第4章 神前島に咲いた花 第1話 気付いたこと

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第4章 神前島に咲いた花 第1話 気付いたこと

「やばいことになったぞ。どうしよう?」 「どうしようって、無くなってしまったものは仕方ないわよ。このままトンガリの穴の中で寝るか、それとも、もう一度(おか)に上がって新しいのをもらってくるしかないでしょう。信之介君とこのお店、テントは置いていないの?」  と優香が尋ねる通り、たった二時間ほど島を離れただけだというのに、中に置いていた物ごとテントが無くなってしまっているのだ。 「まさか?」  急いでトンガリの穴の入口に向かって走り出した信之介。  すかさず優香が後に続く。「ちっくしょう! ベッドまで……」    信之介が期待していた折り畳み式のベッドが無くなっているのだ。 「私のことならいいのよ。一晩中星を見ているんだから。それにしてもおかしいじゃない? 波も穏やかだし風もないのに、どうしてペグが打ち込んであったテントがなくなるの? 見る限り漂ってもいないし……」  小さな横穴に入れていたためであろう。かろうじて残っていた釣り竿と、あわびを取るのに使っていた愛用のナイフを手にした優香が言う。しかし、事はそれだけで終わったわけではない。 「おおっ!」  そう言ったっきり、二人は固まってしまった。おそらくサメの背びれと思われるものが、今、島のすぐ近くを横切っているのだ。その大きさたるや半端ではない。 「おい優香。あんなものがいたんじゃおちおち魚突きもできやしない。これからはせいぜい投げ釣りをするしかないぞ……」  少し震えた声で信之介がそう言った。 「それにしてもすごいタイミングよね……」 「タイミングって言ったって、まさかあのサメがテントを奪ったわけでもないし……。でも驚いたな。噂は本当すぎるぐらい本当のことだったんだ……」 「そうなのよ。信じられないことって結構あるものなの。ちょうど今の私がそうであるようにね」 「まただ。癖か何か知らないけど、おまえ、何者なんだ? 本当のことを言ってみろ!」 「――そんな悲しいことを言わないでよ……。さっきは私のことを相棒って言ってくれたくせに……。しょせん人なんてそんなものよ。自分しか信用できないようにできているのよ」 「確かにそれも一理あるけど、はっきり言っておく。この前翔太の家には行ったけど、だからといって俺の家には帰らない。テントは諦めろ。でも、俺の掘った穴が貫通したあかつきには時々帰る。テントを調達するのはそれからだ。いいじゃないか。そのうち引き継ぐ自分の店から物を持ってきたって」 「あるのね、良かった。それにしても、信之介君って私と同じぐらい自分勝手なんだね」 「どう取ろうがおまえの勝手だが、これが俺のニュートラルだ」 「ふふっ……。ちなみにだけど、家の人には言ってあるの」 「おやじには言っていないけど、おふくろには言ってある。おふくろは俺の気持ちを理解してくれているからな」 「そんなことならそのゴムボートで陸まで行ったらいいじゃないの」 「そういうわけにはいかないんだ。さっきはおまえに約束したから行ったけど、翔太のおやじがいつも見張っているんだ」 「翔太君って、さっきの人でしょう? そういうことだったの……。だからあのお父さん、ひつこく聞かなかったのね? 家を出るときには黙っていたし……」 「その通りだ。あのとき翔太は浜にいたから、おやじさんは二階の翔太の部屋に上がって、全てを望遠鏡で見ていたに違いない」 「そうか。ということは、信之介君のお父さんに代わって、翔太さんのお父さんがこの島を見てるっていうことなのね。つまり、お父さん同士仲が良いんだ」 「そういうことだ。俺の家は村の端の方にあるんだけど、翔太の家はここからでも見えるぐらいの高台に建っているんだから、必ず双眼鏡で覗いているに決まっているんだ」 「ふうーん……。ところで君、お(うち)のスペアキーは持っているの?」 「いや、何かあったときのために以前は持っていたんだけど、それがなくなって以来持たなくなってしまった。俺はすぐ物を無くすからな。それに、ここには信用できる置き場っていう所がないんだ」 「どういう意味なの?」 「波や風が強い日も結構あるから、うかつに物なんか置いていたら、いつ飛ばされるか流されるか分かったもんじゃない。そんなこともあって、俺は上側にも穴を掘っているんだ。