第1話 目覚めたら虜囚

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第1話 目覚めたら虜囚

 鉄の臭いで目が覚めた。一体なぜ、どうしてと、眠い目をこすってみる。その場で手を着くと、ギシリと耳障りな音も聞こえた。 「なんでこんな音が……?」  慣れない感触がする方へ顔を向けると、思わず悲鳴がもれた。シーツが赤黒い。それが血なのか、別のものかは分からないが、不潔だと理解した。  赤錆で劣化したパイプベッド。これは自分のじゃない。コンクリートがむき出しの6畳くらいの部屋も、自室じゃない、見覚えすらない。  そう気づいた瞬間、腹の奥底から恐怖がこみあげてきた。 「何なんだよ、この部屋は!?」  とっさに窓へ駆け寄った。部屋に2つある窓は、ガラスが無く、その代わりに鉄格子がはめられていた。そこから見える景色は高いブロック塀だけ。情報が少なすぎる。ここが見知らぬ土地である事は確実で、日本なのか海外なのかさえも判断できなかった。 「おおい、誰か! 助けてくれ!」  反射的に叫んでしまった。何の反応もなく、それどころか静けさが耳に痛い。車の音、人の気配、虫の鳴く音すら聞こえない。まるで音が消し飛んだ無音の世界のようだった。 「おかしいだろ……昨日は部屋にいて、宿題やって。それからは、ええと――」  昨晩の事はだいたい覚えている。下宿先で大学のレポートを書き終え、寝酒を飲んでいた。途中で眠たくなって、そのまま寝たと思う。いつも通りの夜で、本来なら、いつも通りの朝を迎えるはずだった。  怖い、なぜオレが、ここはどこだ。いつの間にか誘拐でもされたのか。取り留めもない不安が次々こみ上げてくる。もちろん答えの用意などない。 「そうだ、警察! 110番してみれば!」  ポケットをまさぐる。空っぽだ。愛用するグレーのトレーナーとデニムパンツはいつも通りだが、あるべき所にスマホがない。財布、身分証、バッグもない。ただ、着古しの服を着る自分が、見知らぬ部屋に居るだけだった。 「何なんだよ、オイ! どうしてオレがこんな目に!」  半狂乱になって部屋を見渡す。まともな家具はなく、ベッド以外には小さな袖机があった。引き出しは3段。上から順に開けていく。  1段目、からっぽ。2段目もからっぽ。しかし、閉じた拍子に重たい音が鳴った。3段目に何かあると期待した。 「頼むぞマジで。何か良いもの。使えるやつを……!」  祈りながら3段目を開く。するとそこには、1台のスマホが転がっていた。オレの私物じゃない。黒色で、カバーすらない剥き出しのスマホがあった。  どう見ても他人のものだ。しかし、付近には人の気配もなく、誰かが居た形跡すら無い。まるで『オレに使え』とでも告げるかのように思える。 「よし分かった。ちょっと借りるぞ。こっちは切羽詰まってるんだから……」  スマホを手に取り電源を探す。だがその間にも、液晶はパァッときらめき、画面上に長々と文字列を浮かべた。  それも一瞬のことで、すぐに『ようこそ』の文字に切り替わった。セットアップ前としか思えない画面だった。 「どういう事だ? もしかして新品?」  しばらくジッと眺めていると、スマホがブッブと振動した。そして何かを通知するとともに、けたたましい警告音を吐き出した。  すると画面も赤く染まった。血の赤さだ。そこに黒のフォントで不穏な言葉がつづられていく。 ――警告 警告  地球の支配者トシて振る舞ウ人類のミナサマ  アナタたちはもウお終イです  これより地球ゼンイキがみぞウの大災〓に見まわれマス  地震でシにまス  火ざん噴火デシにます  大嵐ニ飲まれて〓にマス  食物を失イ飢えて〓〓まス  他のセイメイと同じクしにタエル運命をたどり〓ス  シカし運良く生キ残ったカタ  おめデトうござ〓まス  アナタは本当の支はい者ト共存共栄できる権利を与エら〓〓した  次のヨを生き延ビルにはコちらのボタンを……  そこまで読んでスマホを投げ捨てた。    