第2話 知った顔と知らない顔

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第2話 知った顔と知らない顔

 部屋に入ると一瞬全員の視線がこちらを向いて少しの笑いが起こっただけで、すぐ向き直ると、中央で正座をした館林がまたしゃべり出したのをほかの者が聞いている、といった具合だ。しょっちゅうやっているというわりには何か仰々しいものを感じてしまう。  手招きをする館林に応えてその横に座ってあらためて眺めてみると、知らない顔が数個こちらを向いている。  誰だろう? 心当たりもない……。  などと思っているのはお互い様で、その知らない顔も同じような疑問を持っているのが感じ取れる。確かなことは、ほとんどが女性であるということだけだ。そんな予想していた苦手な雰囲気に包み込まれていると、おおっと、その中の一人が手を上げている。 「飯田か?」  思わず名前を呼んでしまった。以前から盆と正月だけは田舎に帰ることにしていたのであるが、一度だけ益川の病院に行ったときに偶然出会ったのが、看護師をしているこの飯田美希(いいだみき)だったのだ。  とりあえず簡単な挨拶を済ませ、おろおろと知らない顔と目を合わさないようにしながら用意されていた一番奥の席に着いたとき、正面の(ふすま)が開いた。  一目見て普段着とは思われないよそ行きを着たその女性は、部屋に入るとすぐに座る場所探しをしている。翔太はすぐに分かった。有藤仁美(ありとうひとみ)だ。その仁美は周りに促されながらも、 「私、知らない人の横は嫌!」  知らない人……?   そんな失礼なことを良く通る声で言いながら、しかも目も合わそうとせず、半ば嫌々とでも思える素振りで翔太の横に座った。  すかさず、 「仁美さん?」  と尋ねると、あっちを向いていた仁美がハテナ顔を翔太の方に向ける。  周りもすっかり静かになって二人に注目している。 「俺、俺。翔太。柳翔太!」 「えっ、ええっ、柳君なの?」  昨日床屋で刈り上げてもらったばかりの頭を掻きながら翔太が笑う。  この有藤仁美は、高校時代には副生徒会長をしていたほど活発な女性である。活発な女性だからこそ、女性と話をするのが苦手な翔太のような者にも気兼ねなく話し掛けてくれていたのだ。 「お久しぶり」  お互いに挨拶を交わすのだが、何かぎこちなくて照れくさい。でも翔太にとれば、ここに至るまでに持っていた不安を取り除くのに都合の良い存在であり、たぶん途端に表情を変えた仁美にしてもそうなのであろう。だから周りの視線を跳ね返すように、 「仁美さん、この前の同窓会には行ったのか?」 「いいえ。私、用事があったから……」  みんながこっちを見ている中でそう言う仁美。ついでに、 「飲み会にはよく来るのか?」  そう聞いてみると、 「いや、全然。私今回が初めてなの……」  おしぼりで首の辺りを拭きながら仁美はそう言う。  自然と首筋に目がいってしまうのであるが、束ねるようにして長く伸ばした髪を上げたとき、首筋にわずかながら(ふく)らみを感じさせるホクロらしきものがあるのを見つけてしまう。思わず、顔も出さずに過ぎ去ってしまった年月を惜しんでしまった翔太である。  相変わらずみんなの視線が集まっているのだが、ポケットの中の携帯はまたブルブルと震えて着信を告げている。この場に上がって三回目だ。誰がやっているのか見るまでもない。この場を離れなければと思う気持ちと離れたくないと思う気持ちが交差して、少し頭が混乱してしまっている。 「柳君は?」  今度は仁美がそう聞く。 「俺は盆と正月に一週間程度しか帰ってきていなかったし、兄貴夫婦が帰ってきたらいつものように朝から晩まで飲んだくれて……。それに自分で言うのもなんだけど、こう見えても親孝行者で、兄貴らが帰ってこなかったらいつも両親を乗せてどこかにドライブに行ってたんだ。『体が動くうちに』、親にそう言われると断るわけにもいかないしな。