第3話 暗闇の中のオチコ

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第3話 暗闇の中のオチコ

 翔太がその場を離れた後に入ってきたのは岡部純一(おかべじゅんいち)、通称「オチコ」であった。  この男、そう呼ばれるところが示すように、片親が隣国の人である。それを持ってどうのこうのということは同級生の間ではないのだが、翔太と入れ替わるように現れた思いもよらぬ岡部の登場に、全員の目が釘付けだ。  そんな岡部が来たことで場の雰囲気は一変してしまい、宴もたけなわというところまではいかないものの、早々と恒例のものが始まろうとしている。ビデオショーだ。館林はこれを反省会と称している。この男の同窓会にかける思いは相当なものがある。  早速全ての座卓が隅によけられ、持ち込まれた機材が配線でテレビと繋がれていく。 「おい、オチコ。おまえさっき産廃屋の交差点で翔太の車とすれ違わなかったか?」  多少のいら立ちを込めて館林がそう聞くのであるが、 「産廃屋?」  岡部はそれ以上何も言おうとせず、軽く頭を下げるとテレビの前に集まっているみんなを無視するかのようにして、隅に寄せられた座卓の前に座るとビールをあおり出した。  何も失礼なことではない。館林の誘いのもと、この前の同窓会で余った金を使ってこの飲み会をやっているのだから。それを知っている岡部はさらにビールをあおりながら、テーブルの上の物をムシャムシャと食べている。ちょっと異常にも思えるのだが……。 「オチコ。何してるんだ、おまえ? これからいつものが始まるのは分かりきったことだろう? そんなものなら後で幾らでも飲めるから、こっちに来いよ!」  そう声を掛けたのは、男性陣のナンバー2とも言っていい原田庄司(はらだしょうじ)だ。    依然としてそしらぬ顔をしたままビールをあおっていた岡部であったが、やがて立ち上がるとテレビの前に行くどころか、集まったみんなの横を通り抜け、部屋を出ていってしまった。 「なんだよ、あいつ……」  すでにテレビには映像が映し出され、早送りや巻き戻しが繰り返されている。そんな映像にみんな釘付けなのだが、こんな席は今日が初めてという有藤仁美は、部屋を出て行く岡部の背中をじっと見ていた。  岡部はトイレのドアを閉め、固くロックした。  すぐに結構大きな財布を開けると中身を確かめる。カードの(たぐい)は一枚もなく、入っているのは万札が三枚だけだ。  ――そのとき、繰り返しドアをノックする者が……。  慌てた岡部は盗んだ財布をごみ箱の中に入れ、トイレットペーパーを多めに取ると、水に浸してからクチャクチャにしてその上に放り投げて、足で押さえつけると(ふた)をした。  とっさの判断だった。そして、何食わぬ顔をしてトイレを出た岡部。  ドアの向こうに立っていたのは山内真理(やまうちまり)だ。  岡部はチラッと顔を見ただけで、何もしゃべらず部屋の中に戻った。  テレビには前々回の同窓会の風景が映し出され、何度か見ているはずなのに、それでも身を乗り出してみんなが見ている。特に仁美は初めてとあって、懐かしい顔を見つけては、 「いやぁ、井上君、松村君、えっ、これもしかして上岡君? いやぁ、緑ちゃん。懐かしい。いやぁ……」  と、テレビに映し出された久しぶりに見る友の顔に興奮気味だ。  岡部はまた自分の席に戻ると一人でビールをついで、一気に飲み干した。 「岡部君……」  その名を呼びながら、襖の間から手招きをしている真理。  自分を見つめるその視線から良からぬものは感じるものの、それを手にしているわけではないから騒ぎにはならないはずだが、それでもまだ見ている真理には少し心が痛んだ岡部であった。  メンバーの中で、そんな岡部に声を掛ける者は誰一人としていない。酒癖が悪くて、この前の同窓会のときに派手にやらかしているからだ。  