチや自販機といったものが随所に並んでおり、オレも幾度となく利用した記憶がある。  だがそういった文明を思わせるものには、コケがビッシリと生えて、さらに雑草で覆い隠されていた。見渡す限りが緑地という様相だった。 「こうなると別物だな……見覚えがあるのは噴水くらいか」     噴水からは、水が吹きでない代わりに、絶え間なく水が湧き出ていた。コンコンと清水があふれては、水路伝いにいずこかへと流れ行く。それが恵みとなってか、名も知らぬ野花が随所で咲き誇った。 「花がほんのり光ってるな。どういう理屈だ……」  1つひとつの光ははかないものの、数が膨大だ。そのため電灯がないにも関わらず、間接照明ていどの明るさを保っていた。   「不思議ですよね。光ることもそうですが、陽射しのない地下に、これほどの命が……」  衣織が感嘆の声をもらすと、誰かしらがあいずちをうった。心ここにあらずといった、曖昧なものだった。  そのようにして一同が呆けるところへ、耳をつんざくほどの罵声が響き渡った。 「ちょっとアンタたち! 何をノンビリしてんの? ジョセフを探してよ!」  ハミは金切り声を撒き散らしながら、オレたちの近くを飛び回った。確かにそんな目的があったと思い出す。     「すまんすまん。猫から取り返せば良いんだよな?」オレが言うと、すかさず焔走が声をあげた。「ねぇ見て、あそこ!」  鋭く指す方を見れば、雑草の生い茂る獣道に猫はいた。背中の黒模様に見覚えがある。ジョセフをさらった個体だろうと思った。  実際、近づいてみるとジョセフの姿を見つけた。彼はコケの上に寝転された上に、繰り返し猫パンチを浴びせられていた。 「うひっ、助けて! やめてお願い!」  猫は執拗だった。それはいたぶるようで、フザけているようにも見える。すると衣織が「猫ちゃんはこうやって狩猟本能を満たすんです。練習になるようで」と言った。 「なるほど。猫にはそういう習性があるんだな、知らなかった」 「飼い猫の子なんて、たまに虫を持って帰るんです。まるで飼い主に「アンタも練習しなさい」って叱るように」 「それはなんというか、ありがた迷惑だな」 「気持ちはうれしいですけどね。死にかけのトカゲとか持ってこられても、正直困っちゃう――」 「アンタたち! 猫トークよりもやるべき事あんでしょうが!」 「そうだった。ジョセフだな」  オレは獣道に足を踏み入れ、ブチ猫の近くに寄った。すると猫は素早く振り向き、見開いた眼でこちらを見た。囚われの身にしたら逃げるチャンス。かと思いきや、左足でジョセフの胸を踏みつけにするので、逃走は難しいようだった。 「ニャァム、ニャムニャム」猫が不思議な声色で鳴いた。少し丸みのある響きで、ニャアとは異質だった。 「なんだ今のは。もしかして甘えてる?」 「ダメですよワタルさん。その子は怒ってます。下手に手を出すと噛まれちゃいますよ」 「衣織は詳しいんだな。どうしたら良いと思う?」 「狩りの練習中なので……満足するまで待てばいいかなと」 「横から邪魔するのも気が引けるな。猫に悪気はないというか、生存のための研鑽だろ? そこに踏み込むのもな……」 「じゃあ成り行きを見守りましょう」 「そうするか」    そんなやり取りの果てにハミが吠えた。「なんとかしなさいよアンタたち!」と。オレたちの耳元で叫び回り、終いにはクシャミ玉で脅す始末だ。彼女なりの精一杯というやつだろう。 「仕方ない。どうにか穏便な手段でジョセフを救出するか」 「あっ、それなら私がやります!」  衣織が我先にと挙手をして、すかさず木の枝を手に取った。細長くてよくしなる物だ。それを草むらから突き出すようにしつつ、さらに葉っぱをこする音も出した。  するとどうか。猫は強く反応して、まん丸な目を枝の方へと向けた。 「あれ、あれあれ? こんな所に何かいるねぇ。