第3話 ただの偶然か?

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第3話 ただの偶然か?

()だ。蛾が産み付けた卵が大きくなったということだ。そんなにたくさんあるのか? おまえ、悪いけど一つずつ潰してくれよ」 「それはいいけど、きっとかなりの時間がかかるわよ」 「そんなことを言ってる場合じゃない。これがもっと成長したらとんでもないことになるんだ。それが今あの村で起っているんだ!」 「だから君は帰ろうとしないんだ……」 「帰ろうとしないんじゃなくて、帰れなくなったんだ。いいから早くしてくれよ!」 「分かったからじっとしててよ。――よしっ!」 「ええっ、もう無くなったのか?」  首筋を触ってみれば確かに以前のような滑らかさがあり、異物感など感じない。「知らなかったけど、そんなに簡単に取れるものなのか?」 「三つほど潰したら、あとのはみんな消えてしまったの……」 「消えた? 幾らなんでもそれはないだろう? そうか、体の中に潜ったのかもしれないな? こいつらだって生きてるんだから、そういうことだって考えられるな……」  どうしようもない不安を残しながらも、何気なく振り向いた先にそびえる岬に現れては、一人また一人と、茂みの中に消えていっている者達の姿が二人の目に飛び込んでくる。 「信之介君。あの人達どうしてあんなことをしてるの?」 「したくてしてるんじゃないんだ。このホッチキスの針みたいなのがもっと成長して、幼虫となって体を覆い尽くしたら、その人の意思とは関係なしにこいつらの意思で動くしかなくなってしまうんだ。思考を支配されるんじゃないぞ。側を覆ったこいつらの思うがままに動くしかないということなんだ。  あそこら辺りはたくさんの(さなぎ)で埋め尽くされている。それがあいつらのやり方なんだろうけど、人をあそこに行かせてはその人の汁を吸い尽くすんだ。すると、蛹は途端に成虫になって次から次にすごい数で飛び出して、置き去りにされた者は枯れてしまって木そっくりになってしまう。なくしてしまったけど、俺はこの島に来たときにそれを双眼鏡で見たことがあるんだ。あそこに見えているだろう? 木に見えもするけど、あれは木じゃないんだ。折り重なった人があんな形になって、木のように見えているだけなんだ」 「警察に言ったの?」 「俺は言っていないけど、ここ浦吉っていう所は外部とは遮断されている。実はこれが二度目なんだ。一度目は発見が早くて、当局がいろんな方法で殺虫剤を散布したおかげで治まったように思えていたんだけど、どうやらそうではないらしい。だって、人に産み付けられた卵も保健所が全て処理したって聞いていたんだけど、現実にはまた広がっている。近づけば体の中に隠れてしまうことぐらい、保健所なら処理中に分かっているはずなんだ……。ちっくしょう! せいぜい人の体を離れたときに処分して、それとは別に発生原因を見つけてしかるべき処置を取らなくては、この事態は治まらないぞ!」 「じゃあ、あの蛹を処分すれば済むことじゃない」 「いいか、前回のときは打ち上げ花火のようなもので薬剤を散布したり、ヘリコプターで殺虫剤をまいたんだ。当然、あのときからあそこら一帯はあんなふうだったから、特に重点的にまいたって聞いている。でも、また同じことが起こってるということは、すでにかなりの人の体に卵が産み付けられていて、知らないうちに出入りを繰り返していたということなんだろう? 仕方がないと言えば仕方がない。明るいうちはどこかでじっとしていて、暗くなってから活動し出すみたいだからな……」 「でも、外部とは遮断されてるって言ったって、蛾には羽が生えているじゃない。あの村を網かなんかで覆ってしまわない限りは、好きなところに飛んでいくんじゃないの?」 「おまえの言う通りだ。でも俺が聞いた分には、あいつらは飛行距離が極めて短いっていうことだ」 「休み休みなら……」 「――そうなんだ。俺もそう思うけど、不思議と浦吉以外のところで被害者が出たっていう話はないと聞いている。ということは、もしかしたらその蛾はものすごく寿命が短いんじゃないのか? だから遠くまで飛べないのかもしれないぞ。でも、それは俺が勝手に思うことであって、証明されたわけでもない。だからこそこう思うんだ。そんな小学生でも分かるようなことを公然と言ってしまうということは、これをいいことに何かを企んでいる連中に、当局こそが操られているのかもしれないって。現に通信手段の全ては没収、遮断されている。幾ら蛾が大量に発生したからといって、なんの関係があるっていうんだ? そして、その誰かっていうのが、海の中に潜んでいるものじゃないのか?」 「海の中に潜んでいるもの?」 「そうだ。まさか海の中まで蛾は入ってこないからな……。それに、ほらあそこ……」  信之介が指をさす方向には、周りの風景と一線を画すような、背の高い真新しいマンションが見える。「あのマンションは、浦吉の一番端に当たる国道の向こう側に建っていて、カダおばあちゃんが住んでいた【大森】地区の人達が住んでいるんだ。大地震以来、災害危険地域に指定されてから行政の指導もあって、破格の好条件で引っ越したんだ。