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⑧
私がバンドの誘いを断った時、相手の子が本当に残念そうな顔をしているのに驚いた。
その旨を放課後公園で待ち合わせしていた佑李に伝えると、眉を下げて微笑する。
ベンチに座る互いの距離は、間に人が入れないぐらいの間隔だ。
「やっぱり断ったんだね」
「うん。私は不特定多数の人に聴いてもらう歌より、自分の気持ちを大切にして歌いたいから」
そっか、と佑李は頷く。
チラリ横を見たら今日はタッセルの飾りが見えなかった。
この状態だと聞こえずらいと思うから、自然と声を大きくするように心がける。
「じゃあ、実子の歌は僕の独占かぁ」
佑李の言葉はスキップでもしそうな勢いで弾んでる。
「独占って……。まぁそういうことになるけど」
でも、別にこれからも佑李のために歌うんじゃないけどね。
私が好きで歌っているところに、佑李がたまたま聴いているって状況をつくることにするだけ。
それでも私の歌を聴きたいって思ってくれるなら、それは普通に嬉しい。
「それにしてもなんで佑李は私を『推し』なんて偶像にしたの?友達じゃダメなわけ?」
そう聞くとなぜか佑李はあからさまに動きを止めた。
私が顔を覗き込むより先に、ノーマルの笑顔を浮かべる。
「だ……って、実子はセンパイじゃん?先輩と友達ってよくないよね」
その思ってもみなかった回答に、数秒前までの佑李の不自然な態度を疑問に思う気持ちが完全に消えた。
「はぁー!?今更それ言う!?散々好き放題言ってたくせに!」
驚きすぎて声が大きくなった。
今まで超絶生意気な態度をとってた佑李から出たとは思えない発言。
佑李は仏のように完璧な笑顔のまま黙っている。
「先輩だと思ってた自覚が少しでもあるなら、もっと敬意を払いなさいよ」
「会話をするときは全部片膝ついて話した方がいい?」
「そういう屁理屈ばっかり言う……」
頭を抱える横で佑李はカラカラと楽しそうに笑っている。
ほんとにこの後輩ってやつは……。
「ね実子、これなら飲める?」
打ち付けに何か差し出されて、指でもんでいた眉間から手を離して視線を向ける。
まるで南国を連想させるようなカラーの、小柄なジュース缶。
「ミックスフルーツジュース。前、オレンジジュース飲んでたから柑橘系はいけるのかなって」
鮮やかなオレンジ色の英自体の向こうで佑李は小さく首を傾げた。
「え、飲める飲める、ありがとう。でもまた差し入れ?私今日は歌う気分じゃないけど」
「分かってる。でもこれは僕が実子にあげたかったから」
なんだそれ。私、なんか佑李に貰ってばっかりだなぁ……。
前に聞いた「何か考えといて」もまだ返事貰ってないし。
佑李の好きなものってなんだろう?
今聞こうか迷ったけど、佑李はじっと私を見ていた。
「飲まないの?」
「今飲んだほうがいいの?」
「だってせっかく冷やしてきたのに」
「……そうなんだ。なんかとことん優遇されてるね私」
佑李は一言「推しだから」と微笑む。
……なんとなく、分からないけど推し以外の感情もありそうなのは気のせいだろうか。
しかも佑李自身は水筒の水を飲んでるから、なんだか飲みずらかったけど……せっかく貰ったんだから遠慮せずに飲ませてもらう。
「んー。すっぱうまい。後味甘くて美味しい」
こんな商品あるんだ。知らなかった。
前に飲んでたオレンジジュースのことを覚えていることにも驚きだけど、佑李の記憶力ってズバ抜けてることを思い出す。
それに今の私の一連の動きを佑李に目で追われ微笑まれて、なんか怖い。
飲み干しながら視線を配ると嬉しそうに目を細められた。
「良かった」
その笑顔に万感の想いが込められている気がして、思わず気恥ずかしくなって視線を逸らす。
ぐいっと飲み切って、缶をポーンと放り投げた。
ゴミ箱に見事にゴールイン。
よっしゃ気合い入った。
「美味しかったから一曲歌おうかな」
勢いづけて立ち上がった私に、佑李は分かりやすく目を輝かせる。
「え!ほんと!何かリクエストしていい?」
「してもいいけど歌うかは別ね。私の気分と合ったらそれ歌う」
「じゃあ、この歌」
佑李がスマホで見せてきた曲。英語の歌詞で有名な、日本でもカバーが出てる明るい曲だった。
「じゃあ今日はこれでいこうかな。これなら英語の歌詞で歌えるし」
「わーい!ありがとう!」
佑李は笑顔を弾けさせながら、耳に手を添えてイヤホンを下ろしたみたい。
現れたタッセルが耳で揺れる。
ベンチに座って期待の瞳で見据えている姿に、自然と歌う意味が一つ増える気がした。
でもこれは自分のために歌う。佑李は、ただ聴いているだけ。
目を閉じて、感覚を集中させて口を開く。
流れるようにアップダウンする音程に、歌っている私も元気になれるような前向きな歌詞。
今の明る意気持ちとともに歌いながら……ほんのちょっとだけ、佑李のためを想って歌う。
せっかく聴いてくれているんだから、一ミリぐらいは相手のことを想ったって誤差だ。
肩を小刻みに上下させて歌詞に思いを込める。
サビの途中うっすら目を開けだけなのに、見えた佑李の瞳がまばゆいほど輝いていて笑ってしまった。
本当に、私の歌を好きでいてくれているんだね。
最後の方は嬉しくなっちゃって、もう佑李のことしか考えてなかった。
ちゃんと目を開けて、驚いた佑李の顔を正面に受けながら歌う。
なんか……今のこの感じ、めちゃくちゃ推し活って感じじゃない?