全く相手にされない存在であるが、それから数人の者がトイレに行くのを岡部は見ていた。もちろん男性用と女性用と一つずつあるのであるが、男性用のが使用禁止中とあるために、待つ者がいても不思議ではない。  そして十五分ほどしてから岡部はもう一度トイレに立った。  ごみ箱を開けてみる。  あった……。    岡部が躊躇(ちゅうちょ)なく全ての中身を抜いてポケットに入れると、すぐにまたドアをノックする音がした。思わず、岡部が空になった財布を窓からすぐ横の川に向けて放り投げると、それは月明かりを反射しながら視界から消えていった。    これで一安心だ。もう証拠はない……。    そんな安堵した気持ちでドアを開けると、外に立っていたのはやはり真理だ。 「よく会うな、こんな所で。もしかしたら、おまえと俺は(くさ)い仲かもしれないな……」  そう言うと腕組みをやめ、パチンと手を叩いて笑う真理。そして、岡部が避けるようにして真理の前を通って部屋に入ろうとすると、 「岡部君……」  背中でそう呼ぶ真理の声が聞こえたのだが、岡部は聞こえないふりをして(ふすま)を閉め、ビデオショーが行われているその向こうの寂し気な場所に戻った。それでも、「岡部君、岡部君……」  わずかに開けた襖の間から、顔を半分覗かせた真理がそう口を動かして呼んでいる。  気付かれたのかもしれない……?  ――あのとき仁美は翔太と免許の更新の話をしていて、バックから財布を出して免許証を確認すると、 「ヤバい。今月じゃん!」  などと言いながらも話に夢中になる余りに、先にテーブルの下に置いていたバックの上に、その財布をポンと置いてしまったのだ。  今までこういう集まりには欠かさず顔を出していた岡部だが、今度ばかりは来るべきかどうか迷っていた。岡部には、妻と別れて以来仕事らしい仕事にはつけずに金に困っているという、口に出せない厳しい現実があるのだ。岡部は、このままいけば近いうちに俺は終わるかもしれない、そんな不安を絶えず抱いていたのだ。  そんなとき、翔太と仁美が飲み会に来る、そんな話が耳に入ると突然現れて、耳元で(ささや)く悪魔の声に導かれるままに心が一変し、翔太は初めてだし気持ちも浮くはずだ。仁美は仕事熱心なあまりにいまだに独身を貫き、いろいろと聞いてはいるが、地元に残った女の中にあっては出世頭だ。しかも二人にとっては初めてのことであるから、和樹は隣合わせの席を用意しているはず。  案外話が盛り上がってチャンスかも……。 「岡部君!」    また真理の声が聞こえる。最初から狙っていたとはいえ、やはり心が痛む。こちらに来いと言っているのは分かっているのだが、それでも知らん顔を決め込んでいると、襖を開けて小走りでやってきた真理が向かいに座ってじっと岡部の顔を覗き込む。  岡部は立ち上がって、フラフラとしながらもテレビの前にたむろしている者達に近寄ると、 「すまん。飲み過ぎて気分が悪くなったから、俺帰るわ」  偶然振り向いた友梨奈だけが聞いていたみたいなのだが……。  表に出ると、玄関先の駐車場に停められた車の陰に隠れていきなりの立ち小便だ。 「うん……?」   ふと人の気配を感じて店の方を振り返ってみると、それに気付いたかのような人影が建物の陰に隠れたのが見えた。それが功を奏したというべきか、用を足しながら目を細めてじっと眺めてみると、二階のトイレの下辺りに月明かりを反射して白く輝く物が……。  チャックを閉めるとまさかの思いで近づいてみる。  やっぱり財布だ。予想は見事的中。上を見上げると数本の電線がある。あのとき投げた財布が電線に当たって下に落ちたのだ。  こんなものが見つかったら大変なことになってしまっていた。俺はついているぞ……。  ――岡部は何気なくその財布をポケットに入れ、暗い夜道を歩き出した。
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