第6話 そして怪しい女に

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第6話 そして怪しい女に

「翔ちゃん、またなの。またあのでっかいのが私を追い掛けてきたの。はっきりとは分からなかったけど、叫び声まで聞こえてきたのよ」 「そんなことってあるよな。こうしてしゃべってるのとは違って、ぼやっとした声なんだ」 「普通はね。でも昨日のは違ってたわ。たぶん叫んでいたのは私の名前だったと思うけど、あんなものが寝るたびに出てきたんじゃ、とても寝る気になんかなれないよ」 「くくっ……。そんなことを言ったって、寝なくちゃ仕事にならないじゃないか。いや仕事どころか、大変なことになってしまうぞ」 「だって……」  翔太にすればその汐里の叫びが、「(うち)に来てほしい、抱いてほしい」というおねだりに聞こえて仕方がない。なぜなら仕事が忙しいこともあって、ここ一週間ほど御無沙汰しているからだ。だから、 「分かった。今度の金曜日の晩に行くから、それまでなんとかもたしなよ」 「うん、待ってるからね……」  汐里にしてはその素直な返事に、翔太は少しだけにやけてしまった。 「くくっ……」  ――一方、いつものように夕方になってから吹き抜ける風に、時々海がざわつき始めた神前島。 「一つだけ聞きたいことがあるの。この前来てくれた船のことなんだけど、あれっておかしくない? 信之介君がこの島に住んでいるのは村の人達も知っていることなんでしょう? 当然この島には水がないということも。だから誰かが届けてあげなければならない。その誰かっていうのが漁師さんっていうのは分かるわ。でも、どうしていちいち明かりを消す必要があるの? それに、どうして明かりを消してまで向こうの島との間に船を止めなきゃいけないの? 以前は違っていたでしょう? あっ……」 「以前……? どうしてそんなことをおまえが知ってるんだ?」 「本当のことを言うと、前に一度だけここに来たことがあったの」 「夜にか?」 「向こうの(いそ)に上がって寝てたら夜になっていて、そのとき偶然見たの」  「おまえ、なんか怪しいな? 何か隠してるんじゃないのか?」 「私が何を隠してるっていうの? 私はこの土地の者じゃないし、そのために何かを持っているってわけでもないでしょう? 見た通りビキニ一枚なのよ!」 「そんなに熱くなるな。かえって疑ってしまうじゃないか」 「そんなことより私の質問に答えてよ!」 「その理由は簡単なことだ。神前島の外側にいたら見つかってしまうかもしれないからだ」 「見つかる?」 「今言ってもどうせ信用しないだろう。今度の日曜日、おまえのその目で確かめろ」  暗くなれば余計に光り輝くような白いビキニ。信之介も男だ。目の前の優香に強いことを言われると引かずにはいられない。「村の人達も知ってはいるけど、根本的には俺とおやじの問題だから、(おか)にいるおやじに対する礼儀という意味から明かりを消しているんだ」 「礼儀って……。だって危ないじゃない。そんなことをお父さんが望んでいるとは思えないわ」 「それはおまえが勝手にそう思っているだけだ。ただし言っておくけど、あの漁師達もやりたくてやっているわけじゃない。村でも悪い評判が立っているということだから、そのうちあいつらも別の方法を考えるだろう。そんなことよりおまえは何度もそれを聞くけど、そんなにこの島とわらじ島との間に船が入るのが嫌なのか?」 「ただ思ったことを聞いてみただけよ……。でも、評判が落ちている、別の方法を考える、ってどういうことなの?」 「そんなことまでおまえに話すつもりはない」 「何かがあるのね……? これ以上聞いたってどうせ教えてくれないだろうから聞かないけど、いつまでも夏じゃないんだよ」 「そんなことぐらいおまえに言われなくても分かっている。だからこそ穴を掘ってるんじゃないか」 「あっ、そうか。それにしてもあの穴、本当に君が一人で掘ったの?」 「そうだ。最初に掘った穴は潰されてしまったけどな……。とにかく下側もそうだけど、冬がくるまでに、もっともっとトンガリの上の方に掘り上げていかなくちゃいけないんだ」 「それもよ。前にも聞いたけど、潰されたって誰によ? どうしてそんなことをされるの?」 「それも日曜日になったら分かることだ。とにかく今からしたら信じられないことだけど、冬になったらこの海はすごく荒れるんだ。