ネズミかな? 鳥さんかな?」  衣織は声を弾ませながら言った。同時に枝を引っ込ませたり、急に出しては先を振ったりと目まぐるしい。緩急自在な動きは、何か生物のしっぽを想起させた。  もちろん効果はあった。ブチ猫はジョセフから手を離し、体全体をオレたちに向けた。そして前傾姿勢になりつつ、浮かせた尻を左右に振った。やる気に満ち溢れた仕草だと思った。 「あっ大変、ネズミが逃げちゃうよ!」  衣織は枝を隠しながら放り投げた。すると猫も鼻先を向けて追跡。音の消えた方へと勢いよく駆けていった。  その場には、憔悴しきったジョセフだけが残された。 「大丈夫? しっかりして!」ハミが飛んで行くと、ジョセフも半身を起こして答えた。 「あぁ、助かった。マジで死ぬかと思った」 「怪我はない? 痛い所は?」 「あちこち擦りむいたが、酷くはない。言っちゃあかすり傷さ」 「あぁ良かった……じゃあ遠慮はいらないよね」 「遠慮?」    ハミはそう告げると、ジョセフの頬をつまんだ。そして強く、力いっぱい横に引いた。 「いたっ、痛いってハミ! 何すんだよオイ!」 「ねぇジョセフ。あの人形はどういう事なのかな? どうして美女ノームなんて要求したのか、正直に言うてみ?」 「あ、いや、違くて。それはアレだ! ノーム仲間が欲しいな〜〜と思ってだな」 「だったらオッサンでもいいでしょ! なんで美人じゃなきゃダメなのよ!? ちょっとこっち来なさい!」 「いたい! いたいっつの! 耳引っ張んのやめて、伸びちゃうだろ!」 「いっそ伸びちまえ浮気野郎!」  騒がしき小人たちは、喚きながら草むらの方へ消えていった。最後の最後まで騒々しいと思った。 「さてと、オレたちはどうしようか」そう呟くと、散策してみようと凜花が言った。確かにこの光景は、ただ立ち去るには惜しいものがあった。 「安全だと思うが、はぐれないように。あまりウロウロするなよ」  オレたちはまとまって動いた。とりあえずは、細かく枝分かれした獣道を歩く。道すがら、キノコや野花から光がふわりと舞って、消えるのを見た。花粉や胞子が輝いているのか。きっとそれもアニマが関わっているのだろう。 「日光がなくても、これだけの命を保てるのか。凄いもんだな……」  オレが野花を見て感心していると、衣織が「シロツメクサですよ」と言った。そして、ろくに警戒することなく群生地に足を踏み入れては、白く膨らむ花に手を伸ばした。 「懐かしいな、シロツメクサか」  ふと蘇ったのは小学校時代の記憶だった。遠足バスに揺られて小一時間。どこぞの山奥に連れてかれた。結菜とは別の班で、ぎゃあぎゃあうるさい男子グループに放り込まれたが、それは別に良かった。  現地の公園では大自然の遊具で遊びたおし、ケイドロで激戦を繰り広げた後に、弁当も食った。手作りのハムサンドで、マーガリンの塩気が美味かった。だがここでトラブル発生、お菓子を忘れてしまったのだ。 ――やべぇ、家においてきた……!  オレはガムの1つも持ち合わせがなく、とても損した気分になった。アレコレ考えた挙げ句、花の蜜を吸えば良いと思い至り、ツツジの花を探しに出た。  探し出そうとすると、意外に無いもので、空振りが続いてしまう。そこでようやく花畑を見つけたところ、すでに先客が居た。結菜だった。アイツはよそいきのワンピースに葉っぱをくっつけながら、オレに話しかけてきた。 ――あっ、ワタル君だ。 ――なんだ結菜もか。仕方ない、見つけても山分けだからな。 ――何の話? ――お前もお菓子を忘れて、花の蜜を吸いにきたんだろ。帰りのバスまで頑張って探すぞ。 ――ちがっ! そんなサバイバルやってない! これを作ってたの!  そう言って結菜はオレの頭にモサモサの花冠を乗せた。あとで知った事だが、シロツメクサで作ったものだった。 ――へぇ。すげぇじゃん。 ――それはワタル君にあげるね。次はママの分を……。 ――そんで、どこを吸うんだ? ――はぁ? ――こんだけ花があるんだ。たくさん蜜が吸えるだろ。どっからいけばいい? ――そういうんじゃないってば! お菓子ならわけてあげるから、花をかじらないの!  結菜はリュックから「エモいバーガー」の箱を差し出した。それは開封済みで、ハンバーガーの形を模したチョコ菓子だ。オレは震える手で1つだけつまみ上げると、無言のままで噛み締めた。  甘い。サクサク。唾液をなじませるとビスケットとチョコがとろけて、混ざり合い、口の隅々まで広がるようだった。白い悪魔とも呼ばれる砂糖の甘味はもはや甘美だった。この圧倒的なまでの快楽には堪えられず、思わず全身が震えてしまった。 ――うめぇな、コレ。 ――知ってるよ。いっつも食べてるから。 ――結菜おじょうさま。今日はなんでも言うこと聞くぞ。すきにコキつかえよ。    ――なにそれ、へんなの。 ――いうこときくから、もう1個くれよ。 ――ちゃんと半分こするから、心配しないでったら。  そこで風が吹き、草木の香りも連れてきた。口だけでなく、鼻にも甘いひとときだった。   「そんな事もあったっけな……」  今、眼の前では衣織が焔走(ほむら)にレクチャーしていた。焔走は慣れていないようで、手つきの一つ一つがたどたどしい。それでもやっとこさ小さな花輪をつくっては、品を氷川にプレゼントしていた。あまりキレイな作りではなかったが、処女作とあって、氷川はとろけるような笑顔を浮かべていた。 「楽しそうで何よりだ」  オレが言うと、関元も顔をほころばせた。 「あの子も今日まで、何かと緊張を強いられ続けた。こんな落ち着ける場所があると助かる」 「そうだな」オレが同意すると、隣の凜花が不思議そうに言った。「しっかしここはスゲェよな。草や花だけじゃなく、でっない広葉樹まで生えてんの」  凜花が、ブナとおぼしき幹を叩いていった。それはまっすぐに伸びて、天井で折れ曲がっていた。辺りを見渡せば、他の木々も似たようなものだ。上が塞がれているので思うように伸びる事ができていない。その様子がひどく窮屈に感じた。 「なぁワタル。こんだけ木々があればよ、燃料とやらも手に入るんじゃね? ほら、枝を燃やしたりしてさ」今の凜花は木材に関心があるらしい。 「生木じゃダメだぞ。枯れたもので、充分に乾燥させないと薪として使えない」 「ふぅん。じゃあやっぱ当面は風呂に入れねぇな。その辺の木々をぶった切ってやれば、木材が手に入ると思ったのに」 「無茶言うな。せっかくの緑地を荒らすだけだぞ」  オレが苦笑して咎めると、誰かが続けて言った。「どうか無体はおやめください」と。それは聞き覚えのない、くぐもった響きだった。 「今のは誰だ!」  オレはとっさに身構えて、四方にライトを向けた。どこにも人影はない。 「私はここにおります」  返答はおだやかな口調だった。それでも姿が見えず、警戒を強めた。不可視の敵かもしれない。  そこでまた謎の声が言う。「今しがた叩いたブナを御覧なさい」と。あくまでも落ち着きを払った声だった。 「ブナの木……。まさか!」  ライトを木の幹に向けてみる。すると、根に近い部分に大きなコブが膨らんでいた。良く見るとそれは独特な形をしていた。さながら膝を折りたたんで倒れる人の形だった。 「もしかして、お前が喋っているのか?」 「ご明察。ようこそ旧人類のみなさま、知られざる森へ。代表して、私が歓迎の意を表します」  ブナの木は声を響かせては、優しく枝葉を鳴らした。サラサラという音に合わせて、回りの野花も揺れて、金色にきらめく花粉を振りまいた。
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