第5話 しみじみと見上げた星空

1/1
前へ
/41ページ
次へ

第5話 しみじみと見上げた星空

 そよそよと吹く潮風が燃え上がる炎を揺らしながら通り過ぎていく夜に、トンガリの裏で魚を焼いている二人。  何度言っても言うことを聞こうとしない優香は、(おか)には上がらずにこの島で暮らすという。それなら仕方がない。それなりの役割分担をしようじゃないか、ということで話は進んでいった。    あのときはたまたま水中から現れただけであって、よく観察してみれば、泳ぐのは得意だけど、潜るのにはそう慣れてないみたいな優香だ。それに、優香の場合は潜って魚を突いたことなど一度もないと言う。やはり女だ。ヤスで魚を(あや)めるのには抵抗があるのだ。  だからもっぱら魚捕りは信之介の仕事で、優香は貝や海藻を捕ることに専念することと決めた。  地元では、ここ神前島とわらじ島の間にはサメのたまり場があって、海の深い所から必ず見ているから近寄るな、という伝説めいたものがある。  もちろん、(おか)から百メートルはある上に水深もかなり深く、日によっては結構潮の流れも早いことから「あの辺りには行くな」という、大人達がでっち上げた作り話であるが、そのおかげで魚介類が手付かずのままで育っているために、その日の食料を確保するには一時間もあれば十分だ。  それでも大人達のごく一部には、そんなことを無視してサザエやアワビを捕りにくる者もいたのであるが、最近になって、わらじ島には得体の知れない女が住み着いている、という噂が漁師達の口から村中に広がると、誰も来なくなってしまっていたのだ。  ――離れ小島の暗闇の中で、燃え上がる炎を挟んで座る二人の姿は、その周りを取り囲むぼんやりとした海であるとか、小さな照明のように夜空に輝く星々の光もあって、まるでおとぎ話が書かれた本の表紙絵のようだ。  脂を垂らしながら焼けていく魚を見つめている二人。 「おい、優香。おまえ結構素潜りにも慣れてきたじゃないか」 「慣れるも何も、捕らなきゃ食べ物に困るじゃない。畑があるわけじゃないんだから」 「そう言うわりにはおまえ、あんまり食べないな。お腹がすかないのか?」 「私はそういうふうにできているの。燃費がいいのよ」 「燃費か……。俺もそういうふうに生まれたかったよ」 「小さい頃はそうじゃなかったんだけど……」 「どういう意味だ?」 「お腹いっぱい食べてからぐっすり寝れたけど……。それから表に出てみんなと遊ぶ。そんな自由な毎日を送りたかったって言ってるの!」 「大きくなってからはそうじゃなかったっていうことだな? どういうことだ?」 「それは言えない。どうして信之介君がここで暮らしているのか、さっきの続きを教えてくれたら言うかもしれないけど……」 「おまえと俺は、もしかしたら気が合うかもしれないな……」  少しではあるが、焼きたての魚を口にした優香はとても満足げな表情を浮かべる。まるで初めて知った味に驚いているようにも見える。だから、 「もしかして、おまえが育ったのは山の中か?」 「そうでもないけど、あまり海に行ったことがなかったのは確かだわ」 「とりあえず、そこは日本なんだな?」 「そんなことを聞かれても……」  誰もいない二人だけの離れ小島。  よほど気に入ったのか、優香はしきりに焼けていく魚を引っくり返している。  そんな二人の語らいは、やがて自らの過去を語る方へと向かっていった。 「ところで信之介君、こんな所に一人でいて寂しくないの?」 「全然……」 「ふふっ……。でも、どうしてこの島で一人っきりで暮らそうと思ったの? 本当はほかの理由があるんじゃないの?」 「おまえこそどうして今もここにいるんだ? さっさと陸に上がったらいいじゃないか?」 「私は静かな所が好きなの。もともと、とても静かな所にいたんだから……」 「おまえの言うことは一つ一つ訳ありに聞こえるんだ」 「それはまた今度話すから、先に私の質問に答えて。どうして君はこんな所で暮らしているの? だって親戚のなんとかっていう人が殺られたっていうのがきっかけだって言ってたけど、それって一年前なんでしょう? そして住み出したのは今年の春。ずいぶんと時間がかかってるじゃない。その間に何かがあったんじゃないの?」  少しの間会話が途切れてしまったが、本当は信之介の答えの中に、自分の求めるものを見つけたい思いの優香だ。でも、 「――俺の家は、向こうに見える村で雑貨屋をやってるんだ。食料品から文房具まで、生活に必要なものは全て揃っているけど、去年隣の町にできたショッピングモールに押されて売り上げは減る一方なんだ。本当のところ、俺は学校を出たら都会で働きたかったんだけど、おやじが(すた)れていく一方のあの村の店を、俺に継げと言い出したんだ」  聞きたいと言ったわりには、しきりに竹串に刺した魚を裏向けにしている優香。