それに……」 「それに何よ? 本当は、海の底でじっとしているあれのことが言いたいんでしょう?」 「――おまえ、知っていたのか?」  「当たり前じゃない。アクアラングをつけて潜っていたら嫌でも目に入るわよ。それに見えてしまったら、生き物かそうでないのか、自分の目で確かめてみたくなるのが当たり前っていうもんじゃないの?」 「それもそうだな……」 「信之介君の話からしたら、親戚の人が殺られた頃にはあれは島の外にいたんじゃないの? でも、なんとかっていう船が現れだしたもんだから……。そう考えたら話が合うじゃない」 「おまえ……」 「ということは、あの漁師さん達の船は、海の底でじっとしている物と同じように移動したっていうことになるわ。あまりに深くてぼやっとしか見えなかったけど、私には生き物とは思えなかったわ。しかも上からだし。でも、もしかしたらそうで、漁師さん達は餌でもあげているの?」  「餌って……。遠くからにしても見えたのは見えたけど、それがなんであったか分からなかったっていうんだな?」 「当たり前じゃない。だって私が生まれ育ったのはおとぎ話の世界で、深い海の底も見たことがなければあんなものなんて……」 「うるさい! 黙れ! そういうことだったのか。それもそうだな。おまえは今、生き物かそうでないかを確かめたかったと言っていたな。生き物でなければ思い浮かぶのはただ一つ。でも、それが分からなかったということは、おまえはそういった物すら知らなかったということだ。そうなると、おまえが生まれ育った所は……。おまえと一緒にいたら、俺まで頭がおかしくなってきたぞ。おまえ結構面白いんだな」 「でも、これだけは言っておくわ。お金で人の心は買えないの! そんなことをしていたら絶対にバチが当たるの!」 「急に大きな声を出すな! しかし、おまえっていう女はどこまで怪しいんだ? 分かった。おまえは怪しさの塊だということが分かった。これからはそれなりの付き合いをさせてもらうからな……。それよりおまえ、俺のことばっかし聞いてるけど、おまえはどうしてこんな所までやってきたんだ? 星を追い掛けてるとか言っていたけど、嘘なんだろう?」 「嘘なんかじゃない。私は星を見ていないと気が済まないの」 「どういうことなんだ?」 「星は私の魂なの」 「おまえ、真顔で言ってるけど、冗談がきついぞ」 「冗談だったらいいんだけど……」 「それにしても、あの暑さの中でよく昼寝ができるもんだな。しかもテントの中で?」 「寝てるっていうより、死んでるって言った方が近いんじゃないの?」 「おまえな……」 「うふっ……。そんなに知りたいんなら、約束通りに本当のことを教えてあげる。私は【たぶんおとぎ話】っていう物語の世界で、底なしの谷に落ちて死んだはずなの……」 「いい加減にしとかないと怒るぞ! 俺は本当のことを話したんだから、おまえも本当のことを話しろよ。えっ、【たぶんおとぎ話】?」 「信之介君、知っているの? そんな訳がないよね」 「俺の友達の家でチラッと見たことがあったぞ。よく破れないもんだな、と思えるくらい小さくてボロボロの本だったけど。本というよりも、ノートぐらいの厚さだったかな……」 「へぇー、初めて聞いた話ね。ねえ、今度その人の家に連れてってくれない?」 「いつかとは約束できないけど、別にかまわないぞ」 「なんていう人なの?」 「柳翔太っていうんだ。俺のいとこなんだけど、あいつかわいそうに……」    何せ発電機があるわけでもない、自然任せの自給自足の生活をしているのであるから、信之介が携帯を持っているわけがない。だから、なんの連絡もなしに翔太の家に行ってもいるかどうかは分からない。分からないけど、約束した以上は優香を連れて行かなくてはならない。  もちろん、神前島を出たのは明るいうちなのであるが、偶然というものは恐ろしいものがある。目当ての翔太が浜の防波堤に座っているのだ。  早速ゴムボートの空気を抜いて砂の中に隠してから、翔太の家に向かった三人。  玄関の戸を開けると鳴り渡った鈴の音に応えるように、台所からまたいつもの声が聞こえてくる。 「翔太か?」  茂だ。そしていつも通り、何も答えず二階の部屋に上がる翔太だが、「お客さんか?」  また階段の中程辺りからそんな茂の声が聞こえてくる。 「お~い、翔太! あのバカが……」    ――それはどういうつもりなんだろう、とつい考えてしまう。