第5章 知らなかった現実 第1話 嘘つき茂の勝手な事情

1/1
前へ
/41ページ
次へ

第5章 知らなかった現実 第1話 嘘つき茂の勝手な事情

 まただ。一体どうなっているんだろう……?    ついさっきまで夢の中にいたのが嘘のように、そのまま目が覚めてしまっている。  しかし、これほどまでに同じ夢を見るということは、やはり俺は()ってしまったのか? 確かに動機はあった……。いや違う。殺ったのは安藤だ。俺がその場にいて、犯行を見ていたわけでもなければ知らされていたわけでもない。  それにしても、あの成川勇司と名乗っている男。気のせいか俺を避けているようにも思える。あいつはきっと安藤だ。でも、どうしてこんな所にいるんだ? ただの偶然ではないはずだ。何かの目的があるからこそこの地にやってきたに違いない。誰に聞くべきか……。    ――それはそれとしても、決して仕方ないでは済ませたくないが、ほかになんと言って自分を慰めたらいいものか?  京都にいたときには社長にすら物を言われたことのない信之介にして、若い者に(あご)で使われる毎日には耐え難いものがある。  珍しく、休みを前にして有給を取ったということで、仕事から帰るといてもたってもいられずに大酒を飲み、目が覚めた今はもう昼過ぎだ。  西の窓からは、浦吉港のその向こうに伸びる防波堤の指さす一帯が、雲の切れ間から差し込む光に輝き、思わず家族五人で暮らしていた頃を思い出しては感慨にふけってしまうのだが、北向きの窓に視線を移すと、いつもと同じ光景であるにもかかわらずどんよりとしている分、何かしら物悲しさを感じてしまう。  もっと強くならなければ、といつも思うのだが……。  茂にすれば、蛾の騒動など他人事だ。でも、行政からの指示もあって外に出るのは明るいうちに限られている。そんな茂は今日もまだ日の高いうちに、津本澄夫の家に出向いていた。 「どんな感じじゃ、翔太の様子は?」 「やっぱり難儀しとるみたいじゃ。家に帰ってきてから台所のテレビもつけんと飯を食うとる。わしが物を言うと腹を立てることもあるし。会社で思い通りにいかんから気が立っとるんじゃろう。帰ってくる前に、よく考えろってあれだけ言うたんじゃけどなあ」 「翔太も大変じゃ。本当なら一郎が帰ってくるべきところなんじゃがのう」 「澄夫さん、それを言っても始まらん。言うた通り一郎は帰りようがない。あいつは家は建て替えたけど、食うことまでは考えとらんかったんじゃから。――それにしても、わしもまさか翔太が帰ってくるとは思わんかったから、澄夫さんには心配かけるのう。でも、まだ分からん。ああ見えても結構気の短い子じゃからのう……」 「ハッキリ言ってわしならええんじゃが、(たえ)が……」 「妙さんか。そのためにアルバイトに出向くようになったんじゃな」 「そうじゃ。民宿をやるにはそれなりのリフォームもせにゃならんからのう」 「あいつが何をしに帰ってきたんか、わしはいまだに不思議でならん。まだまだわしは元気じゃから用はないのに……。澄夫さん、まあ見とけ。わしは嘘は言わん男じゃ……」  そんなことを話していると、 「あんたぁぁ!」  いきなりインターホンから聞こえてきたのは妙の声だ。  うろたえた様子で声の出所を探している茂。  実はこの茂と妙とは気が合わない。だから妙がアルバイトに出たと聞いてから、空き時間を狙って飲みに来ているのだ。  それにしても、自分の家なのだから鍵ぐらい持ち歩け、といつも言っているのであるが、妙の場合はつけたばかりのインターホンを使うのが好きなのだから仕方がない。 「あんたぁぁ、早く開けとくれよ!」 「茂さん、せっかく来てもらったけど、この続きはまたということにしよう」 「あんたぁぁ!」  