「何なんだよ、さっきから!?」  身の毛もよだつとはこの事だ。あまりのおぞましさに、その場から逃げて、部屋の隅で震えてしまう。落ち着いてくると、悪趣味、笑えない冗談、そんな言葉が脳裏に浮かんできた。 「誰の仕業だよ……。イタズラにしちゃ、ずいぶんと大掛かりだな、オイ!」  わめき声には、静寂だけが返ってくる。ここで『大成功』のプラカードが出てくることを期待したが、結果は違った。何を叫んでも独り相撲にしかならないらしい。 「つうか、ここから出られないのか? 出口は……」  唯一の出入り口は鉄扉だった。覗き穴部分も鉄板で覆い隠されている。扉は見るからに頑丈で、素手で破壊するのは不可能に思う。 「開いてろ。カギなんてかかってない、開いててくれ……!」  ドアノブを握り、少しずつ回してみる。すると、扉はアッサリと開いた。  しかし喜んだのも束の間だ。部屋を出た先は似たような光景で、壁も床もコンクリート。鉄格子のはまった窓がいくつか並ぶ、直線の通路があるだけだった。 「つうか靴どこだよ。このままじゃ外に出らんないじゃん」  コンクリートなら平気だが、屋外に出られたとして、素足では歩けない。だからと言って、使えそうな物には期待できない。家具も小物も一切見当たらず、生活感の欠片すら感じられなかった。  果たしてこれが人の住む場所なのか。現住居でなく廃墟だったとしても、ゴミやチリくらいは落ちてるだろうに。  いよいよ気味が感じられ、足早になる。だが、それが良くなかった。 「うえっ!? 何かふんだ! きんめぇぇ!」  T字路に差し掛かったところで、粘着質なものを素足で踏んづけた。生ぬるく、まとわりくつ感触に、思わず絶叫。そのまま駆け戻ってしまった。 「最悪だ! 最低の中でも一番最悪だよクソが!!」  布はどこだ。トレーナー、ズボンはさすがに嫌だ、などと思った矢先にひらめいた。あの汚らしいベッドシーツなんて最適だろうと思う。 「オレのシーツじゃねぇが、別に良いよな。あんだけ汚れてんだから……」  速歩きで帰還、ベッドに駆けつけて足をぬぐう。意外にも優秀で、ベタリと張り付いた汚れがすぐに落ちていった。  悪いな持ち主。洗濯機を見つけたら洗って返すよ、見つけたらな。 「つうか、何か履ける物は無いのかよ。このままじゃT字路の先に行けねぇぞ」  部屋には何もない。一面がコンクリート。袖机には怪しげなスマホだけ。じゃあベッドの下はと覗き込んでみると、すぐに見つけた。 「なんだこれ、スニーカー?」  見慣れない、新品同然のクツだった。なぜかサイズはぴったりで、履き心地も良い。底のゴムも分厚いくせに弾力があり、いくらでも歩けそうに思う。 「悪いがちょっと借りる。汚すと思うけど、ちゃんと弁償するから」  名も知らぬ所有者に詫びておき、探索を再開した。例のT字路、道は左右に分かれている。ぬかるみは気色悪いが、歩く事自体に問題なかった。  そうして左に進むと、またもや鉄扉に阻まれた。 「あっ、ここは開かねぇのかよ?」  何度も引いて、最後には押してみたが、開かないものは開かない。どうやらカギが掛かっているらしい。 「やべぇな。もし閉じこめられてたら、飢え死にしちまうよ。出口か、せめて食える物が無いと……」     ぬかるみの上を一歩一歩、進んでいく。妙に暗いのは、窓がやたら小さいせいか。鉄格子こそ無いものの、窓というより通風口に近く、日差しがほとんど入ってこない。期待してなかったが、天井に蛍光灯もない。あったとしても、ここに電気が通っているかは疑問だ。   