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邂逅
寛容でなければならない。
喚き立てる子供にも、顔を合わせれば小言ばかりの妻にも。
凡そ身の丈に合わない贅沢な暮らしには、大分前から厭気が差していた。
とは言え、人生は短かい。これぐらい耐えられなくてどうする。
美しい妻、やたらと元気な子供、都会の一等地、人気住宅街からの出社、社会人としてあるべき姿を親類縁者含め部下、友人知人と全方位に示して生きていかねばならない。
今日も電車が混んでいる。車窓に映る自分の姿を見つめていると、
ブチッ。
突然、何かが切れた。
その後も外面の装いは完璧だった。対外的にはこの能面を崩さずいた、
はずだった。
―――――
「こんにちは」
普段顔を合わせないハウスキーパーと初めて会った。
送られてきていた名刺をろくに見ておらず、丁寧な仕事から女だと思い込んでいたが男だった。しかも若かった。
彼は一頻りの挨拶の後に、吉野と名乗った。ペコリと頭を下げて来るので、真似た。
「今日は在宅なんですね」
「ええ」
「いつもきちんと毎食食べてくれて有難うございます。いつかお礼を言おうと思っていました」
「捨ててるかも知れないよ」
「俺、ゴミも見てますから」
「え、本当に」
「冗談ですよ。引っかかりましたね」
互いに機嫌取りをせずの会話が話し易くて、それから何となく、彼が来る日に合わせて在宅仕事に切り替えた。周りは仕事関係で話す人間ばかりだったので、単純に人恋しかったのかも知れない。
彼が帰る時は必ず見送ることにしている。
その日は魔が差した。
「一緒に食べて行かないか」
「業務範囲外です」
「その分の手当を出せば?」
「いいですね」
吉野は我が家のキッチンを把握している。
目の前で手際良くテーブルを整えていく。
この子、いいな。
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