自然とそちらに目がいってしまうと、まるで(ひと)り言を言っているかのように思えたりする。「おやじに言わせれば、『車を持っている者はショッピングモールで安く買い物ができるけど、一人暮らしをしている年寄りはこの店がないと生活できないから、みんなのことを考えたら店を閉めるわけにはいかない』って言うんだ……。おいっ!」  優香のそのきょとんとした表情は、いかにも遠い所から帰ってきたようなものを感じさせる。 「それは考えものね」 「おまえ、聞いていたのか。結構器用なんだな?」 「器用? 君ってうまいこと言うんだね。そうなのかもしれない……。そりゃあ、お父さんの気持ちは村の人にとったらありがたいことだと思うけど、あとを引き継いだ者にも将来があって、生活があるんだからね」 「そうだ。それに、俺には姉さんがいるんだけど、浦吉の人と結婚したらさっさと都会に行ってしまったんだ。『こんな収入の安いところでは家も買えない』とか言って……。おやじの気持ちも分かるけど、だからといって俺が……。なんの相談もなしにだぞ。順序が逆だって思わないか?」  そこまで言ったところで、 「信之介君、あれ!」  と、いきなり優香が指さした方を見ると、流れ星が一筋走ったのが見えた。 「ねえ、信之介君。どうして流れ星が消えるか、その理由って知ってる?」 「それは地球の大気圏に……」 「全然違うわ。私たちと同じで、あっという間に寿命を(まっと)うしてしまうからなのよ」 「おまえ、今まで変わってるって言われたことはなかったのか?」 「そんなことを言う人がいるわけがないわ。たとえ私のいないところでも……」 「なんだ、その自信たっぷりの答えは?」 「――ふふっ。つまり、きっかけは親戚の人が殺られたっていうことだけど、実際この島に引っ越そうと思ったのには、そういった事情があったっていうことなのね? そして、君はここに住むことで、反対の気持ちを伝えたいって思ったんだ?」 「――おまえ、まあいい。そうだ。ここなら村から丸見えだからな」 「へぇー。でも、そんなことを言ってるけど、本当は君、店を引き継ぐつもりなんでしょう?」    聞いていないように見えていたのだが、それどころか、話の背景まで探っているような優香がますます不思議に思えてくる。 「――引き継ぐっていうか、あの店を閉めてしまえば、俺が年寄り連中を殺したみたいでいい気持ちはしないから、とりあえず残ってはいるけど、あとは成り行き次第だ」  優香が笑っている。思えば初めて見る笑顔だ。何かしら心豊かなものを感じている信之介。 「それにしても、あのイケスみたいな水溜まりの中につけてある特大サイズのペットボトル。あんなにたくさん誰が持ってきてくれているの?」 「それは俺の友達の漁師だ」 「あっ、そうか。じゃあ、ついでに食べ物も持ってきてもらったらいいじゃない?」 「そういうわけにはいかないんだ」 「どうしてよ?」 「おまえ、もしかして金持ちの娘なのか?」  一瞬にして表情を曇らせた優香が信之介を睨みつけたような顔で、 「どうしてそんなことを聞くの?」  じっとしたまましゃべっているのだが、別の何かが急に迫ってきたような気になってしまう。 「どうもおまえの話を聞いていると、庶民感覚とはずれているような気がするからだ」 「そうね。金持ちかどうかは知らないけど、好きな物は食べれたわ。私が口にしたことは全部叶ったし。最後の一つ以外はね……」 「口にしたことが全部叶った? 何者なんだ、おまえっていう女は?」 「それは内緒よ……」  そう言ってから、竹串に刺してある焼き上がった魚を口に運ぶと、ガブリと一口。「信之介君のも焼けてるんじゃないの?」  女というのは不思議な生き物だ。歳を聞いたことはないのだけれど、さほど変わらないと思えるわりには母親に物を言われているような気になってしまう。 「それはないだろう? さっきおまえはなぜ俺がここにいるかについてしゃべったら、自分のこともしゃべるって言ったじゃないか」 「言ったところでどうせ信用してもらえるわけがないからよ……」 「なんだ、その自信は? まあいい。嫌なものを無理やり聞こうとは思わないしな。でも、気が向いたらそのうち聞かせてくれ、約束だぞ」 「うん、分かった。そのうちにね。信之介君って結構頑固なんだ。それでこのトンガリ岩の裏側にテントを張って暮らしてるっていうわけね。村側じゃないっていうのがせめてもの思いやりっていうものじゃない。そして、知り合いの漁師さんが水を届けてくれてるっていうことなのね」 「その通りだ」    しかし、幾らうまいからって、骨をベロベロと舐める女も珍しいなぁ……。
/41ページ

最初のコメントを投稿しよう!

7人が本棚に入れています
本棚に追加