いつものことだが、玄関に向かうまでは妙はインターホン越しに早く出るように催促をしてくる。しかも大声で。そんなときはいつもこう言うことに決めている。 「なんのためにインターホンをつけたんじゃ? そんなに大声を出すぐらいだったら必要なかったじゃろう!」  ――そして妙と入れ替わるように茂が帰ると、 「どうして茂さんが来てたんだい?」 「妙、ほかの家を探すか? 空き家はなんぼでもあるしな。茂さんの話を聞いとったら翔太がかわいそうになってきたんじゃ。京都で勤めとった会社を辞めてまで帰ってきて、益川テックで全く畑違いの仕事を一から覚えながらやっているっていうのに……。お前も知っての通り、茂さんは翔太がまだ小学校に上がらんうちから都会に働きに出て、帰ってくるのは盆と正月だけじゃった。そのうちばあさんのオコさんとうまくいかなくなった節子まで家を出て、茂さんの所で働くようになって……」 「何言ってるんだい、あんた。それとこれとは話が全然違うんだ。家を買ってもらえないか、って言ってきたのは茂さんの方なんだよ。でもあの人、足が悪かったんじゃないのかい?」 「まあそう言わんと、わしの話を聞け。思えば翔太と一郎は、本当の親というものを知らずに育ってきてるんじゃ。たまに帰ってきたときには良いところしか見せないもんじゃからのう。そして、茂さんの会社があの大不況で倒産したときに二人が引き揚げてきた。その頃、確か一郎は京都の会社に就職しとったけど、翔太は自宅浪人をしていたはずじゃ」 「その話なら何度も聞いたよ。でも、それから何年も経っているのに、どうしてあの兄弟は挨拶の一つもしに来ないんだ。私はそれが気に入らないんだ」 「おまえ、茂さんとこの息子が帰ったときに行ったことはあるのか?」 「何度もおんなじことを聞くもんじゃないよ。そんなときっていうのは遠慮するのが常識じゃないか」 「それなら翔太や一郎が挨拶に来なかったのも筋が通っているじゃないか?」 「そう言われりゃあそうだけど……」 「周りも周りじゃ。そっとしてやってたら良かったのに、はっきり言って茂さんの退職金目当てに漁師連中が昼間っから集まって、大酒を飲んで大騒ぎだ。京都に出て行く前の日に、挨拶に来た翔太の顔をわしはいまだに覚えとる。真っ赤な目をしとった。離ればなれ、行き違いの親子じゃ。その二人がいきなり同居を始めたんじゃから、そりゃあ大変じゃ。それに、茂さんは相変わらずの調子だしのう……」 「あんたはすぐそんなことを言いたがる。弱い者の肩を持ちすぎなんだよ。信之介もあんな所へ行ってしまったというのに……。あんた、恥ずかしくないのかい?」 「だからこそ茂さんの家を買い取って、民宿もやらせてやろうと思っているんじゃが、それにしても翔太がかわいそうじゃないか」 「そりゃあんたがそう思うだけで、私は違うね。節子さんも逝ってしまったことだし、あんな大きな家に一人で住んでてどうするんだよ? あのときは足も悪いって言っていたから、この前施設の話を持っていったんだ。それがお互いのためっていうもんだ。そりゃあ、帰ってきた息子の気持ちも分かるけど、こっちにはこっちの段取りがあるんだからね」 「茂さんは昔からあんな人じゃ。言うことをまともに聞いてしまったわしらがバカだったのかもしれんぞ」 「当てにしてるんだよ。あの家の二階からの見晴らしは最高だからね。あそこで民宿をやったらきっと評判になって、ついでに泊まり客を船で沖に連れていって魚釣りでもやらせたら、きっと儲かるわ。あんた、情に流されるんじゃないよ。話を持ってきたのは茂さんなんだからね!」 「そんなことを言ったって、おまえ……」
/41ページ

最初のコメントを投稿しよう!

7人が本棚に入れています
本棚に追加