もっと掘り進めば波や風も入ってこれないからな」 「へぇー。じゃあ、時々にしても、家に帰るときにはどうするの? 当然夜なんでしょう? いつも店の鍵を開けとくわけにもいかないし、何かの合図がいるんじゃないの? まして、君は携帯電話を持っているわけでもないからさぁ」 「それもちゃんとおふくろには言ってある。村側で火を()いたときがサインだ」 「雨が降ってたり、風邪が強い日が続いたらどうするの?」 「う~ん。それもそうだな。そうだ! そういう場合は、月のかすんだ頃に出ればたぶん大丈夫だろう。しかしおまえ、そう淡々としゃべるなよ。ここに住み続けるんだったらおまえの命もかかってるんだぞ」 「――もう、何度も言ってるじゃない。私はおとぎ話の世界から……」 「いい加減にしろ!」  などと言いながらも、男である以上はわずかな不安と期待が胸の中で交錯する。というのも、テントが壊れてしまったのだから、寝る所といえばトンガリの穴の中しかない。しかも、あの場所は明るいうちは信之介が穴を掘っているから、うるさくて寝れるはずがない。だから、新しいテントを調達するまで優香は昼寝をやめて、夜寝るようになるかもしれないと思えるのだ。  そうなったら俺の横で……。  そんなことを考えずにはいられないのだが、その期待は見事に裏切られ、優香は、強烈な日差しを浴びながらでも島の一角にある平らな所に寝転んで、まるで体についた害虫を駆除でもしているかのように、いつもの昼寝を決め込むのであった。  朝早くからその姿がないことに気付いた優香は、信之介が昨日言っていたことがまんざらハッタリではないということを知る。あらためて生きることの大変さを考えさせられる優香だ。 「信之介君! 信之介君!」  穴の奥から聞こえてくる音に確信を持って名前を呼ぶ優香だが、深い上にいろんな道具を持って作業しているために、どうやら声は届いてないようだ。  すぐに諦めたものの、何かしら寂しさに包まれてしまう。 『おまえの命もかかってるんだぞ……』  中から聞こえてくる硬い音を耳にしながら今までのことを思い出してみると、一つ一つの場面が輝いて見える。そして、思わず微笑んでしまう。  なんだろう、この気持ちって……?   ただこうしているだけなのに、今は隣にいない信之介がより記憶の深くに入り込んできて、次第に自分と同化していくような気がするのだ。先のことなんて分からないものの、笑っているこの信之介君は私だけのもの、と正直にそれを認めてしまっているのだ。気付かれさえしなければ、せめてこうして陽の光が降り注ぐ間だけは、心を繋ぐことができるのだし……。  優香は腕組みをしたまま黙々と立ち上がる入道雲を見ながら、相変わらず信之介の作り出す硬い音と、時折聞こえる大きなため息に耳を傾けていた。  その明くる日。 「君、ちょっとやばいんじゃないの?」 「満潮の上に波も高いんだから仕方ないじゃないか。おまえもこっちに来いよ。もっと上に上がらないと、そのうちそこも水に浸かってしまうぞ」 「でも、そんなに狭くっちゃ……」 「だからそのうちにもっと上側を掘るって言ってたんだ。そんなことを言ってる場合じゃない、ほら……」  すぐに差し出された信之介の手を取ると力強く引き上げられる。  ホッとしたのはいいのだが、それにしても、なんとか二人の体が収まるぐらいの狭いスペースで、じっとしたまま岩に砕け散る波音と、少しずつ増していく眼下の海水を見ているしかない優香。 「信之介君。こんなことが続くんだったら、本当にここを出て村に帰った方がいいんじゃないの?」  振り向くのもままならないぐらいの狭さだ。 「そういうわけにはいかないんだ。世間で言うだろう。『負けられません、勝つまでは』って……。おまえだって、おとぎ話の世界に帰れって言われたら嫌だろう?」 「そりゃあ無理だよ!」 「――おまえ、どっかの劇団かなんかに入っているのか?」 「君って疑り深いんだね?」  そして信之介が無理やり顔を横に向けると、唇が優香の(ほほ)に触れてしまった。 「あっ、ごめん……」 「いいのよ。へぇー、意外と君ってデリカシーがあるんだ。そこら辺が私の育った世界とは違うところなんだ……」 「なんの話をしてるんだ?」  向き直って、優香の目を見つめながら信之介が言った。すると、 「君は知らないだろうけど、おとぎ話の世界って意外に残酷なんだよ……」
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