そんな観察を挟みつつ、右の道を進んでみると、またもや鉄扉が待ち受けていた。 「頼む、開いててくれよ……開いた!」  蝶番(ちょうつがい)のきしむ音を聞きながら、次なる場所へ移る。変わらず薄暗い。しかし、今度は景色が一変した。長い通路の側面に広い空間があった。近寄ってみれば、思わず心が踊ってしまった。 「ここってもしかして、ダイニング?」  異質な廃墟化だと思っていたが、急に文明的になった。4人がけのテーブル、コンロ、冷蔵庫。そしてシンクまである。足元もぬかるみは見当たらず、清潔そうなフローリングが敷き詰められていた。 「これ、水は出るのか?」  試しに蛇口をひねれば、くぐもった音ののち、真水が勢いよく溢れ出した。キレイだと思う。まずは両手を洗い、濡れた手のひらを鼻に近づけてみた。無臭だ。手触りも異変はなかった。 「じゃあ、一口だけ飲んでみるか。一口だけ……」  いつのころかノドが渇いていた。怪しかろうとも水が欲しい。両手に水を溜めて、すする。美味い。雑味もない。浄水かと思うくらいには、身体が喜んでしまう。 「えっ、美味すぎ。何だこれ、めっちゃ美味いなアハハ」  自然と笑いが込み上げるくらいには堪能した。一口と言わずにガボガボ飲んでしまい、気づけば水っ腹になってしまった。 「食い物は……。いや、やめとこう。今は出口を優先して探すか」  ダイニングを後にして先に進む。左右に扉が見える。それらはありきたりな物で、木製だった。開けてみると、片方は洋式の水洗トイレ。もう片方は、一脚のイスだけがポツンとある小部屋だった。   出口ではない。それとなぜか、懐かしいような気もしていた。 「この光景、どっかで見たような気がすんだよな。でも実家とは違うし、親戚の家は和風だし、下宿先とも似てないし……」  文明的になったせいか、考察する余裕が生まれていた。機能的な靴でフローリング床を快走していく。やがて突き当りにまで来ると、次の鉄扉が見えた。 「さてと、次はどんな光景が待ち受けてんだ?」  少しワクワクしながら開いたのは、ノンキすぎるだろうか。胸が期待に膨らむ。  鉄扉を開けてみると、すぐに絶望が押し寄せてきた。その先は一本道の通路があり、途中で鉄格子が道を塞いでいた。 「おい、ウソだろ……!」  鉄格子に駆け寄って揺さぶった。体当たりも何度か試みる。しかし無情にも、道は閉ざされたままだ。鉄製の隔たりは全くビクともしなかった。  こうしてオレは確信した。この訳のわからない空間に閉じこめられてしまったのだと。   「フザけんな! 誰かいないのかよ! おい!!」  鉄格子を蹴りながら、何度も繰り返し叫んだ。あまりに理不尽で腹が立つ。こうなればヤケだ。オレの足が折れるのが先か、鉄格子が壊れるのが先か。それともオレの気分が鎮まるのが先かもしれない。  どれだけ蹴りまくっただろう。足が気だるくなったころ、ふと、人の気配を感じた。薄暗い通路の先をジッと注視してみた。 「誰か、来る……?」  ヒタヒタという足音。それは途中から駆け足になり、やがて姿が見えるようになる。女だ。同い年くらいで、ブラウスとセーター、下はスカートという格好だった。  やっと人間に出会えた。助けてくれ、ここから出してくれ。そう告げようとした矢先、相手の方が先に口を開いた。 「ちょっとアナタ、これはどういう事!? 私をこっから出してよ!」  その言葉を理解するのに、少し時間が必要だった。そして理解が及ぶほどに、少しずつ目眩が段階的に押し寄せてきた。  閉じこめられたのはオレだけじゃない。鉄格子の向こうの女も、同じく囚われの人間だった。
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