第4話 が、不思議な女に

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第4話 が、不思議な女に

 腹ばいになりながら前進しているうちに伝わってくる感覚から、穴が上向きに変わったということが分かる。そして、更に少し進んだ頃だった。 「やめて!」 「なんの話だ?」 「私には聞こえるの!」 「何がだ?」 「この穴の向こう側にいるものたちの鼓動が……」  あのとき、定めを受け入れて神前島に上陸した日の夜から始まった、自分の体の異常と二人を取り巻く現状が、やっと一つの線となって理解することができた優香のすぐ横で、思わず穴の先端に耳を当てている信之介である。 「俺には何も聞こえないぞ。おまえ、どうかしてるんじゃないのか?」 「信之介君に聞こえないのは無理もないわ。でも信じて、私には聞こえているの。これ以上掘っちゃ駄目!」  優香の大きな声が穴の中に共鳴する。その興奮ぶりに押され、 「分かった。続きは後で聞くからそんな大きな声は出さないでくれ!」  とりあえずは出口に向かってバックし出した二人。  まんざら嘘とも思えない。第一、噓をついてなんの得がある? いずれにしても、警戒すべき場所であるということは覚えておかなければならない、と信之介は思った。  とはいえ問題は、「ではどの方向に掘るべきか?」ということである。  ――出会ってから間もないこともあってわずかな警戒心は残っているものの、とりあえず、日差しを避けてテントの中に座り込んだ二人。  本当は問い詰めて心の中のモヤモヤを解消したいのだが、やたらと小柄で髪の長いこの女。あらためて見ると実に可愛い。それに、何かのグラビアから抜け出してきたような、いや誰かが理想の曲線美を描いたかのようなナイスバディーだ。 「何よ、これ? 君もしかして、自給自足っていうのをやっているの?」  ブルーシートを取って、テントの一角にある灰の溜まった辺りを見て優香が聞く。「いつからこんなことをしているの?」 「ということは、昨日は一晩中外にいたということなんだな?」 「当たり前じゃない。それが私の仕事なんだから……」 「仕事ってなんだよ?」 「しなければならないことなの……」 「しなければならないこと? ところでおまえ、今日は何月の何日か分かるか?」    思わず優香が笑っている。 「君、そんなことも知らないんだ?」 「おまえ、知っているのか?」 「ええっと……」 「昨日が六月の十九日だから、今日は二十日だ」 「分かってたんだったら聞かなくていいじゃない。へぇー、そうなんだ。じゃあ何曜日なの?」 「火曜日だ」 「ちょっと聞きたいけど、それがどうしたっていうの?」 「たぶん、あと五日したら分かることだ……」  (おか)から百メートルほど行った所にある平べったいわらじ島。さらに百メートルほど行けば、島の中央に尖った岩山を持つ神前(かみさき)島。  今、その神前島から眺める日本海は湖のように静まり返り、水平線の上に湧き上がる入道雲は、十分な夏らしさを胸いっぱいに伝えてくる。 「ねえ、信之介君。そんなことよりさっき私が言ったことに答えてよ」 「俺がいつからここに住んでるかっていうことだな? 事の始まりは去年の夏に親戚のカダおばあちゃんが()られたことで、住み出したのは今年の春からだ。あの頃は海上保安庁の船がしょっちゅうここら辺をウロウロしていたんだ。そういったことが俺の確信を深め、決断させたんだ」 「海上保安庁の船? そういったこと? 殺られた? 誰によ?」  信之介が優香の方を振り向いた。その目の奥には人に聞かれたくないことが溜まっていることを感じた優香だが、「いいじゃない。さっき出会ったばかりだけど、私なんか同じバス停でバスを待っている者の一人だと思ったら」 「それはおまえの事情だ。俺には俺の事情がある。また気が向いたら言うかもしれないけど、今は言わないぞ」  そう言うと、また歩き出した信之介の後を追う優香。 「ちょっと待ってよ!」  そして、島の中央にあるトンガリ岩の裏側にある、さっき出たばかりの洞窟の入口から少し入った所で立ち止まった二人。 「やめて! これ以上掘っちゃ駄目ってさっき言ったばかりじゃない!」 「そうじゃない。上を見てみろ」 「あっ!」 「そうだ。冬になって海が荒れ出したら、相当上まで掘っておかなければ居場所もなくなってしまうんだ」 「それならいいんだけど、下の方はあれ以上掘っちゃ駄目よ! 絶対に駄目!」 「いちいちおまえはうるさいんだ。おまえが掘るわけでもないのに余計なことを言うな! そんなに気になるんだったら近寄るな!」 「もう一度だけ言っておくけど、幾ら掘ってもあなたには聞こえないわよ……」 「同じ人間じゃないか。どうしておまえに聞こえて俺に聞こえないものがあるんだ? 訳の分からないことを言うな!」 「掘っちゃ駄目なの!」  と、優香は意味不明なことを繰り返す。そんなことを言われるとなおさら意地になってしまう。ましてや相手は女だ。  やがて日が落ちる頃になると、その日の仕事を終えた信之介がすっかり汚れた姿で現れて、どこから持ってきたのかヤスを手にしてそのまま優香の横を駆け抜けた。 「ふふっ……。信之介君、本当は裸になって飛び込みたいんでしょう?」 「なんだって?」  と言い残したまま海中に姿を消した信之介であったが、再び上がってきたときにはヤスの先端に結構大きな魚が刺さっている。「バカなことを言うな。この辺りは日が暮れるとサメが出るから急いで飛び込んだだけなんだ。食料だけはちゃんと確保しとかなければな」  そして、腰にぶら下げた網袋の中に獲物を入れると、再び海中に姿を消した信之介。  本当は優香の言う通りなのであるが……。
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