あまりに優香がキョロキョロと辺りをうかがっているからだ。でも、それはそれとして、 「おい、翔太……」 「信之介、心配するな。村は大騒ぎになっているけど、ほら……」  その先を言わそうとせず、自らTシャツを脱いで上半身を見せる翔太。「そんなに気になるんだったらズボンも脱ごうか? なんならパンツも?」   すると、翔太に合わせて信之介がTシャツを脱ごうとしたときに、 「おまえは脱がなくてもいい。おまえに卵を産み付ける蛾なんかまずいないからな」  そんな軽い冗談が、今の翔太の心を和ませる。そして、信之介が期待していた通りの笑顔を浮かべる翔太に、 「しかしおまえ、まんまとハメられたもんだな? それと翔太。前庭に置いてある車の落書き、気付いているのか?」 「あれだけでかく書かれたら、分かるなという方が無理ってもんだぞ。やっている現場も見たことがあるしな」 「何も言わなかったのか?」 「うかつに叱ったら、かえってひどくなったりすることも考えられるしな……。信之介。今から言っても仕方ないけど、おまえの言うことを信用するべきだったよ」 「おまえ、ほかに何かやられているのか?」 「考えればきりがないけど、あの落書きにも書いてあるように、俺がおやじをいじめてるとか、兄貴の建てた家を取ったとか、まるで罪人扱いされているような気がすることもあるんだ……」  大方のことを聞いていた優香が笑っている。その優香を見て、大方の予想がついた翔太も笑っている。なぜなら、優香が結構ダブダブな信之介の服を着ているからだ。 「ところで信之介。よっぽど突然の来客みたいだったな? おまえにしてはもったいないぐらいの」 「お客さんじゃない。今となっては大切な相棒だ」  早速、翔太は優香に対して不思議なイメージを持つことになる。というのも、自分は信之介と優香のことについて話しているのに、その優香は、 「ねえ、【たぶんおとぎ話】って本、どこにあるの?」  と言ったっきり、本探しに夢中になっているからだ。そしてすぐだった。 「おまえ、優香。そんなものどこで見つけたんだ?」  と、翔太が聞くのも、重ねた本の一番上に、【――上巻】と書いてあるのが見て取れるからだ。 「どこって、本棚の間に挟まっていたのよ」 「そんなわけないだろう? 俺も何回か上巻を探して部屋中をひっくり返したことがあったんだけど、見つからなかったんだぞ。えっ、ちょっと待て。何冊あるんだ?」 「……全部で六冊よ」 「一冊多いじゃないか? 俺が読んだのは四冊だぞ。上巻を入れても五冊のはずだ。増えてるじゃないか?」 「そんなこと、私に言ったって分かるわけないでしょう」  それを手にした翔太。 「なんだよこれ? 何も書いてないじゃないか……。ま、とりあえず貸すけど、また持ってきてくれよ」 「うん、分かった。それで、どうしてあなたがこの本を持っているの?」 「それは、友達の陽向汐里ちゃんっていう人に借りたんだ」 「陽向汐里(ひなたしおり)? その(ひと)、信之介君知ってるの?」 「いや、初めて聞いた名前だ。おい、翔太。おまえ、本当はその人とどういう関係なんだ……?」 「彼女だよ。一番大切な人なんだ」  そんな二人の話をよそに読み始めた優香であるが、次第に様子が変わっていく。様子どころか姿までもが……。 「し、信之介……」  その意味を聞くまでもない翔太の問いに、 「し、翔太……」  そう答えるしかない信之介であった。  三十分ほどいたのだろうか。  二人はやや日が傾き出した頃に翔太の家を出て、また神前島へとゴムボートを漕ぎ出した。波穏やかな海であるにもかかわらず、優香は六冊の本を胸に抱き締めて、いかにも水に濡れないようにしているかに見える。 「優香、おまえにとってその本はそんなに大切なものなのか?」 「そうじゃないよ。そのうち翔太君に返さなきゃならないから大切に扱っているだけなのよ。ついでに言っておくけど、おとぎ話はただの作り話じゃないんだよ。その全部にちゃんとした背景があるんだよ。ただそれを面白おかしく書き換えただけでさぁ。私はその背景を考えるのが好きなの……」  などと答えながらも、初めて出会った日を思い起こさせるように、真っすぐ神前島を見つめている優香であった。
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