俺の聞いたところでは全員が最上階に当たる二十階に住んでいるせいか、あのマンションの住民の中で異常を訴えた者は、いまだに一人もいないということだ」 「信之介君、さっきこれが二回目だって言ったけど、あの人たちが引っ越したのはいつなの?」 「――あっ、おまえいいことを言うな。あの人達が引っ越したのは去年の騒ぎが起こる前だ。ということは、高い所に住んでいれば安全とかとはあまり関係がなくて、案外産み付けられた者がいなかったということだけなのかもしれないな。そう考えると、やっぱりこれは新たに起きた二度目であって、それからこっちが騒ぎを起こしていると考えるべきなのか……」 「分かった。つまり、信之介君が言っているところの島の間に沈んでいるものにとったら、あの人達が邪魔で目障りだから、災害危険地域に指定されたことをいいことに、誰かにお金を払ってあのマンションに引っ越しをさせたっていうことなんだ! それは、私のお父さんが散々やってきたことと同じことなの!」 「おまえ、本当に怪しいなぁ。それに、話が飛びすぎてよく分からないぞ」 「信之介君のおばあちゃんが殺されたのも、きっとそのせいよ。そして、偶然にも得体の知れない蛾が大量に発生したということなの。もしかしたら、海の中にいるもの逹にすれば、この蛾の大量発生というのは、目的を達成するのに不都合なことなのかもしれない……。ねえ、信之介君。こういう場合は、蛾に感謝すべきだって思わない?」 「そう言われればそんな気もするけど、おまえ、一体どうなっているんだ? 俺の心の内が読めるのか?」 「ということは、当たっているということね。つまり何もかもが、この村の人達とは関係ないところで決められたことに従って起こっているということなんだわ! そんなことをしちゃあ、ちゃちゃないの。ごめん、いけないの!」 「――おまえ、勝手にしゃべって勝手に怒っていろ」 「どうすればいいの?」 「分からない。考えるんだ……」 「でも、信之介君。私もここに来てから結構経つけど、蛾なんか一匹も見たことないわよ」 「そりゃあそうだろう。昼はどこかでじっとしていて、夜になったら活動するっていうぐらいだからな。俺だってそうだ。ここに住み出してからかなり経つけど、(おか)に上がったのはほんの数回で、泊まったことなんか一度もないし、しかも一時間もいたことはない。でも、俺の体にそれが現れたということは、やっぱり、それまでに産み付けられていたものが成長したとしか考えられないぞ……。しかし、おまえの場合は一晩中起きてるんだろう?」 「うん」 「それでも一匹も見たことがないっていうことは、やっぱり距離だ。この島までは飛んでこれないんだ。それにしても、現実にはすでに俺の体に寄生している。たぶん、産み付けられたのは今日や昨日のことではないだろう……」 「それなら信之介君の体の栄養分も吸い取られて、とても穴なんか掘れなかったんじゃないの? そうだ。この前会った翔太君っていう人、大丈夫だったの?」 「――今更考えても始まらない。体の中に引っ込むことだってできるみたいだからな……。うーん。でも、俺は今までと何も変わらずに生きている。そんなことより、どうして今まで分からなかったんだ? 三匹潰したらほかのやつは消えてしまったんだろう?」 「そんなことを急に言われたって……」 「ということは、危険を感じたからだと思うんだけど、逆に言えば、一匹も潰さなかったら見えていたはずなんだ。いや、そもそも体の表面に出てきたということは、こいつらにしたら何かのメリットがあるからなのかもしれない? 中に潜り込んだということはその逆だ。――そうだ。暗闇かもしれない? いや、月光か? 月光に当たると成長するのかもしれない? 俺はさっきまで暗い穴の中にいたから、てっきり勘違いして出てきたのかもしれないぞ?」 「そうだったらいんだけど……」 「なんだ、その返事は?」 「だって私は一晩中星を観察しているせいで、朝早く信之介君を起こしに行ったことは何回もあるのよ。朝ご飯のことだってあるしね。でも、あんなものは見たこともなかったわ」 「それもそうだな……。おまえが俺を起こすときはまだ暗さが残っている頃だから、見えてもいいはずだ。じゃあ、どうして今頃になって現れたんだ?」 「そんなこと、私に聞かれたって分からないわよ」 「おまえは深刻に考えていないみたいだが、家族同士なら時間をかけてでも潰し合いをすることもできるけど、それだって根絶したかどうかは時間が経ってみないと分からないことだ。だって、今がそうじゃないか。まして、独り者ならどうしようもない。事実上、『死ね』と言っているのと同じことなんだ。それが証拠に、幼虫に操られてあの林に行っている人達は、ほとんどが一人暮らしだって聞いている」 「じゃあどうすればいいの?」 「何度も同じことを言わすんじゃない! なんだ、おまえのその平然とした顔は? おまえの命もかかってるんだぞ! だから今は落ち着いて考えるんだ。じっくりとな……」  初めてそんな信之介を見た優香だが、今、ただうなだれて考え込む信之介の首筋に見つけた二つの薄いそれは、何を感じ取ったのか、優香の見ている先から静かに姿を消していった。  ――あなたたち、私が良いっていうとき以外は出てきちゃ駄目なの……。
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