第3章 見えてきたもの 第1話 不思議な親子

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第3章 見えてきたもの 第1話 不思議な親子

「しかし、翔太だけは変わらんのう……」  翔太のいない隙に二階に上がった茂は、部屋の中の様子を見るなりそう呟いた。「まったく、こりゃあ場所を選びながら歩かなならんぞ」  などとぼやきながらも、きれい好きであるが故にほっとかれない。だから、ゆっくりと片付けを始めたのであるが、いきなり、 「なんじゃ、この小さな本は?」  ベッドの下に落ちていたそれを手にして不思議顔だ。「あいつ、こんな奥の方に置いといて、なんの意味があるっちゅうんじゃ? あっ……」  白々しくも、部屋の片隅に見つけた物入れの上に同じような物が積んであるのを目にすると、ついでにその全てを本棚に収め、「しかし、見渡す限りごみの山じゃのう」  とまたぼやきながらもつま先を立てて部屋を渡り、二つあるガラス戸を両方とも開けてから、再び片付け出した茂であった。  その本というのは、次第に心が求め出すにつれて隠しているのが嫌になった汐里が、自分の始まりと、なぜここに現れたのかを正直に伝えるべく、翔太に手渡そうと思って持ってきた物だ。  でも、もしかしたら嫌われるかもしれない、そう思うとなかなか翔太に渡せず、隠してもじもじとしている間に出された翔太の手を取ったときに、ベッドの下に投げ込んだまま忘れてしまっていたものである。  もちろん、そんなことなど茂が知るはずがない。しかし、やがてこれがある女の心についた火に油を注ぐ結果となってしまう。  ――想像した以上に手間がかかる大変な作業であったから、掃除機をかけるのは一服してからにしようと思い、台所でコーヒーを飲んでいるときに玄関の戸が開いた。  聞かずとも誰かは分かっている。だから、 「おかえり……」  当然茂の声は耳に届いているのであるが、「翔太、おまえなぁ……!」  と言われても黙ったままの翔太だ。    それまでそういう役をしていたのは恋人の留美子(るみこ)であったのだが、実家の母親の節子が亡くなってからしばらくして『まだまだ大丈夫。心配せんでもわしは一人で生きていくから』、と言っていた父親の茂が『足が言うことをきかんようになったんじゃ』、などといったことを理由に急に弱気になって、 『帰ってきてくれ。頼める者はおまえしかおらんのじゃ』  と、日に何度も、仕事中にでも電話をかけてき出したのだ。  いつかはくるであろうと思っていたことではあるが、翔太には一郎という兄がいて、そのときは兄夫婦が帰るという約束になっていたものの、母の節子よりも先に兄の妻であった聖子が逝ってしまってから、 『俺は田舎には帰らない』  一郎がそう言い出したのだ。  全く予想もしていない事態である。同じ京都のすぐ近くに住んでいたから、何度か話し合いをしようと訪ねたこともあったのだが、そのことに触れると怒り出す始末だ。   この一郎と茂とは馬が合わない。  それとなく一郎に聞いてみれば、 『おやじから電話がかかってきたことはない』  と言うのに、当の茂に言わせれば、 『一郎に電話しても出ない』  そんな有様だ。  それにしても、兄貴夫婦が建てた家に俺が帰る、まずいんじゃないの……? などと思いながらも留美子には、 『もしかしたら少し長くなるかもしれないけど、様子を見に帰るだけだから、そのうち京都に戻ってくるからね』  そんな噓をついてまで、渋々と帰ってきた翔太なのだ。  たまに食事を共にするぐらいで、手を握ったこともなかったのに……。  食事も取らずに二階の部屋に上がった翔太は、椅子に腰掛けて暮れゆく日本海を眺めていた。そうしていれば心が和むのだ。そのときだけは帰ってきて良かったと思えるのだ。  そして考えていた。益川テックという鋳造(ちゅうぞう)会社で働き出した翔太であったが、建物こそ違うものの、仕事中近くで話していた男。あとで聞いてみれば成川勇司(なりかわゆうじ)と名乗ってはいるものの、よく似ていた気がするのだ。あの安藤智則に……。 「翔太、飯は食わんのか?」  階段の下辺りからそんな茂の声がする。続けて、「翔太!」  今度は中程ぐらいからだ。足が悪いと言っていたくせに……。  いつものようにドアを閉め直してからロックをかけ、何も答えない。それが翔太流の答え方だ。  それにしても、せっかく心が和んでいたところにあの声が飛び込んでくると、途端にイラッとしてしまう。一切を無視して京都に戻ってやろうかと思いもするが、それができない自分に対するイライラが募るばかりだ。  ――もう留美子からの電話もかかってこなくなった。かかってこない以上、自分から電話しようとは思わない。  コンビニで買ってきたお菓子をつまみながら神前(かみさき)島を見ていると、そんな自分がおかしくなる。というのも、言われてみなければ気付かないことであると思うが、あの島の中央にあるトンガリの向こうから、今日も変わらずかすかに煙が上がっているからだ。 「信之介のやつ……」  そんな自分とは違って、我が道を真っすぐ進んでいる男があの小さな島にいるのだ。 「おお、我が愛すべき友よ!」  思わずそう口に出してしまうと、 「晩飯は食わんのか? お~い!」  またそんな声が耳に飛び込んできて、イラッとしてしまった。  ――でも、あの日のことはすっかり忘れてしまったかのように、不思議とそんなときに聞こえてくる声がある。 「もしもし、翔ちゃん……」  汐里だ。まるでどこかから見ているかのようなタイミングでかけてくる電話。そんな調子だから、次第に心が惹かれていったというのも当然と言えよう。ましてや知っていたわけではないが、益川テックという会社は地元では有名なぐらい給料が良い。だから、そのうち店を閉めてしまう汐里を食わすことなどどうってことないのだ。「何よ、その声? またお父さんとやっちゃったの? ふふっ……。明日休みじゃない、今からおいでよ。なんなら(うち)に泊まってもいいしさぁ」  ということは店が暇なのだ。それが営業トークであるかどうかは別にして、その声を聞くと途端に心が一変してしまう。  だからさっきまでのことはすっかり忘れてしまって、今はこの家の風呂場でシャワーを浴びるべきか、それとも汐里の家に行ってから浴びるべきか、頭を悩ませていた翔太であったのだが、 「津本信之介(つもとしんのすけ)君! 行ってくるぜベイビー!」  とりあえず立ち上がって着替えを探してゴソゴソとしていたら、台所の戸が開く音に次いで、また階段を少し上がった辺りから、 「晩飯食うんか? お~い、翔太!」  着替えるのをやめて、部屋が片付いているのにも気が付かずに、そのままの服装で家を出た翔太であった。 「あのバカが!」  ――この頃からである。  浦吉で以前のような蛾の大量発生が確認され、また行政からの指導が出たのは。しかし、益川テックは忙しいこともあって、会社独自の検査をするということを前提にして、そんな行政の指導を無視する形で、浦吉から通う者の出勤を認めていた。  本当は、益川でも1、2を争う会社であるから納める税金もかなりのものがあるために、役所に強いコネを持っているからであるのだが……。
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