その母親も四年ほど前に逝ってしまって……」 「――そうだったの。ごめんね」  とても嘘とは思えない。こんな狭いエリアに住んでいて、仁美も知らなかったのだ。  約十七年、高校を卒業して以来の再会だ。十七年といえば、アバウトな計算でも五回は卒業していることになる。  この飲み会に来るに際して、こんな長きに渡って空白の期間を開けてしまった自分を、みんなは受け入れてくれるのだろうか? どんな反応が返ってくるんだろうか?  ここ数日そんな不安が胸いっぱいに広がり、もし冷たくされたらと、そのとき用の決断と勇気までこの場に持ち込んできていたのだが……。  ほかの社会とほとんど付き合いのなかった十七年間で形作ってしまった心。その「ほかの社会」の中には、残念ながら我が故郷も入っている。  それが今胸の中にわだかまっているやつの正体であり、要は自分の言動一つだと分かってはいても、それを笑うかのようにその正体が時折首をもたげてくるのだ。  そんなときに、 「柳君、お酒飲めるんでしょう、ついであげようか?」  もちろん妻でも飲み屋のお姐さんでもない。  そんな仁美の声を聞くと来て良かったな、と心から思うのであるが、ポケットの中の物はまた震えて、そんな翔太に生きるか死ぬかの選択を迫ってくる。 「ところで柳君、蛾の対策はしているの?」 「蛾? 話が見えないけど、どういうこと?」 「去年の夏に大量発生して、騒ぎになったことは聞いていないの?」 「その話は聞いたことがあるけど、もしかしてまた?」 「どうやらそういうことらしいの。何が原因かは知らないけど、だんだん増えていってるっていうことよ」 「確か体に卵を産み付けられたらやばいことになるっていう話だよね」 「そうなの。お互いに気をつけようね」  本当に心配してくれているような仁美の顔を見ると、過ぎ去った十七年間が嘘であったかのように思えてくる。  ――意外に和やかな雰囲気だ。まるで俺を待っていたかのような、そんな風にも感じられる。  館林が挨拶をしている間に並びの者とわずかに話をしただけなのだが、同級生っていいな……。何年ぶりだろう、こんなことを思ったのは。  閉ざしていた心が次第に和んでいくのを感じている翔太であるが、またポケットの中の物がブルブルと震え出すと、和みかけていた心が緊張感に変わっていく。  だから切れてしまったものの、念のために携帯を見てみると、 ≪翔ちゃん。私と同級生とどっちが大事なの? 下で待っているのよ!≫  確か、『私は車の中で寝ているからゆっくりしておいでよ』、などと聞いたような覚えがあるのだが、タイミングがタイミングだ。そう出てこられたら考える余地もない。  詳しいことを言うわけにはいかないものの、急用ができたとして翔太がその場を去ろうとしたとき、 「二次会もあるんだよ」  そう引き止めているかのような有利奈に向かって、 「へぇー。でも今日は遠慮しとく。また誘ってくれよ」  取りようによってはその向こうで睨んでいるかに見える館林をよそに、その場を後にした翔太であった。  ――その翔太がいなくなった部屋では館林が明美を呼んで、 「翔太のやつ、これからだっていうのに帰ってしまったじゃないか。翔太抜きで行ったら悪いように思われてしまうかもしれないぞ。大体おまえ、どうしてそんな離れた所に座ってるんだ?」 「勘違いされたら困るし……」 「勘違い? 勘違いって、誰に……。ま、今更言っても仕方がないけど、前に言ったこと、忘れるなよ」  などとヒソヒソ話をしているのだが、翔太は、 「信之介……」  ついに最後までひとことも触れられることのなかった親友の名を呼びながら、ゆっくりと狭い階段を下りていたのだが、途中で一人の男とすれ違う。  もしかして、とは思ったものの先を急がねば……。
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