私が推される側で、佑李は推す側。
一対一のこの対等な関係が妙に心の中でしっくりきた。
先輩後輩の距離感が、普通の友達ではないような不思議な関係が、今はすごく近く感じる。
そしてそれは全然嫌な感情じゃない。むしろ楽しいぐらいだ。
佑李は小さくリズムをとって聴き続けている。
本当に楽しそうだ。
自分のための歌だけど、歌う理由は自分の気持ちを発散するためじゃなくてもいいかも。
今の私の、佑李のためを想って歌うことだって……、自分の気持ちと一緒に歌っているようなもんだ。
歌い終わった時、ここ最近で一番心がスッキリした。
隣に座った途端、佑李が隣で大袈裟なぐらい大きな拍手をする。
通りかかった人が驚いて二度見していった。
佑李の隣に座りながら、ハタと真顔になる。
「待って、私こんなに明るい時間から歌って大丈夫かな?」
「めっっちゃ感動した!」
同時に喋り出していた。
発光するような佑李の笑顔と、眉を顰めた私の顔が向き合う。
「佑李被せてきたでしょ」
「被せてないよー」
いつものテンションで言葉が返ってくる。
佑李の笑顔は一部の隙も狂わない。
でも私は佑李との距離感に慣れてきて、ぐいっと彼に近付いた。
「そんなこと言って、本当の本当は?そんなに私の歌が良かった?」
なんだかいつもと立ち位置が真逆だから、いつも佑李がしているみたいに煽りながら言ってみる。
「え」
なぜか身をのけぞらせて佑李は固まった。
「え?」
パッと片手で顔を隠した佑李の顔が——赤い。
「えっ?」
思わず私も身を引いて佑李を観察する。
……これどういう状況?
なんだか座っている距離まで近いことに気が付いて、距離を離してみる。
佑李は顔を背けちゃった。
私は何も言えないまま、佑李がこっちを向くのを待つ。
無理やり佑李の顔を掴んでこっち向かせるわけにもいかないもんなぁ……。
しばらく夕暮れの空を眺めていた。
ようやく佑李がこっちを向く。
「やっとこっち見——、」
言葉に被せるように、頬に何か柔らかいものが触れた。
「——は」
今……やけに佑李との距離が近かった気がするんだけど、き……気のせいだよ、な?
頬を指で押さえて……いや勘違いじゃないと佑李を見て思う。
私の方に身を乗り出して、照れくさそうな顔している。
嘘でしょ。
私は思わず立ち上がっていた。
「……仕返し」
佑李はそう言ってニヤリと笑った。
仕返しって。
私はひゅっと息を吸い込む。
「——はぁ!?」
私の人生最大音量ともいえる大声に、佑李は完全に破顔した。
「あはははっ」
「ちょっと佑李!年上を揶揄うのも良い加減にしなさいよ!」
「実子がノーマークなのが悪いんだよ」
「ありえない……」
本当にありえない。
いくらなんでも頬にキスするなんて軽くセクハラだ!
人から初めてこんなことされて、全身の動悸が止まらない。
普通の人間だったらきゅんとかするのかもしれないけど、佑李相手にそんなことしないし、これはきっと危険信号から成る不整脈だ。
佑李は座ったまま笑いながら私を見上げる。
「実子、ちゃんと気をつけなきゃダメだよ?狙ってくる男の人いっぱいいると思うから」
「あんたにだけは心配されたくない……」
佑李はずっと笑っている。
その笑顔がかつてないほど明るくて、怒りも吸い込まれてしまうから恐ろしい。
完全に参ってしまい、こめかみを手で押さえる。
「やっぱ推し活禁止にしようかな……」
そう呟けば佑李は笑うのをやめて真顔になる。
「……冗談だよね?実子」
顔がマジだ。
「冗談だけど」
私の声に抑揚がなかったからか、まだ不審な目をしている。
「……本当に冗談だって。それでも信じないなら話は別だけど」
途端に佑李はけろっと笑顔になって「だよねぇ!」とすぐ調子に乗る。
これ、一生つきまとわれる気がするんだけどどうなんだろうか。
先が思いやられる。だけど、はいた息とともに顔は笑っていて、そこまで深刻な問題じゃないことは確かだった。
「佑李は、一生私のファンを続けるつもりなの?」
佑李は少しだけ沈黙した。
すっくと立ち上がって私の側まで来る。
そしてさっきあんな大胆なことしておいて、急に遠慮するように私の手を取った。
揺れるタッセルが目に入る。
紛れもない事実は、佑李は私のファンだということ。
こんな……愛らしい仮面つけておいて行動は大胆で、全部分かってるような顔して、実は心が繊細な佑李が。
軽々と佑李の生態を羅列できるぐらいには、この数日で彼のことを理解してしまった。
それに、耳に特別な事情をもちながらも私の歌を聴いてくれること。
それを知っちゃえば……他のことは急にどうでも良くなってしまうんだ。
怖いぐらい、佑李って不思議な存在だ。
繋がれた手に力が入る。あたたかな熱が、まっすぐと見つめてくる視線が、全て佑李の本気を示している。
佑李は唇を持ち上げて、『年下』の男の子の顔で微笑んだ。
「うん。僕はずっと実子のファンだよ」
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